関西学院大学 現代民俗学 島村恭則研究室

関西学院大学大学院 現代民俗学 島村恭則研究室

敬供瓶(砂糖瓶)の民俗誌―長崎県における葬送贈答習俗ー

社会学部 社会学科 尾崎聡香
【目次】
はじめに

第1章 東彼杵郡

第2章 大村市
 第1節 TSUBAKIYA 大村店
 第2節 cafeshop Fukujudo
 第3節 稲田製菓舗
 第4節 前田菓子
 第5節 森洋海堂
 第6節 街の声(大村街角ギャラリー、為永斎場)
 第7節 祭壇の実例

第3章 諫早市
 第1節 西村菓子舗
 第2節 街の声

第4章 西彼杵郡
 第1節 元祖時津まんじゅう中村
 第2節 福田菓子

第5章 長崎市東部
 第1節 桐屋
 第2節 高田進勇堂

第6章 長崎市
 第1節 大竹堂
 第2節 千寿庵 長崎屋
 第3節 街の声

結び

謝辞

はじめに

 長崎県のある地域には大切な人が亡くなった時に香典のほかにお砂糖の入った瓶をお供え物として贈るという古くから受け継がれている独特の風習がある。昔から日本には葬儀の際に、香典としてお金だけでなく、米や乾物、お砂糖など食べ物を贈っていたという記述は資料にもあるが、敬供瓶・砂糖瓶の記載はどこにもなかった。
 そこで、実際に敬供瓶や砂糖瓶を取り扱っているお菓子屋さんや住民の方々からお話を伺いその内容をまとめた。この風習は五島列島にもあるそうだが、本稿では長崎県本島での事例を取り上げる。

(地図1)長崎県 東彼杵町大村市諫早市時津町長与町長崎市
GoogleMap https://www.google.co.jp/maps/@32.8955771,129.9312834,11.44zより引用


第1章 東彼杵郡

 東彼杵郡東彼杵町本郷にある町田商店の町田きよみ氏にお話しを伺った。
 店内には様々な種類の砂糖瓶や砂糖の贈り物が並んでいた(写真1)。サイズは小(3240円)・中(4320円)・大(5400円)・特大(7560円)・箱入り(2480円)(写真2)の5種類。角砂糖でV字型の模様を作り中身は白砂糖である(写真3)。セロファン紙で作った模様と白砂糖だけで作るものもある(写真4)。デザインは昔からV字だそうだ。
 東彼杵では砂糖瓶文化が根強く残っており、訪れた際も注文分のたくさんの砂糖瓶が準備されていた。この辺では砂糖瓶を取り扱っているのはここ一軒だけである。
 お葬式が終わると注文を受け、初七日までに配達する。四十九日まで飾り、四十九日の法要の参列者に引き出物と一緒に少しずつ分けて配るのが一般的である。最近はギフトやさんが、法要の際の引き出物を買ってもらう代わりに、瓶に入っている砂糖を配る準備をしてくれるらしい。
 親族(子、兄弟、孫、叔父伯母)から贈ることが多く、他にも友達やお世話になった方、ご近所さんは班一同として贈るそうだ。亡くなると砂糖瓶を贈ることが一般的なので、お葬式の時に親族や班の方とどの大きさの瓶にするかという相談が行われるそうだ。人それぞれではあるが、昔は小さな瓶が人気だったが、今は大きな瓶が好まれているそうだ。準備されていたものも大きな瓶ばかりだった。
 親戚が多い方や砂糖瓶をたくさん贈っていた方はもらって飾る瓶の数も多い。きよみ氏は新聞のお悔やみ欄を見るとあの方は親戚が多かったな、たくさん贈っていた方だなと数がだいたい見当がつくとおっしゃっていた。昔は1軒に50個60個並ぶこともあったそうだ。きまりがあるわけではないが、上から故人と血縁が近い人から飾るそうだ。
 きよみ氏は野母崎出身で彼杵に嫁いできて初めて砂糖瓶を知ったそうだ。昔から彼杵地区は砂糖が豊富だったらしく料理もかなり甘口だそうだ。長崎は料理に甘味が足りないときは「あらお砂糖やさんが遠かったとね」と言われるそうだ。家庭料理もそうだが東彼杵にある料亭の料理も甘口である。その昔は砂糖折りといってお殿様に菓子折りとしてお砂糖を渡していたこともあるらしい。昔から砂糖が馴染み深いものだったことがうかがえる。
 調べてもはっきりとした起源はわからなかったが、互助の精神で砂糖瓶文化が行われてきたのではないかとのことだった。

