関西学院大学 現代民俗学 島村恭則研究室

関西学院大学大学院 現代民俗学 島村恭則研究室

玩具と花火―立岩商店と宝屋/キッズハウス―

社会学部 小谷 悠


【目次】
はじめに
1.立岩商店
2.宝屋/キッズハウス
結び
参考文献
謝辞



はじめに
 長崎は、他県に比べて花火の使用量が圧倒的に多い。それは、花火を使用する長崎特有の盆行事のためである。長崎では、盆の墓参りは日が暮れてから行われる。墓前に親戚が集まり飲食をしながら語り合う。その傍らで、花火をするというのが一般的なスタイルなのである(長崎文献社刊 1982)。
 また、精霊流しの際にも花火が使用される。精霊流しとは、毎年8月15日に行われ、墓前に死去した人の遺族が故人の霊を弔うために手作りの船を造り、船を曳きながら街中を練り歩き、極楽浄土へと送り出すという長崎の伝統行事だ。この際、大量の爆竹や花火が使用される。
 本論文は、長崎と花火の関係に着目して花火専門店・花火を扱う問屋/玩具屋をフィールドとし、調査を行うことによってそこから見える社会の変化について考察したものである。今回調査を行った花火専門店である立岩商店、問屋兼玩具屋である宝屋/キッズハウスの移り変わりとともに、変化していく社会について述べる。


1.立岩商店
 立岩商店は、1917年に長崎市寺町にて開業した花火専門店である。その後、現在の賑町へと移転するが、原子爆弾の影響により1945年、家屋が焼却。落ち着いた頃、同じ場所に店を再建する。それが、今の立岩商店である。現在は、4代目が経営している。
 元々は、花火専門店ではなく花火も扱っている玩具屋で、駒やけん玉、食玩や駄菓子を扱っていた。しかし、ここ数年ほとんど玩具は扱っておらず、花火が主である。昔は駄菓子の卸売もしていたが、現在では小売店がほとんどなくなり、卸の需要がなくなったため行っていない。これは24時間開いており、いつでも欲しいものが買えるといったコンビニエンスストアやスーパーマーケットの出現が要因であると考えられる。
 現在は1階のみの営業だが、昔は2階で雛人形五月人形などを売っていた。しかし、30年ほど前に立岩商店の近くに「人形たていわ」を開業し、人形はこちらのみで扱われるようになった。立岩商店4代目の弟が経営しており、「人形たていわ」としては、現在1代目である。こちらでは人形の他、精霊船精霊船用の花火も取り扱っている。かつて人形が売られていた2階は、現在倉庫となっており、打ち上げ花火などの在庫や、オンラインショップ用の花火を置いている。またシーズンオフの時期には、花火は2階にあげており、1階にはくじ引きやこま、けん玉などを置いている。

写真1.立岩商店の外観(1)

写真2.立岩商店の外観(2)

写真3.人形たていわ の外観
 立岩商店では、400〜500種類もの花火を取り扱っており、ほとんどが単品で売られている。ここに買いに来る客は、セット花火よりも単品で買っていく方が多いようだ。1つ1つの花火に丁寧に手書きのポップが用意されており、ポップを見ただけで客は花火の種類や現象が分かるようになっている。これは金城枝利子氏によるもので、パソコンの文字よりも味がある、読んでもらいやすいといった理由から手書きにこだわっているという。金城枝利子氏は「1つ1つの現象を書いておかないとおお客さんがわからない。400〜500種類という膨大な量の花火を取り扱っているので、一目見てどんな花火かわかってもらえるように。」と語る。
 また手書きのポップの他にも、客が飽きないように新製品を毎年入荷したり、わかりやすく種類ごとに花火を綺麗に陳列したり、客に見合ったセットを作るなどと、様々な工夫をしている。
 ディスカウントストアで安く売られているようなセット花火は、友人などと楽しむのには適している。しかし値段が安い分、燃焼時間は短く変色も少ない。これに対して、単品の花火は1本で120秒燃えるものや、変色が多いなど、比べてみると違いがよくわかる。「この違いを長崎県民はよく知っているので、長崎の人はセット花火はあまり買わないのでは。」と金城枝利子氏は語る。

写真4.単品で売られている花火(1)

写真5.単品で売られている花火(2)

写真6.花火のポップ(1)

写真7.花火のポップ(2)

