関西学院大学 現代民俗学 島村恭則研究室

関西学院大学大学院 現代民俗学 島村恭則研究室

室蘭の座敷わらし

 社会学部 3年 山木 麻椰

 

【目次】

 はじめに

1 座敷わらし

2 東北地方との比較

 2-1 東北地方の座敷わらし

 2-2 東北地方との比較

むすび

謝辞

参考文献

 

はじめに

 今回お話を伺った室蘭のある飲食店では従業員の間で共有されている不思議な話がある。この飲食店は室蘭の繁華街に位置している。お店の方によると、お店を設計する時には方角に気をつけ、開店する時にはご祈祷とお祓いもしたということだった。そして、このお店の従業員の中には霊感が強い人が多いことも特徴で、不思議なお話をたくさん伺っていく中である発見をすることができた。

 

1 座敷わらし

 いきなりではあるが、このお店には子どもの霊が存在する。従業員の方々は座敷わらしのようなものとして捉えていると、いくつかの話を教えてくださった。

 1つ目は、元の従業員も現在の従業員も霊感のある人は皆見ているという子どもの霊で、5番のテーブルににこにこ笑っている男の子がいるというものだ。5番のテーブルというのはお店が開店した当初から変わらずにある唯一のテーブルで、一本の木からできているテーブルであることが特徴である。一本の木から作られているということもあり、その木自体についているではないかという話も出ていた。他には4番のテーブルでも男の子を見たという話もあったが、5番のテーブルにいることが多いということがわかっている。

 この男の子はにこにこ笑っていることが一番の特徴かと思われる。幽霊というと怖いイメージがあるが、にこにこ笑った男の子がそのテーブルにいるのを想像すると、どこか可愛らしいイメージが湧くかもしれない。その子にとっては5番のテーブルはお気に入りの大好きな場所なのであろう。

 2つ目は、ある従業員の方の持ち場の洗い場からお店の通路が見えるようになっているのだが、その通路を小さい男の子が走っていったというお話である。この方は霊感があり、2回その男の子が走っていくのを見たそうで、楽しそうだから遊びに来たのではないかという感覚だったと教えてくださった。男の子の年齢は5歳から6歳くらいの身長だったという。

 3つ目は、1組の家族が入店した時のお話で、ある従業員の方がその入店した家族を見た時、父・母・息子・娘の4人家族だったはずが、その家族がついたテーブルに行くと、女の子はおらず、トイレに行ったのかと思ったが、家族に直接聞くと、3人家族だったという。この従業員の方も霊感が強いためこの女の子が見えたのだろう。この女の子は大体3、4年生くらいだったということもお話を聞いてわかっている。この3人家族について入ってきた霊なのか、お店に遊びに来た霊なのか、もともとお店にいた霊なのかはわからないが、このお話で初めて女の子の霊も存在することがわかった。

 4つ目は、このお店の料理長が体験したお話で、このお店には二階に上がると壁に鏡がついているのだが、ある日ふと料理長がその鏡を見ると小さい男の子がうつっていたという。料理長も霊感が強いため、その子を見たとき怖さは全くなく、どうした?お腹空いたの?という感覚だったという。料理長は「その子が名札でもつけて、そこにどうして欲しいのかも書いてくれたら何かしてあげるかもしれないけどね」と冗談交じりにおしゃっていた。

 私は霊は見たことはないが、何度か怪奇現象を経験したことはあり全て何かを伝えるために起きていたものだったため、このお店に現れる子どもたちの霊は何を伝えるでもなく、何かいたずらをする訳でもなく、霊感のある人には姿を見せるというのは不思議だった。この子どもたちの霊はなぜこのお店に留まっているのだろうか。また、店主はこの子どもたちの霊はお店の守り神として捉えていると教えてくださった。

 

<座敷わらし話>

 1, 4番と5番のテーブルに男の子がいる

 2, お店の通路を男の子が走っていた

 3, 4人家族のお客さんが娘のいない3人家族だった

 4, 二階の鏡に男の子がうつった

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▲資料1 4番のテーブル

 

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▲資料2 5番のテーブル

 

2 東北地方との比較

2-1 東北地方の座敷わらし

 私が知る座敷わらしは東北地方の家に現れる小さい子どもの霊で家の守り神のような存在でもあり、人の目に触れるとその家が傾くと言われているが、最近ではテレビで座敷わらしの存在を放送しているのが印象的である。

 川島(1999:226)によれば、座敷わらしの特徴は、常には目に見えないもので、神像や神体として視覚化して崇めることもしないものであるという。座敷わらしが目撃され、出現する場所は東北地方で民家の奥座敷と呼ばれるところで、祝儀や不祝儀などの非日常的な時に使われ、他には客を迎え入れ泊める公的な空間であるとしている。また、座敷わらしのわらしというのは男女問わず子どものことを示すという(川島1999:232-233)。私は北海道出身のためわらしが子どもというのは北海道の方言でもあることで知っていたが、どこに出現するかという詳しい場所までは知らなかった。現代の家で言えば仏壇が置かれる仏間やお客さんが泊まる床の間というイメージであろう。