《砂糖瓶のつくり方》
➀三角形に切った紙をまるめて芯をつくる(写真5-1)。丸めた後の紙の端の位置を揃えることで、だいたい同じ大きさに揃えている。
➁正方形の紙に切り込みをいれ印をつけ、それを目安にきっちり折り目をつけていく。
➂1枚86円の大きなカラフルな紙を15センチ角に切る。1枚から12個分できるそうだ(写真5-2)。
➃切った紙で角砂糖を包む。角砂糖の5面が覆われる形になる(写真5-3)。瓶サイズにあわせて半分に切った角砂糖も用意しておく。作り置きしている。
➄瓶に赤い紐をつける(写真5-4)。これはV字の模様をまっすぐにするための工夫である。
➅容器の中に角砂糖を並べ模様をつくる(写真5-5)。今はプラスチックの容器であるが昔は薄いガラス瓶だった。プラスチックの容器は角砂糖を並べている時にちょっとあたるとずれてしまうので、きよみ氏の義父はガラス瓶にこだわって使っていたが入手できなくなりプラスチックの容器になった。ガラス瓶は値段が高く当時1本1400円ほどしたそうだ。
➆ある程度並べたら赤い紐を目安に角砂糖がずれていないか、まっすぐになっているかを確かめる(写真5-6)。
➇角砂糖をならべたあと、透明なセロハンを角砂糖のV字に合わせて切っておく写真(5-7)。角砂糖の間から白砂糖がでないようにするための工夫である。
⑨白砂糖を瓶にぎっちり詰める。
⑩先ほど作成した芯に切り込みをいれ、ふたに貼る(写真5-8)。
⑪折り目をつけた紙をかぶせ、輪ゴムでとめる。
⑫白と黒の水引と黒のリボンをつける(写真5-9)。
⑬造花をつけて完成(写真5-10)。
だいたい1本20分ほどで作成していた。

【サイズ】 小(3240円)・中(4320円)・大(5400円)・特大(7560円)・箱入り(2480円)の5種類。
【デザイン】角砂糖+白砂糖 V字型、白砂糖+セロファンの模様 水引・リボン・名前の札あり
【いつ】  初七日〜四十九日 小分けにして配布
【誰から】 親族(子・兄弟・孫・叔父伯母)、いただいたことがある人、友達、班

(写真1)店内の様子

(写真2)砂糖箱

(写真3)町田商店の砂糖瓶

(写真4)町田商店の砂糖瓶

(写真5-1)角砂糖を包む色紙

(写真5-2)芯を作る様子


(写真5-3)色紙に包まれた角砂糖


(写真5-4)赤い紐をつけた瓶 きれいに仕上げる工夫の一つである


(写真5-5)角砂糖を並べ模様をつくる様子


(写真5-6)曲がっていないか確かめる様子


(写真5-7)透明なセロハンを角砂糖のV字の形に切って瓶にいれる


(写真5-8)芯を貼りつける様子


(写真5-9)折った紙をかぶせてゴムでとめ、水引とリボンを結ぶ様子


(写真5-10)造花をつける様子

 東彼杵では敬供瓶のことを砂糖瓶と呼ぶことのほうが多いようだ。砂糖瓶がほかの地域に比べて根強くあり、現在も盛んに行われている。初七日から四十九日まで飾り、四十九日の法要の参列者に配るのが一般的である。大きな瓶が好まれるそうだ。

第2章 大村市

第1節 TSUBAKIYA大村店

 松原駅から徒歩12分。長崎県大村市松原本町にあるスーパーTSUBAKIYA大村店にお伺いした(写真6)。
 こちらではなんとお客様の一番目線を集めるレジ横にお買得品として陳列されていた(写真7-1,2)。砂糖瓶が生活に根付いていることがここからもわかる。サイズは1種類5L瓶で4680円である。白砂糖に角砂糖でひし形のデザイン。
 店員さんにお話をお聞きしたところ、この周辺にはお菓子屋など砂糖瓶を置いている専門店がないため、スーパーに砂糖瓶を購入しにくるそうだ。誰かが亡くなった時に砂糖瓶を贈るところは、昔と比べると少なくなってきてはいるが、現在も年齢関係なく行っており、砂糖瓶は身近なものという認識だった。
 砂糖瓶をあげる範囲は兄弟や孫・甥っ子や姪っ子など親戚の人がほとんどで、また地域や町内会からあげることもあるそうだ。初七日までに祭壇にあげて、四十九日の法要の際に引き出物と一緒に配る。
 祭壇にどれだけ敬供瓶が並ぶかがステータスにもなり、多ければ多いほど人脈がある人と認識されることもあるそうだ。
【サイズ】 5L瓶1種類4680円
【デザイン】白砂糖+角砂糖 ひし形 
【いつ】  初七日〜四十九日 小分けにして配布
【誰から】 親戚、町内会