写真8.立岩商店の内観

写真9.子ども向けコーナー
 現在は1フロア全体に花火を置いているが、昔は店の一部分にしか花火を置いていなかった。現在のような形になったのは、4代目が店を経営するようになってからだ。花火の需要が増える一方で、大きな玩具店の出現により人々はそこで玩具を買い求めるようになり、立岩商店では玩具の需要が減っていった。花火の需要が増え、花火の取り扱いを増やすと、玩具を置くスペースがなくなる。こうして、現在ではほとんど玩具を取り扱わなくなったようだ。
 また、4代目に代替わりした頃から、オンラインショップを始めるようになった。オンラインショップでは北海道から沖縄まで、全国の人々が花火を注文していく。特に、近隣の福岡や佐賀の人が多いようだ。オンラインショップを始めたことにより、花火は1年中売れるようになった。シーズンオフの時期には、結婚式場やスキー場の関係者が花火を買っていき、年中売れているのはケーキ用のスパークのようだ。
 立岩商店では繁忙期である夏、特に盆の時期には10人程度のアルバイトを雇う。インターネット対応やレジ、接客と役割分担をしているが、それでも繁忙期は「ごちゃごちゃ、てんやわんや」だという。盆の3日間に集中して客が来るのだが、店の外に客が並ぶほど来店客が多い。オンラインショップでも、1日100件程度、毎日のように出荷する。また、1人あたりが買っていく量は決まっておらず、精霊船に使う花火は数十万円、多いところは数百万円もの花火を買っていく。精霊船以外の使用目的であっても、1万円ほど買っていくのが一般的のようだ。話者は「他の県とは感覚が違う」という。
 話者自身も昔は盆行事として、墓前に親戚が集まり食事や花火をしていたそうだが、最近では店が忙しくてなかなか盆行事ができないそうだ。
 精霊船に使う爆竹は全て中国産だが、花火は昔よりも確実に国産のものが多くなった。昔は花火といえば、人件費が安いという理由から中国産が一般的であった。立岩商店では、国産花火は人気商品であり、夏になると国産花火のコーナーを作る。国産の線香花火セットが特に人気で、贈答にも喜ばれる。国産の花火は、外国産に比べて質がよく、燃焼時間が長い。これらは、大人に好まれる。子どもは質の善し悪しよりも、パッケージで選んでいくようだ。盆行事以外に、夏の娯楽として花火を買っていく人も多い。彼らもまた、ディスカウントストアでよく売られているセット花火ではなく、単品で花火を買っていく。
 上でも述べたように、立岩商店ではオリジナルの花火を取り扱っている。ここでは、「長崎ぶらぶら」と「長崎ロマン」の2つの花火を紹介する。「長崎ぶらぶら」は、2006年に開催された「長崎さるく博」を記念して作られた(写真10)。そして、「長崎ロマン」は、「夜景サミット 2012 in 長崎」において、長崎の夜景が「世界新三大夜景」に認定されたことにちなんで作られた(写真13)。このように立岩商店では、長崎にちなんだオリジナルの花火を作っている。

写真10.立岩商店オリジナルの線香花火「長崎ぶらぶら」

写真11.「長崎ぶらぶら」の説明(1)

写真12.「長崎ぶらぶら」の説明(2)

写真13.立岩商店オリジナルの花火「長崎ロマン」

写真14.「長崎ロマン」の説明
 また立岩商店は、昔に比べて扱う量は減ったものの、こまやけん玉も取り扱っている。こまは、熊本で手作りされたものを売っている。けん玉は、最近また流行り始めているため、買っていく人が増えたようだ。これらは幼稚園で使用するために購入する客や、懐かしさで購入していく年配者が多いようだ。手作りこまはオンラインショップでも販売しているのだが、こま自体が今では珍しいからか、よく売れるという。島原こまや佐世保こまなど長崎特有のこまが一番売れており、県外からきた人もこれらのこまを買っていくそうだ。
 昔は正月になるとこまが売れていたようだが、現在では正月にこまをするという人も減ってしまったため、昔に比べると購入する人も減ってしまった。加えて、こまの作り手自体も減りつつあるようだ。

写真15.玩具コーナー

写真16.けん玉
 毎年、様々な種類の花火が新製品として世に出てきている。昔はシンプルな花火が多かったが、最近は変わり種など仕掛けの多いものや、凝った花火が増えてきている。近年はゲームなど、娯楽が増えてきており、人々が飽きやすくなってしまった。花火もシンプルなものだと人々はすぐに飽きてしまうので、変わり種など凝ったものを人々は求めているのかもしれない、と話者は推測している。花火の作り手も、客を飽きさせないように試行錯誤している。時代や社会の移り変わりとともに、花火も変わっていくのである。
 立岩商店でも、毎年20〜30種類の新製品を入荷している。そのためリピーターも飽きることなく、毎年花火を買いに来ることができる。扱う花火の種類を増やすことで、客が商品を選ぶ楽しさが増えるのである。
 ディスカウントストアでは、基本的に花火はセットものしか売られていないが、立岩商店に来ると1本10円から単品で花火を買うことができる上に、打ち上げ花火や線香花火など幅広く買うことができる。すると、立岩商店に来て商品を選ぶ楽しさが増えるので、立岩商店の需要も増える。そして店側も、需要に応えるために花火の種類を増やす。立岩商店ではこのような好循環が生まれているのである。

