関西学院大学 現代民俗学 島村恭則研究室

関西学院大学大学院 現代民俗学 島村恭則研究室

頭屋と保存会ー吹田市吉志部神社「どんじ祭り」の事例ー

武藤菫

 

【要旨】

 

本研究は、大阪府吹田市の吉志部神社をフィールドに、この神社で行われる宮座神事「どんじ祭り」と祭祀組織である宮座の旧頭屋およびどんじ保存会について調査を行うことで、祭祀組織の変遷と現代においての実態を明らかにしたものである。本研究で明らかになった点はつぎのとおりである。

 

1.南地区は戦前どんじが中断されるまでは堀内・森岡・堀内・並田の4軒、どんじ復活の1990年は南地区に残っていた森岡と堀内が頭屋を勤め、2008年まで2軒で1年交代に頭屋を勤めた。堀内氏の死後2年にわたって森岡のみが頭屋を勤めた後、1軒のみでの継続が困難となり森岡氏が南吉志部奉賛会に加入し南どんじ保存会が結成された。

 

2.小路地区は戦前まで西島・速水・平田・奥田の4軒、どんじ復活時の1990年には小路に残っていた西島が頭屋を勤めた。西島氏と宮司の数年にわたる協議の結果、1996年に小路のどんじを移譲することに西島氏が了承し、1998年に小路どんじ保存会が結成された。

 

3.東地区は戦前まで東村の中西・岸本・竹原・阪本・奥・岸本・野口の7軒と七尾村の1軒が頭屋を勤めており、1990年には7軒の旧頭屋のうち中西が頭屋を勤めた。その後7軒によって2006年まで簡略化した形式で祭りが行われた。どんじ再興について竹原氏と宮司の協議の結果2007年から再興が決定したが、継続が困難であるため中西・奥・岸本・野口の4軒は頭屋を辞めることになった。残った岸本・竹原・阪本の3軒は祭りの継続が困難なため東奉賛会に加入するとともにどんじを移譲し、東どんじ保存会が結成された。

 

4.どんじ保存会が以前は頭屋の仕事であった祭具の作成、神饌の調製、奉納にあたる神事への参列を行うことで頭屋の役割を担い、どんじ祭りを継続させていること。

 

5.3つの地区のどんじ保存会は共通して「祭具の材料調達」「どんじ祭り・祭具作成の経験者不足」「祭り全体の人手不足」という課題を抱えていること。

 

【目次】

 

序章 問題の所在

 

第1章 吉志部神社とどんじ祭り

 

第1節 吉志部神社

 (1)吹田市岸部と紫金山

 (2)神社の歴史

 (3)七間社の社殿

 (4)祭神・年中行事

 

第2節 どんじ祭り

(1)祭りの概要

(2)人身御供伝説

(3)特殊神饌

(4)どんじ講・頭人仲とどんじ保存会

 

第2章 南村

 第1節 頭屋の変遷

 第2節 保存会の登場

 

第3章 小路村

 第1節 頭屋の変遷

 第2節 保存会の登場

 

第4章 東村

 第1節 頭屋の変遷

 第2節 保存会の登場

 

結語

 

文献一覧

 

謝辞

 

【本文写真から】

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写真1 吉志部神社

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写真2 どんじ祭りで奉納された神饌

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写真3 1990年どんじ祭り復活時の東地区の様子(東どんじ保存会提供)

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写真4 『御官當番書』當番之次第  (「當番之次第」という文字の後に右から堀内、森岡、堀内、並田の4名の頭屋が記載されている。)

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写真5 祭り前日 注連縄が飾られた小路地区旧頭屋の西島家




【謝辞】

本論文の執筆にあたり多くの方々にご協力いただきました。お忙しい中どんじ祭りの前日・当日ともに随行させていただき、お話を聞かせてくださった吉志部神社の奥田様。調査に快くご協力くださった小路どんじ保存会の西川様、南どんじ保存会の森岡様、東どんじ保存会の岸本様、どんじ保存会の皆様、吹田市立博物館の藤井様。皆様のご協力がなければ本論文は完成に至りませんでした。今回の調査にご協力いただいたすべての方に心より御礼申し上げます。本当にありがとうございました。