(写真6)TSUBAKIYA大村店外観

(写真7-1)レジ横に陳列される。この時は売り切れていた。

(写真7-2)お買い得品の砂糖瓶

第2節 cafeshop Fukujudo

 大村駅から徒歩13分。大村市馬場町にあるお菓子屋福寿堂の福井エミコ氏にお話しを伺った(写真8)。お店に入ると砂糖瓶がショーケースの後ろに飾られていた。
 他のお店や街の方からも砂糖瓶のことをお聞きすると福寿堂さんの名前があがる場面が多かった。隣町から買いに来る方もいるそうだ。サイズは3種類あり一番小さな5斤瓶は3350円。白砂糖にきれいな紙で包んだ角砂糖でひし形をデザインする(写真9)。福井氏曰く昔からずっとひし形だそうだ。
 やはり大村市では砂糖瓶が昔から盛んなようで、今は昔に比べて少なくなってはいるが定番のしきたりであるという認識のようである。初七日までにお供えし、四十九日の法要に来てくれた方に配る。
 お供えする理由は・お世話になっていたから・親しくしていた友達だから・祭壇が寂しいからなど人それぞれだが兄弟など親戚が大きいサイズのものをお供えすることが多いようだ。班一同として地域の人でお供えすることもある。
 砂糖瓶にはお供えした人の名札がはられ、祭壇の横に飾られる。お参りする時に持っていく人もいるが注文して配達を頼まれることが多い。飾られている砂糖瓶が多いほど人脈がある人だと認識されるようだった。 
【サイズ】 3種類 小5斤瓶(3350円)
【デザイン】角砂糖+白砂糖 ひし形 名前の札あり
【いつ】  初七日〜四十九日 小分けにして配布
【誰から】 親戚・友達・班

(写真8)外観

(写真9)砂糖瓶

第3節 稲田製菓舗

 大村駅から徒歩15分。大村市杭出津にあるお菓子屋稲田製菓舗の稲田善男氏と和子氏にお話しを伺った。
 ちょうど注文を受けたところだったようで中(8斤瓶)の敬供瓶のみショーケースの横に陳列されていた。サイズは3種類大(10斤瓶)6480円中(8斤瓶)5400円小(5斤瓶)3240円。大は親、中は親戚、小は友達や遠い親戚に贈ることが多い。今は小さいサイズの注文は少なくなり、ほとんどが大きいサイズで、その分あげる人が少なくなったそうだ。
 砂糖瓶の作成は昔から奥さんやお嫁さんなど女の人の仕事だそう。和子氏曰く1本15分くらいでできるそうだ。
 白砂糖と角砂糖でカラフルなV字型のデザイン(写真10)。昔はひし形で、いろいろなデザインを試したが、V字が一番たくさんの色を使えるためカラフルで華やかになりお客様の反応が一番よかった。昔はお菓子でデザインしていた時もあったが、時間がたつとわるくなったりべたべたしてしまっていたため、長持ちする角砂糖を使っている。角砂糖でV字のデザインは昔あまりなく、このお店オリジナルだったため、この砂糖瓶をめあてに買いに来る人もいたそうだ。
 買いに来るのは地元の人が多い。昔は四十九日の法要をすべて家で行っていたため、遺族の方の事を気遣って、その時の料理に使えるようにとお砂糖や豆やしいたけを入れた瓶をお供えしていたようだ。当時砂糖は貴重品だからお砂糖瓶をお供えすることが好まれたそうだ。
 昔は1軒につき30、40本お供えされているのが普通だったが、今は数が少なくなり、親戚からの大きいサイズの砂糖瓶が10本くらい並んでいる。瓶の数が多いと親戚が多いか広いお付き合いをしていたことがわかる。
 お葬式が終わると注文し、初七日までに配達することが多いとのこと。他の地域であった初盆にはあげることはきいたことがないそうだ。四十九日までは祭壇に飾られ、その後、昔は料理に使っていたが、今は使いきれないので法要に来てくれた人に引き出物と一緒に配るそうだ。空瓶は梅酒やらっきょなど貯蔵瓶として使い道があるということも大きい瓶が好まれる理由のひとつかもしれない。使わない瓶を引き取ることもしているそうだ。
 砂糖瓶はお供えされると祭壇の骨壺の周りに血筋が近い順に並べられていくそうだ。
 敬供瓶の文化は大村が多く、島原、諫早西彼杵でも残っているので昔の大村藩が多いのではないかということだ。他の地域の人でもめずらしいからといって買いに来る人もいるそうだ。
【サイズ】 3種類大(10斤瓶) 6480円中(8斤瓶)5400円小(5斤瓶)3240円 
【デザイン】角砂糖+白砂糖 V字型 名前の札あり
【いつ】  初七日〜四十九日 小分けにして配布
【誰から】 親戚・友達・班


(写真10)稲田製菓舗の砂糖瓶

第4節 前田菓子

 大村駅から徒歩5分。大村市本町にあるお菓子屋前田菓子にお伺いした。砂糖瓶売り場があり、ちょうど真ん中のサイズが売れたところだったため2種類陳列していた。サイズは3種類である。大(10斤瓶)7020円・中・小(5斤瓶)3780円。白砂糖に口砂香と袋菓子でデザインしている。上の白い部分のところの折り方を東川氏に教えて頂いた。