写真17.変わり種花火の説明

写真18.変わり種花火

写真19.打ち上げ花火
 花火の種類が増える一方で、「昔に比べて花火をする場所が減ってしまった。昔はどこでもできたのに。」と話者は語る。とはいえ、花火専門店から見ると、花火をする子どもが減ったというわけではないようだ。現在でも子どもが花火を買いにくることはよくあり、お小遣いをにぎりしめて100円分程度の花火を単品で選び、買っていくようだ。
 花火をする場所は、昔と比べて少なくなってしまったが、現在も昔と同じように子どもも大人も花火を楽しんでいるのである。


2.宝屋/キッズハウス
 宝屋/キッズハウスは、夫婦で経営している卸売屋/玩具屋である。宝屋は卸売屋で、キッズハウスでは玩具や駄菓子を取り扱っている小売店だ。また、宝屋とキッズハウスは隣接しており、道路に面した側がキッズハウス、裏側が宝屋となっている。
 子ども相手に商売をするにあたり、宝屋という名前では堅い、という理由からキッズハウスという名前がつけられた。宝屋の由来については、先代がつけたため不明である。
 宝屋は現在2代目で、先代が亡くなった平成18年頃に2代目が後を継いだ。元々、現在店がある場所ではなく、江戸町で賃貸物件を借り、卸売屋のみ経営していた。しかし、長崎県庁が近く車が停めにくい場所であったことや、江戸町よりも自宅倉庫の方が大きいという理由から、平成8年10月ごろに江戸町の卸売屋を閉め、現在の自宅にて店を経営するようになった。
 また、平成4年頃から卸売屋と併用して小売店を経営するようになる。車に玩具をのせて、江戸町の卸売屋から自宅の倉庫に運んでいることを知った近所の子どもが、自宅を訪ね、玩具を売って欲しいと言ってくるようになった。これをきっかけに、小売店を併用して経営すれば、卸売業に関しても売れ筋がわかるのではないかと考え、小売店キッズハウスの営業を開始した。キッズハウスは、現在1代目である。

写真20.キッズハウスの外観

写真21.宝屋の外観

写真22.道路側がキッズハウス、裏側が宝屋となっている

写真23.子どもたちが駄菓子を買っている様子
 キッズハウスの近くには学校があるため、近所の子どもたちがよく訪れる。現在は、夫婦2人で経営しているが、先代が経営していた頃は、従業員は6、7人いたそうだ。従業員は身内のみで、子どもたちの人数が多かったため、今よりも人手が必要だった。
 時代とともに小売店が減り、コンビニエンスストアやスーパーマーケットが増え、子どもたちはそちらで駄菓子を買うようになった。それに加えて、子どもたちの人数が減ってしまった。昔は1学年5、6学級あったが、現在では1学級程度。これが、小売店が減ってしまった一番の原因である。
 子どもが減ってしまった今、宝屋及びキッズハウスは「この代でおしまい」だそうだ。これに関して、A氏は以下のように語っている。

 継ぐ者もいないし、継ぐ者がいたとしてもやめなさいって言う。子どももこれ以上増えないしやっぱりなかなか。卸を生業にするほど小売店が増えていくこともないかな。子どもがいなくなることはないから、この卸業はなくなることはないって先代は言ってたけど、そのときは確かにそうだったんだろうけど。今もいなくなりはしないけど、商売をやっていく中で、ちっちゃいパイの実をみんなで食べている感じだから。どこの商売もそうだと思うけど、残っていくのはやっぱり大手かな。

