関西学院大学 現代民俗学 島村恭則研究室

関西学院大学大学院 現代民俗学 島村恭則研究室

小樽と地酒

小樽と地酒
〜なぜ、小樽で酒造業は栄えたのか〜
      日野 秀哉

はじめに

小樽は多様な地場産業に支えられて成長してきた都市である。特に、硝子産業や水産加工業そして菓子産業などは今でも小樽を代表する主要な地場産業となっている1)。これらの小樽を代表する地場産業を支えているのは、良質なまたは豊富な「水」の存在が実に大きい。例えば、ゴムや硝子産業においては冷却水として。水産加工では洗浄水として。菓子産業などの食品に関しては商品用として。それぞれ小樽の「水」が用いられている。また、小樽の水のおいしさは、水道局が2005年より「小樽の水」(写真1)
として発売していることからもその自信がうかがえる。中でも小樽の「酒造業」に関してはこの小樽の良質な「水」と密接な関係があり、小樽の地で酒造業が発展した大きな理由となっている。
本論では小樽に現存している「北の誉酒造」「田中酒造」「雪の花酒造」「わたなべ酒造」での聞き取り調査の結果を中心に、なぜ小樽で酒造業が栄えたのかについて論じる。

第1章 小樽における酒造りの歴史

酒造りには、その立地条件として①寒冷な気候であること②清らかな水があること③良質な酒米があること④杜氏などの酒造りに必要な人材がいることなどがあげられる。
小樽はこれらの条件をすべて満たしており、酒造りに非常に適した環境にあるといえる。
 また小樽の酒造りの歴史を追うと、これらの環境の要因以外にも小樽という街だからこそ酒造りが栄え、地場産業として発展していった理由が隠されていることがわかった。
それはかつて(または今も)小樽が北海道の人や物資の玄関口であったことから、それに伴って小樽の街が「商都」として栄えていったという理由からである。
 本章ではこの理由を中心に、小樽における酒造りの歴史を考察していく。
 小樽は今もそうであるが、昔から多くの船が行きかう港町であった。明治以前から北前船の寄港地として、内地に鰊かすや海産物などの物資が出荷され、内地からは衣類や塩などの生活物資を運んできていた。2)そのため全国各地の商人が商機をねらい、特に加賀や越後出身の商人が多く小樽に集まってきた。また、明治以降は北海道の開発のために開拓使が派遣され、港町である小樽を拠点に人や物資がどんどん入ってくるようになった。
 そのような時代背景の中で、実は北海道では明治以前、酒造りはほとんど行われていなかった。酒は北前船で運ばれてくる灘の酒などを中心に内地からの輸入に頼っていたのである。そのため、その酒を口にすることができたのは上流層のみであり、とても庶民が手をだせるようなものではない高級品という認識であった。
 よって、人や物資がどんどん流入して人口が増え、自然と酒に対する需要が出てくる中で安価ではない酒を庶民が口にすることはほとんどできなかった。
 そこで、北の誉酒造の創業者である野口吉次郎氏が「この北海道の地で質の良い、みんなに喜んでもらえるお酒を作りたい。」3)との思いから、明治34年に酒造を開始したことが小樽の酒造業の始まりとなった。吉次郎は1856年加賀の生まれ。明治19年に小樽の地に商機を求めてやってきた商人の一人である。吉次郎は小樽で庶民たちが酒を気軽に飲めるように、かつて自身が学んだ醤油や味噌の醸造の技術を応用3)して、
また水は天狗山の伏流水を用いて酒造りを開始した。そうして作った酒は大成功を収め、今まで高価で庶民には手が出なかった酒は小樽の人々に受け入れられて飲まれるようになった。「北の誉」の社名には「この北の大地北海道でみんなに褒め称えられるお酒を作りたい。」3)という創業者吉次郎の意志が込められており、その意志は現在も継承されている。
 それ以後小樽には田中酒造、わたなべ酒造、雪の花酒造が創業し、それぞれの酒造が現在も小樽の地を拠点に営業している。
 このように小樽で酒造業の歴史が幕を開いた要因は、ただ小樽の地に「寒冷な気候」「清らかな水」「良質な酒米」「酒造りに必要な人材」といった酒造りに必要な要素がそろっていたことだけではなく、小樽が非常に多くの人や物が行きかう北海道の玄関口であった。そして、その小樽に酒に対する需要が生まれたことも重要な要因であり、小樽で酒造業が栄えた一因ともいえるのである。

