関西学院大学 現代民俗学 島村恭則研究室

関西学院大学大学院 現代民俗学 島村恭則研究室

本土移住の民俗誌―大阪・姫路の家島出身者たち―

本土移住の民俗誌―大阪・姫路の家島出身者たち―
水口裕紀子


【要旨】

 本研究は、家島出身で姫路周辺に住んでいる人を対象に、その人たちが本土でどのような仕事をし、どのように生活しているのかを探り、家島出身者の本土での生活スタイルから家島出身者に共有された「家島ルール」「家島コミュニティー」など、家島出身の人ならわかるが他の地域の人にはわからない家島独自のカルチャー、また家島固有の生活スタイルの解明を目的とした。
 調査は、主に大阪市港区姫路市飾磨区を中心に家島出身者に聞き取りを行った。本研究で明らかになった点は以下のとおりである。

1.家島では、明治時代初期頃から採石業が主流な産業で、採石業をルーツに発展してきたため、現在も同じ業界(採石、土木、海運、建設)で働く家島出身者が多い。

2.採石業で家島が儲かり、兵庫県姫路市大阪市に移住する家島出身者が多くいた。家島出身者の本土での居住地は大阪の港区、弁天町、田中町、姫路の飾磨区、手柄町が多い。こういった背景には、家島の人同士は親戚関係が多く、島を離れても共同意識が強く結束力があること、家島の人独自の気質が関係している。

3.家島同士の共同意識が強い要因の1つに、家島独特の文化が挙げられる。「兄弟分」という「親友以上の一生の仲間」同士の繋がりは強く、世代を超えて受け継がれる。島を離れても互いに交友を保っている。また「兄弟分」はヨコだけでなくタテの繋がりも強い。「兄弟分」によって人数も異なり、その形成時期も異なる。

4.家島出身者の多くが「自営」である。職種は、土木建築、自動車販売、登記事務所、寿司屋、スナックなど多岐にわたる。事業をはじめる際には、自分の兄弟分や家島の人同士で助け合う。

5.若者は皆、船長になることを憧れていたバブル期頃までの家島と、現在の家島の実態を比較すると、ガット船(石材運搬船)の減少、若者の減少、人口の減少などの問題によって活気が失われつつあることが伺える。「今後、家島がどうなっていくのかが心配だ」と家島の人たちは将来を懸念している。

6.家島の若者はほとんど、本土の学校へと進学していく。親も子どもを大学まで進学させたいため、島に人が残らない。加えて、家島内に仕事が少ないことになり、これも若者不足の要因であるといえる。

【目次】

序章 問題の所在―――――――――――――――――――――――――――――4

 第1節 問題の所在‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥5


  (1)家島の概要‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥7

  (2)家島の産業の歴史‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥10


第1章 大阪・姫路の「家島村」――――――――――――――――――――――15

はじめに‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥16

 第1節 大阪市の「家島村」‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥17

 第2節 姫路市の「家島村」‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥18


第2章 家島出身者のライフヒストリー―――――――――――――――――――21

 第1節 奥村安太夫氏と奥村組‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥22

  (1)立身を目指して‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥22

  (2)「奥村商店」を創業‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥23

  (3)郷里家島の生家へ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥24

 第3節 奥村安太郎氏のライフヒストリー‥‥‥‥‥‥‥‥25

  (1)昭和初期の奥村商店‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥25

  (2)事業の拡張‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥26

  (3)安太郎氏と若い社員のエピソード‥‥‥‥‥‥‥‥‥27

  (4)気持ち新たに‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥27

(5)安太郎氏の人となり‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥28

(6)本社ビルの建築‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥29

(7)創業60年を迎えて‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥31

 第3節 細野濱吉氏と細野組‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥33

  (1)漁業から石材販売業へ転身‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥33

  (2)命をかけて芦屋高等女学校を創立‥‥‥‥‥‥‥‥33

 第4節 細野房雄氏が語る濱吉氏と細野ビル‥‥‥‥‥‥34

  (1)細野ビルに祖父を想う‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥41

  (2)濱吉氏の人となり‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥41

  (3)家島の細野邸‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥42

 第5節 吉田芳松氏と吉田組‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥44

  (1)吉田家の発祥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥45

  (2)郷里家島を離れて‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥45

  (3)厳しい逆境を耐え抜く‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥47

  (4)家島帰省後、自営を決心‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥49

(5)戦後の家島復興のため新分野に取り組む‥‥‥‥‥‥‥50

(6)奉仕の心を胸に‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥51

 第6節 町田直隆氏のライフヒストリー‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥53 

  (1)家島の兄弟分‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥55

  (2)町田氏の語る兄弟分‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥55

  (3)町田氏のライフヒストリー‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥56

 第7節 福田唯泰俊氏のライフヒストリー‥‥‥‥‥‥‥‥‥57 

  (1)福田氏のライフヒストリー‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥58

  (2)福田氏の語る家島‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥58

 第8節 奥村誠士氏のライフヒストリー‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥59

  (1)奥村氏のライフヒストリー‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥60

  (2)奥村氏の語る兄弟分‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥60


結語―――――――――――――――――――――――――――─――――――63


文献一覧―――――――――――――――――――――――――――─――――64




【本文写真から】


























写真1 家島の海岸沿いの石材運搬船の様子

























写真2 奥村組創業者の奥村安太夫氏と2代目社長の奥村安太郎氏(『奥村組土木興業株式会社60年史』より)

























写真3 細野ビルの外観がデザインの「六麓展」のポストカード


【謝辞】

 本論文の執筆にあたり、現地調査で多くの方にお話を聞かせて頂いた。
特に奥山芳夫氏、吉田芳成氏、細野房雄氏、町田直隆氏にはお忙しい中、本調査に長く関わって頂き、心より御礼申し上げたい。また上記の方の他に本調査に関わって下さった全ての方に感謝申し上げる。本研究で多くの家島出身の方のライフヒストリーから、私自身多くを学ばせて頂いた。今後とも家島の方々との繋がりを大切にしていきたい。