 また現在は、子どもたちが塾や学童保育によって管理されるようになり、その上、子どもが巻き込まれる事件が増え、親が子どもを管理するようになった。放課後に買い食いすることを学校や親から禁止され、また学校が終わると学童保育や塾へ行き、それが終わると親が迎えに来る。子どもたちが放課後に遊ぶという時間は減ってしまったのだ。このようにして、平日の客は昔と比べて減ってしまった。
 このように、様々なものが組織化され、私たちはあらゆる面で管理、制限されるようになってしまった。花火に関しても同じことがいえる。宝屋では夏のみ、花火を季節の商材として扱っているが、花火は昔ほど売れなくなってしまったようだ。昔は夏休みになると、公演や墓で花火を楽しむ子どもたちが多く見られたが、現在ではうるさい、危ないなどという理由から学校や地域が花火を禁止してしまい、昔と比べて花火をやらなくなってしまった。「社会的にいろんな事情があるんでしょうけどね。」とA氏はいう。A氏が子どもだった頃は、墓や公園で花火を鳴らしていた。しかし、最近では公園で花火はできなくなってしまった。すると、必然的に花火の需要が減ってしまう。
 長崎は境内の中だけではなく、民家の隣や坂の途中に多くの墓がある。かつてはそこで花火を鳴らす子どもが多く見られた。しかし現在では、墓は霊園などに管理されており、花火や爆竹は禁止されるようになった。このようにして、花火をやる場所は減っていった。
 しかし長崎の場合、盆の時期は花火が鳴るのは当たり前で、その時期だけは花火を鳴らしても何も言われないようだ。
 花火の需要が減ってしまった今、花火を鳴らせる子どもは少なくなってきたようだ。花火をする場所が減り、花火をすれば危ないと言って止められる。そうすると必然的に子どもたちは花火をしなくなり、花火のやり方もわからなくなってしまう。このような悪循環から、子どもたちは花火から離れていってしまったのである。
 この他にも、花火に関して悪循環が見られる。長崎では単品の花火が多く見られるが、ディスカウントストアではセット花火が基本である。そこで売られているようなセット花火は値段が安く、人々も買いやすい。しかし、値段を安くするためには花火の火薬量を減らす必要がある。そうすると、燃焼時間は短くなってしまい、すぐに火が消えてしまう花火に対して、子どもたちは「おもしろくない。」という印象を持ってしまう。そして子どもたちは花火から離れていき、ますますやり方がわからなくなってしまう。おもしろい花火は数多くあるのだが、花火離れが進んだ今、子どもたちはそれを知らずに育ってきている。様々な原因が絡み合い、子どもたちは花火をやらなくなってしまったようだ。
 A氏は、20年前と比べて変わったこととして以下のように語る。

 子どもに限らず、対面販売に慣れていないんでしょうね。「おばちゃんこれください。」「これ何本ください。」って言えない。結局スーパーやコンビニで買い慣れている子どもはこういうところに来たら、何を買っていいのかわからない。買い方がわからない。直接私に「これいくらですか。」「これ何ですか。」って聞けない。友達ときて友達とこそこそ話すだけ。黙ってこそーって入ってくる。昔はガラッとドアを開けて「おばちゃん!」って。昔の子どもは気配があったよね。自動ドアですーっとドアを開けて、すーっと入ってくるのに慣れてるのかも。あと「ごめんください。」って言葉を聞かなくなった。もう死語なのかもしれない。親と一緒に来て、「何個まで?」っていう会話をする。親も店の商品が10円とかって知らないから、「3個まで。」っていう。スーパーだと3個買えば300円くらいするけどうちだと駄菓子は1つ10円とかだし。子どもはコンビニとかスーパーとかに慣らされているんじゃないかって感じはする。

 スーパーマーケットやコンビニエンスストアの出現は、小売店や子どもに大きな影響を与えているようだ。A氏が語るように、子どもたちはコンビニエンスストアなどに慣れてしまっている。そこでは、店員と会話することなく、商品をレジに持っていき、代金を支払うだけで商品が買える。それに対し、対面販売では店員と会話をする場面が多い。しかし、子どもたちはこれに慣れていないため、対面販売の店では戸惑ってしまうようだ。また、コンビニエンスストアなどでは自動ドアが多い。昔は自分の手でドアを開け、元気よく挨拶しながら店に入ってくる子どもが多かったようだ。
 小さい頃からキッズハウスに通っていた子どもたちも、中学生になるとコンビニエンスストアに行くことが多くなるという。中学生になると子どもたちは、部活などで帰りが遅くなる。キッズハウスは18時で閉店してしまうので、子どもたちはコンビニエンスストアに行くことが多くなってしまうのである。
 小売店に買いに来る子どもたちが少なくなったのは、子どもたちが駄菓子を買わなくなったからではなく、コンビニエンスストアなどで駄菓子を買うようになったからだろう。

