関西学院大学 現代民俗学 島村恭則研究室

関西学院大学大学院 現代民俗学 島村恭則研究室

風土病の民俗学―六甲山東麓における「斑状歯」をめぐって―

風土病の民俗学―六甲山東麓における「斑状歯」をめぐって―

谷岡優子


【要旨】
 本研究は、兵庫県西宮市山口町船坂および宝塚市をフィールドに、六甲山東麓の風土病「斑状歯」について実地調査を行なうことで、村落部船坂と都市部宝塚における、斑状歯をめぐる人びとの病いの語り、そして斑状歯の原因となる水と人びととの関係性について検討したものである。本研究で明らかになった点は、つぎのとおりである。

1.日本各地には古来より、多様な病いが存在したが、その中である病いが一定地域に持続して多発する場合、その病いは「風土病」と呼ばれる。風土病は、病いの発生後、その地域の住民の生活様式に大きな影響を与え、その土地ならではの「病いの文化」を残す。この風土病について、医学領域における研究は一定量存在するものの、人文社会領域における研究はほとんど存在しない。さらに、風土病と相性の良いはずである、人びとの多彩な暮らしを研究対象とする民俗学領域においては、ほぼ手つかずの状態である。

2.今回の対象となる「斑状歯」とは、一定量(0.8ppm)を超えるフッ素を日常的に摂取することによって発生する歯の異常である。この病いは、全国の花崗岩の多い地域(温泉、火山、鉱山、渓谷など)などの地域で発見されている。兵庫県下では、武庫川支流付近の地域で多く発見されている。また、日本各地の斑状歯のなかには、民間で発見された病いの特徴から、「なすび歯」、「ハクサリ(歯腐り)」、「ヨナ歯」、「クイヤミ(喰い止み)」という俗称で呼ばれてきた地域もあり、今回のフィールドである船坂では「なすび歯」と呼ばれている。

3.兵庫県南東部、西宮市の北部に位置する船坂では、昭和32年に集落内に水道がひかれるまで、集落内の各字ごとに井戸や水源地を持ち、字ごとに共同で管理を行ない、使用していた。船坂において、「なすび歯」は昔から船坂の住民に見られる病いであったが、その中でも特に、ねずみがわらから水を引き、貯水槽に溜めて利用していた、旧字「亥角」の住民に多く、貯水槽の水を生まれた頃から毎日飲んで利用していた住民は皆なるものと云われている。

4.船坂では、なすび歯に関する語りとして「ナスのたたり」と呼ばれる伝説が伝わっており、この伝説は、民俗学の領域における、いわゆる「異人殺し」という類の伝説である。この「異人殺し」伝説が、船坂では「船坂のナスの来歴」や「なすび歯の発生理由」を説明するために用いられている点で興味深いが、これをさらに分析すると、元々船坂に存在した「なすび歯」と呼ばれる風土病と、船坂で行なわれていた「ナスの栽培」というまったく別の2つのものが、「ナス」という共通性から結び付けられ、この両者に絡む疑問を解消するために、全国で語られる「異人殺し」の伝説の様式に流しいれられ、新たなナスの「異人殺し」として語られるようになったことが考えられる。

5.村落部船坂における水は、住民たちの手によって直接管理・給水・使用されていた「近い水」である。なすび歯を患った亥角の住民たちにとって、近場にある水で十分適した水量・水質を持つ水はねずみがわらの水以外に無く、そのため自身でこの水を選択した。それからの生活は、このねずみがわらの水によって成り立ち、この水は彼らの生活世界の一部となる。この水に問題が含まれていたとしても、自身が選択し、それによって生活が成り立つ以上、住人は水ごと問題を受け入れるしかない。これが、船坂における「近い水」と斑状歯の関係性である。

6.兵庫県南東部、武庫川中流域の都市である宝塚市は、明治から昭和にかけて行なわれた宝塚温泉の開発、そしてそれに伴う交通の発達によって栄えた都市である。しかし、この時に行なわれた、さまざまな企業による無計画な観光地開発そして住宅地開発は、宝塚の人口を一気に急増させ、宝塚市はこれを支えるための水源地の開発に追われることとなる。後年、この水源地開発によって表面化した病いが斑状歯であり、宝塚市ではこの病いをめぐって「宝筭斑状歯問題」が発生する。