【サイズ】 3種類 大(10斤瓶)7020円・中・小(5斤瓶)3780円
【デザイン】口砂香+袋菓子+白砂糖 名前の札あり
【いつ】  初七日〜四十九日 小分けにして配布
【誰から】 親戚・友達・班


(写真11)前田菓子の砂糖瓶

 第5節 森洋海堂

 大村駅から徒歩8分。大村市本町にあるお菓子屋森洋海堂の森昌子氏夫妻にお話しを伺った。
 お店には砂糖瓶の棚がありたくさん陳列されていた。白砂糖にフィルムを挟んでカラフルな紙で包んだ口砂香でひし形をデザインしている。昌子氏曰く5、6年前に角砂糖から口砂香にしたそうだ。理由は角砂糖を使う人が少なくなったこと。また、セロハンに包まれ箱に入った角砂糖が生産中止になり、スーパーで売っているような袋に入った角砂糖しかないためどうしても角砂糖の角がかけてしまっていてきれいにみえないからそれならと思い変更したそうだ。
 サイズは3種類あり特大6500円大5500円中4500円。昔は小5斤瓶も作っていたが、あまり注文がないため現在は作っていない。大きいものの方が売れているそうだ。お付き合いの程度により大きさが変わり、親戚だと花輪の時と同じように大きいものを渡さないとなとなるようだ。班一同でお供えすることもある。
 お葬式の後に注文にきて、初七日までに配達することが多いそう。お供えされた砂糖瓶は四十九日まで飾られ、法要に来られた方に袋に少しずついれて、引き出物と共に配るそうだ。
 砂糖瓶のいいところはお花や果物と違って季節に関わらず長持ちする点である。砂糖瓶にはお供えした人の名前が添えられるため、四十九日の法要まで誰がお供えしたかがわかる。そのため、あの人があげているから私もお供えしなきゃと注文しにくる方もいるそうだ。並んでいる瓶が多いほど故人はお付き合いが広かったということがわかるそうだ。お付き合いが簡単になってきていることもあり、昔ほどたくさんは並んでいない。最近は砂糖瓶だけでなくお菓子やお米の瓶もあるそうだ。
 なぜ長崎だけで砂糖瓶がお供えされるのかはシュガーロードがありお砂糖の文化が昔からあったからではないかということだった。
【サイズ】 3種類 特大6500円大5500円中4500円。
【デザイン】口砂香+白砂糖 ひしがた 名前の札あり
【いつ】  初七日〜四十九日 小分けにして配布
【誰から】 親戚・友達・班

(写真12)砂糖瓶売り場の様子

(写真13)森洋海堂の砂糖瓶

第6節 街の声(大村街角ギャラリー、為永斎場)

 大村街角ギャラリーにいらしていた方々に敬供瓶についてお話をお聞きした。お菓子やさんからお聞きしたことが市民の方々からもきくことができた。お聞きした内容を紹介する。
 知り合いが亡くなったらすぐに3日以内くらいにお砂糖やさんに行き、配達を頼む。特大大中小のサイズがあった場合、お隣さんちょっとしたお付き合いの人は小、親は特大、叔父伯母は大を贈ることが多い。初七日までには必ずもっていてもらう。砂糖瓶は重たいからだいたいは配達してもらう。
 今はプラスチックになっているが昔はわれやすいガラスのビンだった。砂糖を出した後の空瓶は梅酒などに使う。砂糖は袋に少しずつ詰めて四十九日の法要に来た方に渡す。大村が多い。
 飾り方は祭壇の横に軽挙瓶ようのひな壇を作り、並べ方は位牌の近くから血縁の近い順にならべる。最近はたくさんの砂糖はいらないという人もいるので砂糖どうする?と確認し、他のものをあげたりもする。なにも言わなかったら砂糖瓶をあげるのが一般的である。
 為永斎場の為永けい子氏にお話を伺った。砂糖瓶につける造花や中に入れる飾りを販売している。いつ頃からかはわからないが、けい子氏がここに来た時にはすでに造花を作っていたのでかなり前から行っているのではないかということだった。
 砂糖瓶は昔に比べたら減り、今は砂糖瓶だけでなく砂糖箱やお米のはいったものを贈る人も増えてきている。初七日から四十九日まで飾り、法要で参列者のかたやお手伝いをしてくれた人に配る。