 みんなが駄菓子を買わなくなったわけじゃない。中学生や高校生はコンビニとかで買っているんだろうと思いますけどね。「おばちゃん久しぶりにきたー。」ってたまにこっちに来るくらい。やっぱりあっちの方が綺麗だからね。なくなってしまって、ああ、あったらよかったなあ、あったらよかったのにって思うんでしょうね。なくなって初めて大切さに気づく。駄菓子屋はそのうちなくなりますよ。残るのはコンビニとか大手の駄菓子屋とかそういうの。

と、A氏は語っている。
 もちろんキッズハウスには、駄菓子を求めて子どもたちがやってくる。加えて、子供時代にキッズハウスに通っていた人が、親となって駄菓子を買いに来ることもあるそうだ。

写真24.駄菓子コーナー

 キッズハウスで売られている玩具は、ゲームなどではなく昔ながらの玩具が多い。10年ほど前はミニ四駆など、自分ではめ込んで作るタイプの玩具が売れていた。しかし、最近では手先を使って作る玩具は、面倒くさいと思われてしまっているようだ。はめ込むだけで簡単に作ることのできる玩具でも、子どもたちは作れなくなっているという。子どもたちは、説明書を読もうとしないのである。
 昔は、はめ込み式の簡単な玩具やプラモデルを作る際、年上の子どもが年下の子どもに作り方を教えてあげ、一緒に遊ぶという光景がよく見られたようだ。しかし、今ではそのような光景はほぼ見られない。そもそも、公園で子どもたちが遊ぶということがほとんどなくなってしまったのである。玩具の作り方を教えてあげるなど、遊びを通して年齢の違う子どもたちが交流することは、減ってしまった。
 これらは、ゲームの普及が一因だろう。ゲームは、説明書を読まなくても簡単に遊ぶことができる。これに対して、「説明書を読まなくてもできるっていうのは、いいことだと思うけど。基本的にそういう先のことを考えて、想像して作るっていうのが少なくなってきた。」とA氏は語る。説明書を読まなくても遊ぶことのできるゲームに慣れてしまった子どもたちは、説明書なくしては作ることができない玩具を面倒くさいと思ってしまうのだろう。こうして子どもたちはプラモデルなどを作らなくなってしまった。ここでも悪循環が見られる。
 このような玩具は今では売れないというわけではない。とはいえ、親が子どもに買い与えるために買っていくことや、バザーの景品で大人が買うことがほとんどで、子どもが自ら買いに来るということはほとんどないようだ。昔ながらの玩具を子どもたちはあまり買っていかない。
 また、プラモデルに関しては、プラモデル作りが趣味の年配者が買っていくことが多いそうだ。模型クラブなど、趣味の同好会に所属している人も多い。インターネットが普及してからは、インターネットでキッズハウスのことを知り、希少価値の高いプラモデルを求めて遠方からも客が訪ねてくるようになったという。宝屋の倉庫に長い間置いていた、希少価値の高い昔のプラモデルをキッズハウスで売ると、その情報をインターネットで得た人が、県外からもそれを求めて買いに来るようだ。「22年もやっているから希少価値の高いものもどんどんなくなってきているんでしょうけど、それがなくなったらここもおわりですよね。」とA氏はいう。

写真25.プラモデルコーナー

写真26.はめ込み式の玩具

写真27.昔ながらの玩具
 社会の変化とともに、私たちは管理されるようになり、あらゆる面で行動を制限されるようになってしまった。それに伴い、子どもたちの遊び方や過ごし方にも多くの変化が見られる。また、コンビニエンスストアやスーパーマーケットの出現によって、子どもたちの過ごし方やあり方は大きく変わってしまったようだ。


結び
 本調査では、長崎市の花火屋及び、玩具店をフィールドとして実地調査を行うことによって、以下の事柄が判明した。
・花火をする場所は減ってしまったが、大人も子どもも昔と同じように花火を楽しんでいる。
コンビニエンスストアやスーパーマーケットの出現は、小売店や子どもたちの過ごし方に大きな影響を与えた。
 1.小売店の減少
 2.子どもたちの気配の変化
・社会は管理されるようになり、それに伴い子どもたちの遊び方やあり方にも大きな変化が見られるようになった。


参考文献
・1982,「長崎事典〈風俗文化編〉」長崎文献社刊.


【謝辞】
 本論文の執筆にあたり、多くの方々に調査のご協力をいただきました。
 お忙しい中貴重なお話を聞かせてくださった、古賀さちこさん、金城枝利子さん、宝屋/キッズハウスの皆さん。また、上記以外の方々にも、調査にご協力して下さった全ての方々に心よりお礼申し上げます。これらの方々のご協力なしには、本論文は完成にいたりませんでした。本当にありがとうございました。