7.宝塚斑状歯問題は、宝塚市逆瀬川沿いにある野上地区の市立西山小学校を中心に発生した問題である。昭和46年5月、この小学校に通う児童の多くに斑状歯の症状が認められると、担当歯科医によって公表されたのをきっかけに、昭和46年から昭和50年代にかけて、市民と市の間では斑状歯の認定と治療をめぐって争いが行なわれた。昭和50年8月、「宝塚斑状歯の認定及び治療補償に関する要綱」が告知され、その後も何度か認定要綱の見直しがあったが、これを機に斑状歯問題は収束に向かった。

8.都市部宝塚における水は、船坂の「近い水」とは異なり、住民は直接水の管理を行なわず、中間組織である行政や水道局によって管理され、給水される水を受け取る「遠い水」である。遠い水の場合、水は、住民たちの住む生活世界の外部から運ばれてくるものであり、彼らの生活世界の一部には含まれない。さらに、住民自身ではない別の存在によって、水が選択され、見えない管理が行なわれている。住人自身がその過程に関与することはないため、水になにか問題が発生した時、住民たちは病いを受け入れず、水と自身の中間にある中間組織に責任を求めるのである。これが宝塚における「遠い水」と斑状歯の関係性である。

9.最後に両地域の住民が、双方の斑状歯について、どのように認識しているかについて述べておく。筆者の現地調査の範囲内ではあるが、村落部船坂の人びとは、宝塚市における斑状歯問題について、現在にいたるまでその存在を知らず、また、都市部宝塚の人びとも、船坂における「なすび歯」の存在について知らなかった。

10.つまり、六甲山東麓下において、水という同じ原因からなる、「斑状歯」という同じ風土病を患ったにもかかわらず、村落部と都市部とでは、人びとの病に対する認識やその反応に大きな相違が認められる。また、この認識や反応の違いはもとより、双方における病いの存在自体についても、互いに認識にしていないという実態があるのである。



【目次】


序章 ―――――――――――――――――――――――――――─―5

 第1節 問題の所在‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥6

 第2節 風土病と民俗学‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥6

  (1)日本の風土病‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥7

  (2)風土病をめぐる民俗学的研究‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥9

 第3節 風土病としての斑状歯‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥11

  (1)全国の斑状歯‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥11

  (2)六甲山東麓の斑状歯‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥15

 
第1章 村落部の斑状歯―――――――――――――――――――――─――17

 第1節 船坂‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥18

  (1)船坂集落‥‥‥‥‥‥‥18

  (2)船坂の斑状歯‥‥22

 第2節 異人殺し伝説‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥25

 第3節 「近い水」と斑状歯‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥29

  (1)「なすび歯」の語り‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥29

  (2)「水」の記憶‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥34

 
第2章 都市部の斑状歯―――――――――――――――――――─―43

 第1節 宝塚の近代‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥44

  (1)温泉の開発‥‥‥‥‥‥‥‥46

  (2)住宅開発と水道事業‥‥‥‥‥49

 第2節 「遠い水」と斑状歯‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥61

  (1)斑状歯の発見‥‥‥‥‥‥‥‥63

  (2)市民運動‥‥‥‥‥‥‥67

  (3)認定と治療‥‥‥‥‥‥‥‥74

(4)「遠い水」と斑状歯‥‥‥‥‥‥‥‥76

  (5)村落部の斑状歯・都市部の斑状歯‥‥‥‥‥‥‥‥79



結語―――――――――――――――――――――――─――――――――――85


文献一覧―――――――――――――――――――─――――――――――――89



【本文写真から】


船坂の景観


旧字「モミノキ」の取水地「シミズ」


船坂の名産品。当時の名産品にナスは含まれていない


旧字「亥角」の取水地「貯水槽」跡


【謝辞】
 本論文の執筆にあたり、多くの方々のご協力をいただいた。
 お忙しいなか、亥角のなすび歯や貯水槽についてのお話を聞かせて下さった、北福宏行氏、坂田芳郎氏、野口品子氏、野口照之氏、森畠登代子氏、ほか調査にご協力いただいた山口町船坂の皆さん。地名「ハクサリ」に関する情報、斑状歯問題に関する多くの資料を提供してくださった宝塚市水道局の皆さん、西宮市水道局の皆さん。「ハクサリ」や「斑状歯から子どもを守る会」の活動に関するお話を聞かせて下さった、信長正義氏、信長たか子氏。これらの方々のご協力無しには、本論文は完成にいたらなかった。今回の調査にご協力いただいた全ての方々に、心よりお礼申し上げます。本当にありがとうございました。