(写真14)為永斎場で取り扱っている砂糖瓶のチラシ お花の柄のシートを入れている

第7節 祭壇の実例

 ご厚意で大村市にある三七日をむかえたばかりのA氏のお家にお邪魔し、実際にどのように砂糖瓶を飾るのかをみせて頂いた。
 A氏のお父様の祭壇である(写真15,16)。砂糖瓶が14個お供えされていた。砂糖瓶をのせるため頑丈な木でできた祭壇であった(写真17)。大きな瓶がやはり好まれているようで、すべて大きなサイズのビンであった。
 砂糖瓶はすべて初七日までに届き、四十九日まで飾る。四十九日の忌明けの法要の時に来てくれた方に配布するそうだ。
 今は親族からもらうこと多いが、昔はみんな砂糖瓶を贈っていたので、祭壇に置ききれないほどだった。今は時代の流れと共に、砂糖ばかりあっても大変なので代用品の飲み物などをあげることが多いそうだ。
 親族や特に関わりの深い人からはやはり昔ながらの砂糖瓶を贈りたいということでいただいたそうだ。ちょっと離れた人は砂糖ばかりもらっても大変だろうから必需品の飲み物とか他のものでいいかと聞かれてそうしてもらったそうだ。砂糖瓶の風習は年配の方々に特に根付いており、知り合いが亡くなると、流行りではないが風習で砂糖瓶をあげんばいけんとなるそうだ。私の親世代の方々も、もらっているからお返しとしてあげんばいけんと思うし、祭壇に砂糖瓶が1個もないのは寂しいとおっしゃっていた。砂糖瓶は長持ちするし、祭壇が華やかになる。
 長崎街道がシュガーロードと呼ばれるほど砂糖はたくさんあったが、当時やはり貴重なものだったので、普段買えないものを贈りたいとして始まったのではないかとのことだった。


(写真15)祭壇全体図

(写真16)祭壇

(写真17)頑丈な木でできている

 大村市でも砂糖瓶とよばれていた。大村市には取り扱いのあるお菓子屋も多く、今でも砂糖瓶の文化が盛んであった。親族が贈る大きな瓶が好まれる。初七日から四十九日の法要まで飾り、参列者に少しずつ分けて配るやり方が定番である。

第3章 諫早市

第1節 西村菓子舗

 諫早市下大渡野町にあるお菓子屋西村菓子舗の西村浩明氏にお話しを伺った(写真18)。
 敬供瓶は店内に陳列はされておらず注文を受けてから作成する。大村は敬供瓶が盛んだが諫早はほとんど少なくなっているそうだ。昔やっていた風習という認識である。西村氏の親世代の時代は盛んだったそうだ。今はあげものとしてビールやその他のものにかわってしまっている。年間20本くらいしかつくらないとのことだ。買いに来るのはほとんど年配の方である。
 サイズは5斤瓶1種類。周りは白砂糖に角砂糖でひし形にデザインする。水引あり。
 渡し方は初七日にお供えし、四十九日まで飾るそうだ。ほかの地域である初盆にあげるのはきいたことがないそうだ。1本ずつではなく対でわたすのが定番だそうだ。
【サイズ】 5斤瓶1種類
【デザイン】角砂糖+白砂糖 ひしがた 水引・名前の札あり
【いつ】  初七日〜四十九日
【誰から】 親族

(写真18)西村菓子舗外観

第2節 街の声

 諫早市にあるお菓子屋3軒にお話を伺ったが、作っているお店はなく、どんな瓶かはわかるが注文を受けたことやあげたこともないとのことだった。お参りにいったお葬式でも見たことがないと教えてくださる方もいた。昔行っていた記憶があるから、田舎の昔からある地元に密着したお菓子屋さんにはあるかもしれないと教えてくれた。年配の方でも敬供瓶を知らない人もいた。
 バス停でお話した年配の女性は自分の幼い頃はあったけど最近は全く見ておらず懐かしいと話してくださった。

 諫早では敬供瓶を知らない人や見たことがない人も多く、昔行っていたことや田舎に残っている風習という意識である。小さなサイズのものを1本ずつでなく対で贈るのが定番である。

第4章 西彼杵郡

第1節 元祖時津まんじゅう中村

 西彼杵郡時津町浦郷にあるお菓子屋中村饅頭店の中村妙子氏にお話しを伺った(写真19)。
 敬供瓶はお店の前のショーケースに綺麗に並べられていた(写真20)。サイズは5斤瓶1種類のみ。昔は大中小と3種類あったが、今は大きい瓶の注文がほとんどないため作っていないそうだ。
 白砂糖にお菓子や豆をいれたこともあったが、最終的には角砂糖が一番綺麗にできることから角砂糖でデザインするようになった。また角砂糖よりも料理にも使える白砂糖の方がお客様に喜んでいただけるため、周りを角砂糖で中に白砂糖をいれている。デザインは十字模様に変更した時もあったが、昔からV字型だそうだ。
 初七日までにお供えし四十九日の法要まで飾っている。昔は敬供瓶を飾る祭壇が5段分ほどたくさん並んでいたが、今はあげる人が少なくなっている。敬供瓶を贈るのは親戚が多いそうだ。昔は必ず対で贈るのが主流だったが今は1本ずつお供えする人が多い。
 長崎は砂糖が裕福にあり、お砂糖が身近だったから砂糖瓶が流行ったのではないかとのことだった。
【サイズ】 5斤瓶1種類
【デザイン】角砂糖+白砂糖 V字型 黒いリボン・名前の札あり
【いつ】  初七日から四十九日 
【誰から】 親戚・友達