第2章 水と酒造りの関わり

(1)勝納川と酒造り

 酒造りにおいて重要な要素は前に挙げた通り、「寒冷な気候」や「清らかな水」など様々な要素があるが、小樽において酒造りが適していた最大の理由は「清らかな水」が豊富にあったことだといえる。特に小樽の酒造りにおいては南北に流れる「勝納川」との関わりが重要である。(写真2)
小樽市の地図を見るとよくわかるが、この勝納川流域にはゴム工場や製薬会社などの水を大量に必要とする会社が多く点在していることがわかる。もちろん多くの、そして「きれいな水」を必要とする酒造会社もこの勝納川流域に多く点在していることがわかる。その目的は「天狗山から流れる伏流水」を用いて酒造りを行うからである。この伏流水は、冬に積もった雪が長い時間をかけて地中に浸透し、ゆっくりと酒造りに適した水へと磨きあげられる。ただ、ここでいう酒に適した水とは単に「おいしい水」であればよいということではなくて、程よくカルシウムやカリウムなどの有機物が溶け込んだ「きれいな水」のことである。また、北の誉酒造と田中酒造はこの伏流水を地元小樽の市民にも味わってもらおうと、それぞれ伏流水の取水場をもうけている。(写真3)
ここからも各酒造会社の「水」に対する自身の表れがうかがえる。この伏流水は酒造りの「きれいな水」の基準を楽々クリアしており、軟水〜中硬水の性質をもっている。このような水は、特に辛口のキリッとした味わいの酒を作るのに適している。
 そのため、かつて勝納川流域には多数の酒蔵が軒を連ね「酒造銀座」4)と呼ばれるほどであったそうだ。現在はわたなべ酒造以外の、北の誉酒造・田中酒造・雪の花酒造が勝納川流域に蔵をかまえるだけとなってしまったが、かつて「酒造銀座」(写真4)
と形容されるほど酒蔵があったことから勝納川と酒造りの関わりが非常に重要であることがわかる。

(2)原材料としての水

「水」の良さは酒の出来を大きく左右する。なぜなら日本酒造りは原材料が大きく分けて米と水しかないため、それだけに水の質は酒の出来を大きく左右するのである。
酒造りに適した水の条件は簡単に述べると「マグネシウムカリウム、リン酸などのミネラルが程良く溶けており、大腸菌や鉄分などの酒造りの敵となる成分を含んでいない水質」である。ここで重要なのは後の大腸菌や鉄分を含んでいないという点である。
各酒造会社の方に聞き取り調査を行っていく中で、水が「おいしい」よりも水が「きれい」であることが重要であると強調される会社が多かった。つまり、鉄分を多く含む水を用いて酒造りをすると酒の色が悪くなるし、大腸菌が多いと衛生面でよろしくない。
「名水どころに名酒あり」5)と言われるが、この意味はただ「おいしい」水がそこにあればいい酒が生まれるのではなくて、酒造りの特殊な条件に見合った「きれいな」水がそこにあることでいい酒が生まれるということだとわかる。その酒造りの特殊な条件に見合った「きれいな」水があってはじめて、酒造りの一つの条件が満たされ、その各地の酒造りに適した名水にあわせた酒造りが各酒蔵でそれぞれ行われる。そして、その違いが各酒造会社の特徴となり人々に飲まれていくのである。
 そういった意味で原材料としての小樽の伏流水は酒造りに重要な一つの要素となっているのである。

(3)工業用水としての水

 原材料としての「水」が酒造りにおいて重要なことはもちろんだが、それ以外の酒造りのプロセスにおいて用いられる「水」も見逃してはいけない重要な要素である。
前に酒造りには「きれいで、豊富な水」の存在が必要な要素であると述べたが、この工業用水としての水で重要なのはきれいな水が「豊富」にあるということである。
なぜなら、日本酒は商品として出荷するまでに様々な工程で大量の水を消費し使うからである。酒造りの過程においては「洗米」や「蒸米」において特に多くの水が用いられる。「洗米」においては米のぬかやゴミを取り除くために「きれいな水」が大量に必要であるし、「蒸米」においては米の重量に対して何倍もの「きれいな水」が必要である。
 またそれ以外にも酒造りに用いられる機械や布、樽などの洗浄の際にもこの「きれいな水」は大量に必要となる。酒造りに用いられる樽(写真5)
は非常に大きなものであるので、それを洗浄するだけでも大量の水が必要なのだ。
 もちろん、「原材料として」の水も重要ではあるが、このような「工業用として」の水も同様に重要である。そういった意味では水がきれいであるだけではなく、そのきれいな水が大量に確保できるという小樽ならではの特徴が小樽の酒造りを大きく支えているともいうことができる。

