関西学院大学 現代民俗学 島村恭則研究室

関西学院大学大学院 現代民俗学 島村恭則研究室

消失する花街の風景ー大阪府住吉・住之江区「住吉新地」の事例ー

山田美玖

 


【要旨】
 本研究は、大阪府住之江・住吉区において存在した「住吉新地」について、文献調査及び実地調査によって、江戸時代から現代に至るまでの変遷を記述したものである。本研究で明らかになったのは以下の点である。
1、住吉新地は元々、住吉大社の参道そして紀州街道にも面する住吉新家がその前身となっている。住吉新家は料理屋街として名を馳せ、その付近には茶屋も軒を連ねることとなる。その茶屋の女中が着飾って参拝客をもてなしていたことが住吉新家に花街的要素を与え、後に住吉新地がおこるきっかけであろう。
2、明治18(1885)年、阪堺鉄道の開通、馬車鉄道上町線の延伸により、駅となる住吉大社側に商売の中心が移ったことにより、住吉新家で商売していた店も場所を移転していくこととなる。その結果、住吉大社に隣接する住吉公園内に料亭や茶屋、旅館が林立し、茶屋では雇仲居が横行するようになる。
3、大正11(1922)年、現在の浜口東2、3丁の一部に「芸妓居住指定地」の認可が下り、ここにおいて、正式に芸妓の存在が認められ、住吉新地が囲い込まれることとなる。堂々と芸妓を扱う店が許可されたことにより、住吉新地は花街として益々発展していった。
4、昭和9(1934)年、国道16号線(現在の国道26号線)、及び都市計画路線の開通をりゆうとして、住吉新地は新名月の菖蒲園(現在の御崎町1丁付近)への移転を命じられる。この頃に住吉新地は最盛期を迎えることとなる。
5、太平洋戦争による人手不足から、花街としての機能が失われ、住吉新地は一度営業を停止する。その後、終戦の年の昭和20(1945)年に起きた大阪大空襲により、被害を受けた他の花街から芸妓のみならず娼妓も流入し、住吉新地が営業を再開した時には芸娼入り混じった花街となっていた。
6、昭和33(1958)年の売春防止法の施行により、住吉新地は花街としての機能を失うが、住吉新地に存在した茶屋は旅館、あるいは貸し間として営業を続ける。料理屋は風紀的な問題を持たない為営業を続けることも多かったが、次第に客足が遠のく中、そのほとんどが営業をやめ現在は民家として存在している。今でも、町のところどころに花街の遺構が残ってはいるが、花街としての要素は皆無に等し。現在は、住宅地としての住吉区、住之江区が存在している。

 


【目次】
序章 問題の所在-------------------2
はじめに---------------3
第1章 住吉大社と住吉新地---------------------4
第2章 花街としての住吉新地---------------------9
 第1節 芸妓・娼妓・雇仲居---------------10
 第2節 茶屋の世界-------------12
第3節 花街を支えたさまざまな仕事-------------18
第3章 住吉新地のゆくえ-----------------22
結語-------------------------------25
謝辞-------------------------------27
文献一覧---------------------------28

【本文写真から】

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写真1 大正~昭和初年頃の住吉公園内茶屋料亭図
*れすとらん 源ちゃん 子田憲一氏 私物

 

 

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写真2 江戸時代~昭和9年(菖蒲園への移転)までの住吉新地の大まかな変遷(黄色/江戸時代、桃色/明治時代~大正時代、赤色/大正時代~昭和時代、青色/昭和時代)
*『google map』(https://www.google.co.jp/maps,2019年1月8日現在)に加筆。

 

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写真3 前列左から2番目が廣田家2代目大木戸福蔵氏、周囲の女性は雇仲居、芸妓
*廣田家 大木戸豊氏 私物

 

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写真4 松栄亭前でポーズをとる当時の芸妓
*松栄亭経営者子孫 小室由起子氏 私物

 

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写真5 現在も残る住吉新地の遺構(2019年1月4日撮影)

 

【謝辞】
本研究を進めるにあたり、沢山の方にご協力を賜りました。
お忙しい中聞き取り調査にご協力頂きました、れすとらん 源ちゃんの子田憲一様、松栄亭の小室由起子様、向久美子様、廣田家の大木戸豊様、その他、現地でインタビューさせて頂きました多くの方に、そして、論文執筆が一向に進まない中、温かくご指導いただきました島村恭則教授に感謝を申し上げます。