(写真19)外観

(写真20)ケースに並べられた砂糖瓶

第2節 福田菓子舗

 長与駅から徒歩13分。西彼杵郡長与町のお菓子屋福田菓子舗の福田トシ子氏にお話しを伺った。
 店内には2つ敬供瓶が飾られてあった(写真21)。サイズは5斤瓶1種類。デザインは、すべて角砂糖でV字型の模様の瓶3500円(写真22)とひし形の模様は角砂糖で作り、中身は白砂糖の瓶4500円の2種類(写真23)。
 夫さんが亡くなり和菓子屋を辞めた後も敬供瓶だけはやって欲しいというお客様からの声でずっと作り続けているそうだ。今は駄菓子と敬供瓶を置いており、周辺の方々や子供たちの憩いの場である。訪れた際もちょうど注文を受けて敬供瓶作成の最中で、作り方を教えて頂いた。
 長与町で敬供瓶を取り扱っているのはここ1軒で、年間300個から350個作っているそうだ。1軒に30個くらい配達することもある。たまに福岡など県外に送ることもあるらしい。
 お葬式後注文を受け、初七日までに配達し四十九日まで飾るのが一般的である。初盆に注文は受けたことがないそうだ。四十九日の法要で来てくれた方に少しずつお土産として配る。たくさんもらった場合は瓶ごとおすそ分けする場合もある。
 親族(子・兄弟・孫)から贈ることが多く、故人と付き合いが深かった人や以前もらった人からも贈る。昔は必ず班一同であげていたが、時代の流れで近所づきあいが希薄になってきているからか、今はほとんどなくなったそうだ。瓶の数が多いと親戚が多いことや人付き合いが多かったことがわかる。ほとんど年配の人で、だいたい知っている人からの注文である。新聞のお悔やみ欄からだいたいの数の検討がつくとおっしゃっていた。突然の注文にも応えることができるように、2個必ず作って飾っておくそうだ。
 トシ子氏が敬供瓶を作り続けて46年。このお店が長与で始めたのは昭和27年だが、その前からもずっと敬供瓶はあったそうだ。はっきりとした起源はわからないが、シュガーロードとよばれるほど、長崎県は他県と比べて、昔から砂糖に馴染みが深いことが関係しているのではないかということだった。馴染みが深いとはいえど、昔砂糖は貴重品であることにはかわりない。今は斎場で行うことがほとんどだが、亡くなったあとの法要などをすべて家で行なっていたため、料理に使ってもらえたらと、遺族を気遣って敬供瓶を贈っていた。他にも料理で使えそうなシイタケや豆を入れていた時期もあったそうだ。
 容器が今はプラスチックだが昔はガラス瓶だった(写真24)。藁に包まれて届くがちょっとした衝撃ですぐ割れてしまうから、作ったり届けたりするのが大変だったそうだ。ガラス瓶のときは空き瓶でらっきょや梅をつける人が多かったが、今は捨てる人が多いのではということだった。
 敬供瓶の良い点は、飾ることで寂しい仏さんが華やかになることや、生花と違って、長持ちする点である。華やかさが大事なので、昔は造花がもうちょっと小さなものだったが、今は特別に瓶にあった大きさで派手なものを特別に作ってもらっているそうだ。

《敬供瓶作り方》
➀折り紙より薄いさまざまな色の紙を切って(写真25-1)、角砂糖を見える側半分だけ巻く(写真25-2)。この時きっちり角をつけることが、仕上がりをきれいにするポイントだそうだ(写真25-3)。
➁ビニールの袋を瓶に入れ、そこに白砂糖をいれる(写真25-4)。昔はビニールの袋は使っていなかったが、夏場は特にべたべたして手に砂糖がついてしまうので、この方法を思いついたそうだ。
➂角砂糖で模様を作りながら、白砂糖で固定していく。砂糖はだいたい3キロほど使うそうで、1瓶15分ほどで作り上げるそうだ。
➃瓶のうえにかぶせる白い紙は奉書をつかう。片面がつるつる片面がざらざらで、厚みがあるしっかりとした紙だった。折り目をしっかりつけることがポイントである(写真25-5)。
【サイズ】 5斤瓶
【デザイン】角砂糖のみ3500円 角砂糖+白砂糖4500円
【いつ】  初七日から四十九日 小分けにして配布
【誰から】 親族、付き合いが深かった人

(写真21)店内の様子

(写真22)作っている途中の敬供瓶(角砂糖)