第3章 小樽の酒蔵―4社の比較

 現在小樽を拠点にしている「北の誉酒造」・「田中酒造」・「わたなべ酒造」(写真6)
「雪の花酒造」(写真7)
の各社員の方に共通の以下の質問事項についてインタビューを実施。その違いから4社の比較を考察していく。また、()内はインタビューに応じてくださった方である。
①酒造において「水」がいいとは具体的にどういったことを指すのか?
②出来上がった酒は、主にどこに出荷されるのか?
③「水」以外で酒造りにおいて重要な「米」は、どこから調達しているのか?
④酒造りの造り手は主にどのような方が担っているのか?

(1)北の誉酒造(木村さん)

①水は酒の味を変える。酒造において「水」がいいとは、原材料としてはカルシウムやカリウムなどの有機物がほどよく溶け込んでいることが重要。そこで取れる水に合わせて酒の造り方も変わる。工業用の水としては、酒造りは洗米や蒸米のプロセスで大量の水が必要となってくる。トータルすると酒造りには「きれいな水が大量に確保できること」・「酒造りに適した有機物を含んだ水が確保できること」の2つの条件を満たしていることが重要である。
②かつては創業者野口吉次郎氏の意志を反映し、地元小樽で愛される日本酒のブランドを目指す。その後、昭和40年代には東京にも支社ができ日本各地で飲まれるようになってきた。現在では地元北海道で消費される割合と他の地域で消費される割合は3:1の割合となっている。地域に愛されるブランドを基本方針としてかかげつつ、日本や世界で愛飲される日本酒のメーカーを目指していると木村さんは語ってくれた。
③寒冷地である北海道では、基本的に酒に適した米作りには適していない。そのため、3~5年前までは新潟や東北でとれる山田錦などの酒造好適米を用いて酒造りが行われていた。しかし、最近では北海道でも酒造好適米がとれるようになり、道産の米も酒造りに使用している。
④平成17年までは南部杜氏6)の方が酒造りを担当。平成17年以後は社員の方が酒造りを主に担当している。また、現在でも余市の農業労働者の方が冬に10人ほど手伝いに来られる。

(2)田中酒造(高野さん・寺尾さん)
  
①酒造において「水」がいいとは、原材料としては品質はもちろんのこと、まず大腸菌や鉄分を含まない「きれいな」水であることが重要。また、工業用としては特に洗米や蒸米の際に大量の水を用いる。水は原材料、工業用共に重要であるが、水が大量に確保できてもそれだけでは意味がない。そういった意味では小樽の水は原材料としての水に大きく貢献していると寺尾さんは語ってくれた。
②昔から現在も、ずっと地元小樽で愛されるメーカーを目指し「地産地消」のスタイルをとっている。道内とそれ以外の地域で消費される割合は9:1である。
③10年ほど前までは主に新潟産の米を用いて酒造りを行う。それ以降は道内産の「初雫」や「吟風」などの道内産酒造好適米7)を用いて酒造りを行っている。
④かつては南部杜氏の方が冬に北海道にやってきて酒造りを行う。しかし、現在では社員の方が中心となって酒造りを行っている。いわゆる昔ながらの杜氏と呼ばれる人は現在ではいない。

(3)雪の花酒造(池田さん)

①「水」がいいことはもちろん酒造にとって重要であるが、水以上に作り手にこだわりていねいな酒造りを心がけている。その中で酒造にとっていい「水」とはマグネシウムやカルシウムが溶け込んだ水のこと。酒蔵がかつて何軒も勝納川沿いにあったのも水が酒造りに適していたことによると池田さんは語ってくれた。
②地元小樽に愛されるメーカーを目指し、「地産地消」のスタイルをとっている。
地元小樽・道内・それ以外の地域で消費される割合は7:2:1となっている。
③かつてはほとんど道内産のものは酒造りに用いられていなかった。しかし、現在では道内産の酒米がほぼ100パーセント使われている。これは道内で「吟風」などの酒造好適米が登場したことによる。
④15年ほど前から、製造部長の方が杜氏の役割を果たしている。

(4)わたなべ酒造(酒井さん)

