関西学院大学 現代民俗学 島村恭則研究室

関西学院大学大学院 現代民俗学 島村恭則研究室

現代の番屋 -室蘭漁協自営定置番屋の事例-

 社会学部 3回生 今井美希

 

【目次】

1.室蘭漁協自営定置番屋(追直漁港)

2.船頭夫妻

2-1船頭

2-2船頭の妻

3.番屋の漁師たち

4.番屋での暮らし

4-1間取り

4-2食事

4-3休日の過ごし方

結び

謝辞

参考文献

 

 

はじめに

 番屋とは漁師が泊まる小屋のことである。北海道では漁が盛んだったため、漁夫住宅である番屋が多く存在した。「ニシン漁で繁栄した日本海沿岸には、一般的に豪壮で、土間を挟んで親方の家族と漁夫のすまいを一体とし」(駒木定正 2015:178)ていた。その例として小樽市にあり、現存する最古の番屋である旧白鳥家番屋があげられる。この番屋では、漁夫は寝泊まりするだけであり、住み込んでいたわけではなかった。一方で「道南の渡島では、マグロ・イワシ漁が盛んであり、切妻・平入に軒を出桁として玄関脇に洋風の出窓を設ける事例が多くみられる」(駒木定正 2015:178)。このように番屋といっても地域によって形態や造りが異なっていることがわかる。では現代の番屋ではどのような形態がとられているのだろうか。そこで実際に利用されている室蘭漁協自営定置番屋に足を運び調査を行った。

 

1.室蘭漁協自営定置番屋(追直漁港)

 北海道室蘭市の漁港の一つである追直漁港には室蘭漁協自営定置番屋がある。そこには1隻の船"北漁丸"で漁をする8人の漁師と住み込みで働く船頭の奥さんが暮らしている。

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写真1:室蘭漁協自営定置番屋

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写真2:北漁丸

 この番屋の仕組みは、漁協に雇われる形で、漁協が提供する番屋に住み込み、漁協が提供する船"北漁丸"に乗って漁をするというものである。つまり漁協に雇われていない者は番屋には住むことが できず、実際に室蘭市にある自宅から漁をする方を何人か見かけた。また、室蘭市にある、イタンキ漁港、崎守漁港、絵鞆漁港にも番屋が存在しているが、番屋同士の関わりはない。

 この漁港では9月〜12月の初め頃に定置網によりサケを捕り、その漁が終わり次第"解散"、4月の漁までは各々自宅に戻り休暇を過ごす。"解散"によって、番屋の荷物は全て片付ける。もう一度番屋に戻るかどうかはその人次第だが、ほとんどの者は信頼関係により戻ってくる。

 

2.船頭夫妻

2-1船頭

 "北漁丸"の船頭である橋本さんは、今年3月17日に青森県の六ヶ所村にある六ヶ所村漁業協同組合から追直漁港にやって来た。元々橋本さんは前船頭に4年前から"北漁丸"の次の船頭にならないかと声をかけられていたが58歳で地元である青森を離れ室蘭に出稼ぎにいくことに抵抗を感じ、断り続けていた。しかし、昨年9月末に橋本さんが北海道に旅行に来ていた際、前船頭に会っておりその次の日に前船頭が亡くなられたことが契機となり、「何か感じる」「運命」である、と"北漁丸"の船頭になることを決意した。橋本さんは「漁師は"つながり"や"縁"が大切」であると語ってくださった。

 青森の六ヶ所村にある六ヶ所村漁協で船頭をしていた橋本さんは、橋本さんが30代の頃からついて来ていた44歳の方に船頭を任せた。六ヶ所村には番屋があるが室蘭とは違い、住み込みではなくご飯を食べる場、休憩の場として番屋を使用していた。そのため橋本さんは自宅から通いで漁をしていた。また、六ヶ所村の番屋にも漁協が関係しており、橋本さんは38年間漁をしていた六ヶ所村の漁協での所属を辞め、現在は室蘭の漁協へ所属している。ほとんどの漁港に漁協があり、ほとんどの者が所属している。

 橋本さんが漁をしていた六ヶ所村と追直漁港では漁の種類が異なり、漁の時間や時期全てが変わったため、初めの頃は慣れることが大変であったと教えてくださった。追直漁港は深夜での作業がほとんどで、夕方の6時には就寝、次の日の2時出航出港という生活をしている。また、船頭は周りを常に意識し、指示を出さなければならない。六ヶ所村と勝手が違うためストレスを感じでいた。しかし、追直漁港の漁師は真面目で良い人が多いため橋本さんもここでの生活に慣れていったとおっしゃっていた。

 

2-2船頭の妻

 船頭の妻である和枝さんは室蘭漁協自営定置番屋で住み込みで働いている。和枝さんもまた、六ヶ所村にある番屋で23年間働いていた。橋本夫妻は19歳で結婚し、橋本さんが漁師になったため、番屋で働く漁師の妻としての生活が始まった。青森では漁師が多いため、漁師の妻として生活することへの抵抗はなかったそう。しかし、六ヶ所村にある番屋では通いで昼ごはんのみを作る仕事で、室蘭漁協自営定置番屋での住み込みの仕事には少し抵抗があったと仰っていた。

 住み込みといっても漁協での決まりで月に3回の休みが設けられており、自由に選択できる。しかし漁師と休みを同時に取るようにしている。漁師と異なる日にすると、漁をしている日に休むことで、「食事を作らないといけない」と思ってしまうため、同じ日にしたほうがいいと橋本さんの提案によって決まった。この食事はこの番屋では大事にされており、漁以外で漁師が唯一全員揃うということで「ご飯の時間は大切」と和枝さんは語ってくださった。食事の用意は朝昼晩3回分で、和枝さんも漁師と同じように次の日が早ければ夕方6時に就寝、次の日の3時に起床し、漁を終わって帰ってくる漁師のために5時半頃に食事を出す。漁師の食事が終わってから和枝さんは一人で食事をする。 食事のときはスマートフォンやテレビなどをみて寂しさを紛らわしていると教えてくださった。それが終わると掃除、洗濯など家事を着々とこなす。それが和枝さんの1日である。