(写真23)福田菓子舗の敬供瓶

(写真24)昔の敬供瓶の容器(ガラス) 実際に使っていたもの

(写真25-1)角砂糖にまく色紙

(写真25-2)角砂糖 半分だけ包まれている

(写真25-3)角砂糖を色紙で包む様子

(写真25-4)お砂糖を詰めている様子

(写真25-5)奉書に折り目をつけている様子


第5章 長崎市東部

第1節 桐屋
 
 肥前古賀駅から徒歩13分。長崎市古賀町にあるお菓子屋桐屋の桐和喜氏にお話しを伺った。
 店内に陳列はしておらず、お店の中に何個か作り置きがあり、注文を受けると作成する。昔は5斤瓶7斤瓶10斤瓶があったが小さな瓶が好まれるため今は5斤瓶のみ。
 古賀では、お通夜から飾るのが定番である。そのため、注文を受けてからすぐに配達しなければならない。スピード勝負である。そのため、色紙を巻いた角砂糖がしっかり準備されていた(写真26-1,2)。デザインは昔からひし形だそうだ(写真27)。
 生花や灯篭をあげるほどでもないちょっと遠い親戚やある程度近い人が渡すそうだ。班や自治会で渡すことはなくなった。買う人は50・60代の人や年配の方が多いので若い人は知らない人もいるのではないかということだった。最近は敬供瓶を渡す人は少なくなってきている。本人の気持ち次第で1本渡す人もいれば2本対で渡す人もいる。
 お通夜で飾った後、四十九日まで飾り、もらった家で消費する。対でもらったものの一つをお供えしてくれた人に返すことはあるそうだ。昔はお砂糖を小分けにして四十九日の法要で配っていたが今はもうしていないとのことだった。
 和喜氏曰く、古賀は見栄っ張りが多いから、四十九日までずっと名前付きの敬供瓶が飾ってあることで、お参りにくる人に「私は生花まではいかないけど砂糖瓶をあげたばい」としたいということがあるのではとおっしゃっていた。
【サイズ】 5斤瓶1種類 
【デザイン】角砂糖+白砂糖
【いつ】  お通夜〜四十九日 もらった家で消費する
【誰から】 ちょっと遠い親戚、ある程度近い人

(写真26-1)色紙は小さく切りすぐ使えるように

(写真26-2)事前に角砂糖を準備しておく

(写真27)桐屋の敬供瓶

第2節 高田進勇堂
 
 長崎市戸石町にあるお菓子屋高田進勇堂の高田洋氏と家族にお話しを伺った(写真28)。
 ショーケースの上に置いてあった。注文を受けてから作成し配達するそうだ。この辺ではお通夜に間に合うように贈るのが定番らしい。なので、配達も斎場に持っていくことがほとんどだそうだ。
 サイズは昔大小あったが大はほとんどででないので5斤瓶2800円1種類のみ。白砂糖に市販の袋菓子でデザインする(写真29)。これには理由がある。注文を受けてからお通夜までに作成し配達しなければならず、時間との勝負である。他の仕事もあり手が回らなくなるので、角砂糖を並べる時間がないからである。
 敬供瓶にはお供えした人の名前が添えられるためだれがお供えしたのかすぐわかる。洋氏も参列者に名前が見えやすいように工夫して配置するとおっしゃっていた。洋氏曰く、その名前をみて私もあげなきゃ「私も欲しかばい」といって注文する人がとても多く、お通夜が始まる直前が一番忙しいそうだ。時間差で注文がくるから一日に何度も斎場を往復することがあるとおっしゃっていた。
 ちょっと遠い親戚やお世話になった知り合いや友達など、生花をあげるほどでもないけど、香典だけでなくなにかあげたいという人が敬供瓶を渡す。香典帳をみて昔敬供瓶を貰ったことがあるからといった理由であげる人もいる。注文するのは若い人はほとんどなく年配の人が多い。
 生花は斎場で分解され捨てられてしまったり、灯篭はその時しか使えなかったりするが、敬供瓶は四十九日まで名前付きでずっと飾っておくことができることが良い点である。また見た目も華やかである。
 四十九日の法要のあと、今まではお供え物をくれた人に砂糖を配っていたが、それが面倒で敬供瓶をやらない人も多いので、洋氏は自分の家で使うことをおすすめしているそうだ。空き瓶は買い取りもしている。
 最近はあげる人も少なくなってきているので、多くても15.6瓶少ないと5.6瓶仏様の両端に並ぶそうだ。田舎の方では残っているという認識で、敬供瓶をみて懐かしいと言われることもたびたびあるそうだ。
【サイズ】 5斤瓶1種類 2800円
【デザイン】袋菓子+白砂糖
【いつ】  お通夜〜四十九日 もらった家で消費する
【誰から】 生花をあげるほどでもないが香典だけでは物足りなく感じるような、ちょっと遠い親戚や知り合い、もらったことがある人

(写真28)外観

(写真29)高田進勇堂の敬供瓶

 長崎市東部は贈るシステムも対象の人もほかの地域と異なっていた。故人とある程度近い知人が、お通夜までに、香典とともに渡すためサイズも小さなものが好まれる。贈り主の名前がわかるため見栄をはる気持ちが購入という行動につながるのも興味深い。