①「水」の品質がいいことはもちろん重要ではあるが、それ以上に「気候」が重要であると考えている。気候が寒冷であり、空気がきれいであることが重要だそう。そういった意味でも小樽は酒造りに適している。
②昔から現在まで、札幌や小樽を含む後志地区で100パーセント消費されている。
③現在では2割程度を道産米、8割程度を山形や秋田産の米を使っている。
④現在ではいわゆる昔ながらの杜氏と呼ばれる方は酒造りをしてはいない。

4、まとめ

 このように小樽の酒造りは、酒造りに適した「水」が豊富にあったことや「小樽」が人や物資が非常に多く集まってくる場所であったことの2点が大きな役割を果たしてきたことがわかった。しかし、この小樽の酒造メーカーに聞き取り調査をおこなっていく中である共通した返答が返ってきた。それは「飲まれる酒の種類全体に対して、日本酒に占める割合が低くなってきている。」ということである。つまり日本酒に対する需要が相対的に低くなってきているのだ。さらに、近年小樽を拠点に「ビール」や「ワイン」を扱うメーカーが登場8)したことにより、小樽の日本酒をとりまく環境はさらに厳しいものとなっている。
 そこで、各酒造メーカーでは日本酒への関心を引き付けるために、他社と様々な差別化をはかり、独特の取り組みを進めている。この各社の取り組みを以下にまとめる。
 北の誉酒造では、日本酒造りは技術的に画一化されているため、①道内産にこだわった日本酒造り②日本酒だけではなく焼酎やにごり酒をつくるなどで他社と差別化を図っている。
 田中酒造では、①日本酒以外に焼酎・リキュール・どぶろくなどの酒造の免許を取得して様々な種類の酒造りを行う②なめらかさのある味わいの酒造りをすすめるなどで他社と差別化を図っている。
 雪の花酒造では、①webページで「ひとしずく」というタイトルの酒造りに関する漫画を公開し、若者に日本酒に関心を持ってもらう②他社にはない超辛口の日本酒造りをするなどで他社と差別化を図っている。
 わたなべ酒造では、①日本酒のネーミングを工夫して、通常「鬼ころし」と呼ばれる辛口の酒を「熊古露里」とネーミングする。また「小樽の女」「おたる運河」など地元小樽を意識したネーミングの日本酒を多くするなどして他社と差別化を図っている。
 このように各社は積極的に地元「小樽の地酒」をアピールしている。これからもこの名水を用いた酒造りが、小樽から日本全体や世界に発信して、広く愛されることを目指し取り組んでいけば素晴らしいと思う。そして、この素晴らしい小樽の酒造りの環境を生かし、酒造業が小樽でますます栄えていくことを願い本論のまとめとする。
 
また、この論文を執筆するにあたって、小樽の各酒造会社のインタビューを受けてくださった方々、小樽市立博物館の佐々木美香先生の多大なご協力を賜りました。ここに記して感謝申し上げます。

1)ここでいう地場産業は『おたる案内人』(2005年 小樽観光大学校)を参照。
2)北前船とは、江戸時代から明治にかけて畿内蝦夷を結んでいた物流の船である。小樽からは多くの鰊かすが畿内へ運ばれ巨万の富を得た。
3)この記述に関しては、北の誉酒泉館ホームページ(http://syusenkan.kitanohomare.com/北の誉の誕生を参照。
4)この記述に関しては、雪の花酒造ホームページ(http://yukinohana-otaru.com/index.html)の会社案内を参照。
5)この記述に関しては(http://www.sgm.co.jp/life/syoku/cat378/cat239/)を参照。
6)南部杜氏とは、現在の岩手県を中心とする杜氏集団の一つ。他に但馬杜氏(兵庫)越後杜氏(新潟)などが代表的な杜氏集団としてあげられる。
7)近年北海道でも「吟風」「初雫」「彗星」などの酒米が登場した。酒造好適米とは酒造に適した酒米という意味である。
8)昭和49年に北海道ワイン株式会社が小樽に開業。平成7年には小樽ビールの工場が銭函に開業する。

文献一覧

小樽観光大学校
 2005  『おたる案内人』小樽観光大学校運営委員会
道新スポーツ
 1997  『北の美酒めぐり』 北海道新聞
穂積忠彦
 1995  『日本酒のすべてがわかる本』 健友館
小樽市教育委員会
 1994  『小樽市の歴史的建造物』
読売新聞社
 1982  『地酒の旅』