 座敷わらしの目撃者としては、その家の人が目撃することはほとんどないが、「家のおばあさん」が座敷わらしを目撃することがあり、その「家のおばあさん」とは、イタコと同様な巫女的な役割を果たしていると考えられ、いわば家の者と座敷わらしの媒介者であったと思われるとしている(川島1999:241)。イタコとは簡単に言えば東北地方に存在する口寄せができる人である。

 そして、座敷わらしは人の目に触れないのが一番なのである。川島(1999:254)によれば、「ザシキワラシに限らずに、東北地方では、ある家の繁栄を支えていたものが人の目に見えるようになるとその家が没落するという言い伝えがある」という。しかし、現在、座敷わらしに会える旅館や場所が存在し、その中での怪奇現象や存在を示すようなテレビの放送、ネットの書き込みがあり、座敷わらしのあり方が変化していることは一目瞭然であろう。今では座敷わらしを見ると幸せになれるとされている。

 岩手県遠野市にある早池峰神社では年に一度「ざしきわらし祈願祭」が行われており、川島(1999:257)によれば、「一年に一度のこの祭日には、ザシキワラシが居ると感じた家で、早池峰神社から以前に授けてもらった『ザシキワラシ人形』を持ち寄り、神職から魂を入れ替えてもらうことを主眼としている」という。遠野市観光協会の公式サイトによると、今年は4月29日に開催されている。この祭りでは座敷わらしの人形を作り、座敷わらしを視覚化していることがわかる。

 このように、もともとは人の目に触れるとその家が没落すると言われていた座敷わらしが、現在では見えると幸せになれるや人形という目に見える形で表されている。座敷わらしに会える場所は早池峰神社も含めパワースポット化していると言えるだろう。もはや、家の守り神でもあり、幸福をもたらす神でもあるのだろう。

 

2-2 東北地方との比較

 東北地方の座敷わらしの特徴を見るとこのお店に現れる子どもの霊との共通点があることがわかる。

 このお店の子ども霊が目撃される場所はお店の中の様々な所ではあるが、従業員全員に見えるわけではではなく霊感の強い人に見え、従業員の間で小さい子どもの霊の話が共有されていることを見れば、この霊感の強い人たちがこのお店の従業員と座敷わらしの媒介者であるということだ。現れる頻度も常にというわけではない。そして、早池峰神社の座敷わらしの人形のようなものを置くことはしていないし、そのように視覚化して崇めることもいていない。また、お店の守り神としてこの子どもの霊を捉えている点から東北地方にもともと伝わる座敷わらしの存在と類似する。

 このお店に子どもの霊が現れることは従業員の間でしか知られていないが、これがお客さんをはじめ様々な人に伝われば現代の座敷わらしの特徴である座敷わらしに会える場所としてパワースポット化することは間違いないであろう。

 そして、このお店の従業員の方々は子どもの霊が姿を見せても祓うことはせず居させてあげていることが子どもの霊にとっては居心地が良い理由の1つなのであろう。悪さをしないから祓う必要がないともおっしゃっていたが、それが結果としてお互いに守り合っているように思われた。そのため、子どもの霊が見えたからといってお店が没落することはなく、いつも明るく賑わっているのは、守り神としての役割を果たしているのかもしれない。

 このように東北地方との類似点を見ればこのお店に現れる子どもの霊は北海道の座敷わらしと言えるのではないだろうか。

 

むすび

 今回お話を伺うことで、北海道の室蘭にも座敷わらしがいることを発見することができた。このお店に現れる座敷わらしは守り神としてお店の繁栄を少しでも支えているのかもしれない。このお店の座敷わらしが居続けているのは、このお店がお客さんにとって居心地が良いように、座敷わらしにとっても居心地が良いからであろう。お店に入ると明るくて、活気にあふれ、美味しそうな香りが漂っている、そんな雰囲気につられて一緒に楽しんでいるのではないのだろうか。そしてお話を伺って、このお店の店主、奥さんをはじめ、従業員の方々の人柄の良さがこの世だけでなくあの世からも愛されるお店である理由であることがわかった。「座敷わらしからも愛される飲食店」ますますの繁盛は間違いない。

 

謝辞

 今回協力していただいた皆さんありがとうございました。皆さんにとっては日常茶飯事のお話だったため「たいした話じゃなくてごめんね」とおっしゃっていましたが、私にとってはとても貴重なお話でした。たくさんのお話ありがとうございました。そしてゼミ生一同大変お世話になりました。益々の繁栄を心よりお祈り申し上げます。本当にありがとうございました。

 

参考文献

川島秀一,1999『ザシキワラシの見えるときー東北の神霊と語りー』三弥井書店.

遠野市観光協会公式サイト,2019,「遠野のイベント」,

(https://tonojikan.jp/event/0429-5/, 2019年8月30日にアクセス).