 休暇は、漁は天候に左右されることもあり、その前日、当日に急に決まることがある。橋本さんから電話やLINEで知らされる。そのため遠出や泊まりは出来ず、橋本さんと共に東室蘭などに車で買い物に行くことが多い。また、初めの頃は周辺を散歩していたが、行き尽くしてしまったそう。住み込みということもあり、一人の時間が貴重で、慣れない頃は一人でボーッとすることも多かったと語る和枝さん。周りに女の方もいないため、私のことを快く歓迎してくださった。

 

3.番屋の漁師たち

 船頭が次の船頭を連れてきて漁を任せ、次の船頭が番屋にやってくる。基本、漁協ではなく、現船頭が次の船頭を選び、他の漁協から引き抜いてくる。その船頭に、元々漁をしていた漁港の弟子が2、3人付いてきて、新しい漁港、つまり追直漁港に拠点を移す。また、この番屋の前船頭が違う拠点に移動するとなると、前船頭に番屋での弟子が付いていく。 このような仕組みによって、この番屋のメンバーが形成されている。現在は前船頭が亡くなられたということで、前船頭についていた方々も番屋に残っている。面白いことにこの番屋で働く者は青森県出身であった。室蘭出身や北海道出身の者はおらず、青森からの出稼ぎのために「出稼ぎ手帳」というとものを使用してこの番屋に来ていた。船頭とその弟子以外は知り合いではなく、また、同じ青森出身であっても、青森の津軽や六ヶ所村などさまざまなところから集まってきている。そのため漁師同士の関わりは、1日3回の全員揃っての食事を中心として、休憩時間などはそれぞれで過ごしていた。この食事はチームワークを築く場となっているように感じた。3月に船頭が来たばかりということで親睦会を兼ねて5月頃に飲み会やカラオケに行ったという話も伺った。同じ船に乗り漁をすることは信頼関係が大切であるため、漁師同士は決して仲が悪いわけではなく、お互いのプライベートを大事にしている印象であった。

 

4.番屋での暮らし

4-1間取り

 2階建である。1階にはリビング、キッチン、船頭の部屋と和枝さんの部屋があり、2階に漁師の8人分のそれぞれの部屋がある。部屋の中には備え付けのベッドや収納スペースがあり、一人暮らしの部屋のようであった。浴室や洗面所、トイレは共同で1階2階それぞれにある。

 車を駐車するスペースもあり、八戸(青森)ナンバーの車が何台か止まっていた。

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写真3:リビング、食卓



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写真4:キッチンで食事の支度をする和恵さん



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写真5:1階にある洗面台と浴室

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写真6:1階にある船頭の部屋

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写真7:2階の廊下 漁師それぞれの部屋がある

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写真8:2階の共同洗面所

 

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写真9:駐車する車

 

4-2食事

 その日に捕れた魚を使って料理することもあり、バランスの良い食事が考えられている。食事の用意ができると和枝さんが2階にいる漁師に知らせるためベルを鳴らし、それを聞いた漁師が食事をしに降りてくるという仕組みである。大きな器に食事を盛り、小皿にそれぞれが自分の量をとっていくスタイルで、まさに大家族の食事のようであった。ご飯は各自が茶碗に好きなだけ盛り自然と決められた各自の場所に座る。終わった人から部屋に戻る。食事を必ず番屋で食べなければならないわけではなく、前もって和枝さんに伝え、外で食事をする方もいらっしゃった。

 

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写真10:夕食

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写真11:食事の様子

 

4-3休日の過ごし方

 確定した休日が無いということで遠出は少なく、車の洗車や部屋の片付け、買い物など、各々好きなことをしている。今年のGWは6日間休みが取れたため、実家に帰省したり、家族と遊んだりしていたそう。また、12月の"解散"から3月までは長期休暇のため全員帰省する。

 

結び

 冒頭で述べたように、ニシン漁の番屋では「土間を挟んで親方の家族と漁夫のすまいを一体とし」ていたが、この室蘭漁協自営定置番屋でも親方と漁夫が同居しており、親方の住まいと漁夫の住まいが区切られていた。しかしこの番屋では、漁夫とされる漁師一人一人に部屋があり、旧白鳥家番屋とは異なり寝泊まりだけではなく住み込んでいた。また親方の家族は六ケ所村の家に住んでおり、番屋で暮らしているのは親方の奥さんでありこの番屋で働く和枝さんだけであった。かつての番屋と異なる点は、親方には家があるが、漁の時期になると他の漁師と同じく番屋に住み込みで従事していることである。

 このように漁師が利用する番屋は、各自の部屋が設けられていることなど、時代の移り変わりと共に、より快適で利用しやすい環境へと変化していった。

 

参考文献

駒木定正,2015,「北海道における漁家住宅の歴史・地域的特性を活かすための研究-歴史的漁家住宅の遺構調査にもとづくまちづくりへの関与と発展」『住総研研究論文集』41(0),169-179

 

謝辞

 今回の調査にあたり、橋本さんご夫婦をはじめとする室蘭漁協自営定置番屋の皆様、室蘭漁協の皆様、室蘭の皆様には大変お世話になりました。調査を快く受け入れてくださり、貴重なお話を聞かせいただくことができたことを心から感謝申し上げます。ぜひまた室蘭に訪れたいと思います。本当にありがとうございました。