第6章 長崎市

 第1節 大竹堂

 長崎県長崎市丸山町にあるお菓子屋大竹堂の大平和広氏にお話しを伺った(写真30)。
 お店に入るとガラスケースに敬供瓶がずらっと陳列されていた(写真31)。 サイズは5斤瓶6480円1種類のみ。すべて角砂糖を敷き詰めながら並べて作っていて(注文があれば中を白砂糖への変更も可能)、V字のデザインである(写真32)。昔はひし形や十字の模様をいれたこともあったが、より大きく見えて華やかであるV字になったそうだ。瓶の中身も和広氏が子供の頃には白砂糖に焼き菓子やゼリーでデザインしていた。すべて角砂糖になったのは30年前くらいだそうだ。敬供瓶用の台があるのは大竹堂さんだけだった。
 初七日までにあげて四十九日まで飾る決まりはなく、敬供瓶は法事・法要または供養のお供え物のひとつという認識である。四十九日まで飾る人もいれば、3か月くらい飾っている人もいる。初盆や三回忌など節目のお供え物として購入する人が多い。病院から1年間で亡くなられた方の供養をお寺で行う時のお供えものとして毎年注文があるらしい。
 年配の方からの注文が多い。現金だけでなくなにか贈りたい親族や特別付き合いの深い人が渡すものである。自分の身内で故人から敬供瓶をもらったことがありお返しとして渡すこともある。今は1本だけ購入する人もいるが、対で購入する人が多い。なので、ショーケースにあるものも対になっている(写真31)。昔は敬供瓶が20本30本並ぶことがあるほど多かったが、今はお金だけで済ませることが多い。
 たくさん敬供瓶がお供えされていたころは、瓶の数の多さがステータスだったようで、故人の人脈が広かったことを示すために、瓶の数が少ない場合、お金でもらっていたものを遺族の方が敬供瓶に変えて並べていたこともあったそうだ。
 市内において敬供瓶の風習はまり知られていないが田舎では盛んであるという認識である。時代の流れにより近所づきあいが少なくなっていることも関係しているのではということだった。
【サイズ】 5斤瓶1種類 6480円
【デザイン】角砂糖のみV字型 リボン・名前の札・台あり
【いつ】  初盆や三回忌などの節目、供養
【誰から】 親族や特別付き合いの深いひと、病院

(写真30)外観

(写真31)敬供瓶がショーケースに陳列されている様子

(写真32)大竹堂の敬供瓶

第2節 千寿庵 長崎屋

 長崎市新大工町にあるお菓子屋千寿庵長崎屋の井上正和氏にお話しを伺がった。
 店内のガラスケースに敬供瓶が飾ってあった。サイズは5斤瓶5550円1種類(写真33)。
 初七日までにあげる決まりはなく、敬供瓶をお供え物としてあげる。今は敬供瓶でなくお菓子やビールを贈る人が多い。初盆に贈ることが多いそうだ。注文を受けるのはお盆の時がほとんどで、普段の葬式ではほとんど出ないとのことだった。親戚などの親しい人に渡すものである。4・5人の連名でわたすことも多いそうだ。購入する人は昔もらったことがある年配の方がほとんどである。
 昔はお葬式に行くと10個も20個も並んでいたが、今は敬供瓶があるとめずらしいと感じるそうだ。年間5本くらいの注文なのでもうそろそろやめることも検討しているようだ。
 昔から田舎のほうが盛んだったそうで、大村は多いという認識である。
【サイズ】 5斤瓶5550円1種類
【デザイン】角砂糖のみ ひし形 水引・名前の札あり
【いつ】  お盆
【誰から】 親戚

(写真33)千寿庵長崎屋の敬供瓶

第3節 街の声

 様々なお菓子屋をめぐったが取り扱っていないどころか、敬供瓶を知らない人、見たことがない人がとても多かった。市内に敬供瓶を置いているお店を知らない人が多い。年配の人が幼い時に少し見たことがあるといっていた程度だった。

 長崎市内では敬供瓶を見たことがない人や知らない人が多かった。ほかの地域と違い敬供瓶はお供え物のひとつにすぎないようである。

結び

 本稿では長崎県本島をフィールドとして、敬供瓶や砂糖瓶を取り扱っているお菓子屋さんや住民の方々からお話を伺い、敬供瓶を亡くなった方に贈るという長崎のある地域に伝わる独自の風習の実態を明らかにしてきた。お店によって作り方やデザインが異なることはもちろんの事、同じ長崎県でも地域によって、捉えられ方や行われ方が全く異なることがわかった。

謝辞

 最後になりましたが、本論文の調査執筆にあたり多くの方々にご協力いただきました。お忙しいなか、突然の訪問にも関わらず、温かく迎えてくださり、貴重なお話をたくさんお聞きすることができました。皆様のご協力なしには本論文を完成することはできませんでした。出会いに感謝し、お力添えいただいた皆様にこの場を借りて心より御礼申し上げます。本当にありがとうございました。