関西学院大学 現代民俗学 島村恭則研究室

関西学院大学大学院 現代民俗学 島村恭則研究室

蔵の民俗誌―大阪市鶴見区旧古宮村の事例―

【要旨】
 本論文は、大阪市鶴見区旧古宮村をフィールドとして、この地域一帯における旧農家の蔵について聞き取り調査を行うことで、農家であった頃の水路を利用する日常生活と、その暮らしの中での蔵への関わり方について記述したものである。本研究で明らかになった点は、次のとおりである。

大阪市鶴見区旧古宮村一帯には、現在も農家が残存し、伝統的な都市大阪の近郊農村であった頃の面影を残している。このような農家には、生活や生業の道具を保管するため、また田畑で収穫した米や作物を貯蔵するために蔵を持つ家が多くあり、この蔵も残存している家が多く存在する。

・1950年代頃までは、村内の道はほぼすべて水路か、もしくは農道であり、一面農地が広がっていた。村内の移動手段は舟であり、中でも3枚板舟が主流で、水路を3枚板舟で行き交う姿が日常の光景であった。

・この地域一帯の農家で蔵が重宝されたのは、水路があったことに加えて土地の低さも大きな要因であるといえる。水路が多くかつ土地が低かった旧古宮村地域では、農家の収入に直結するものとして重要である米を水に濡れないよう保存しておく場所として蔵が重宝されていたと考えられる。

米蔵が各家にあった頃のその収納物としては、収穫した米の他に、農機具や屋外で利用する調理器具等日常的に使用するものであった。

・戦時中には配給制度の下で米蔵に隠し持っていた闇米と、都市部の人々が持参した着物や油などで物々交換を行い、配給だけでは生きていけない都市部の人々に米を分けていた。戦後は闇市において米を売ったが、その市まで行くのも水路と川を舟で移動して運んだ。

・農家にとって最も重要な蔵は、衣装蔵よりも優先して建てられているという点において、米蔵であると考えられるが、現在は衰退している。その要因としては、米農家の衰退と、生活環境の変化が挙げられる。しかしこの2つは独立して発生したわけではなく、1988年の花と緑の博覧会をきっかけとして、旧古宮村一帯が急激に都市化していく中で、農地の宅地化と水路の道路化が進められた。そのため、水路のある地域の米農家にとって必須であった米蔵は衰退していったのであり、この2つの要因は互いに作用しあっていると言える。

・衰退する以前の米蔵については、収穫した米を水路で運搬していたため、家の敷地内でも水路に近い位置に建てられていることが多かった。しかし、安田地区においては辰巳の方位に米蔵、戌亥の方位に衣装蔵を置くと家運が上がるという風水の教えが強く根付いており、これを守って蔵を配置していた。

・衣装蔵については、現在でも使われており、婚礼や葬式、法事など非日常の空間において使われるものが多く収納されていることがわかった。

・蔵は米や家財を守るために防水・防犯に優れているものもある。特にC家の衣装蔵においては、浸水防止のために石段を積んで蔵を高くしてあり、また壁を鋸で切って侵入する泥棒除けのために木の壁板の中に鉄の棒が埋め込んである等、対策が施されている。

・衣装蔵については、米栽培の衰退や宅地化といった環境の変化が進んだが、これらによって収納物が受ける影響が少なかったと考えられ、時代が変化しても受け継がれ現在でも残存していると考えられる。

以上、本研究は、本来はあまり立ち入って研究されることの少ない蔵という私的な空間における、その収納物や残存・消滅についての人々の語りを、聞き取り調査を中心に研究したものである。民俗学分野における蔵についての研究は、その構造や形式、暮らしとの関わりについて調査したものが多く、このような蔵の収納物についての詳細な研究は今後も進める余地があると言える。したがって、今後も日本各地の伝統的な近郊農村における蔵を取り上げ、さらなる調査を進めたい。



【目次】

序章・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1

第1章 農村としての古宮村・・・・・・・・・・・・・3
 第1節 古宮村・・・・・・・・・・・・・・・・・・4
 第2節 水路と蔵・・・・・・・・・・・・・・・・・6

第2章 米蔵・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・9
 第1節 A家・・・・・・・・・・・・・・・・・・・10
 第2節 B家・・・・・・・・・・・・・・・・・・・16
 第3節 C家・・・・・・・・・・・・・・・・・・・22
 第4節 D家・・・・・・・・・・・・・・・・・・・24

第3章 衣装蔵・・・・・・・・・・・・・・・・・・・29
 第1節 A家・・・・・・・・・・・・・・・・・・・30
 第2節 B家・・・・・・・・・・・・・・・・・・・37
 第3節 C家・・・・・・・・・・・・・・・・・・・39

結語・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・47
文献一覧・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・49
URL一覧・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・51


【本文写真から】

C家の衣装蔵の外観。西と東の蔵が中央部の廊下で繋がっている段蔵である。


C家衣装蔵に収納されている長持。布団を収納するための木箱である。


A家米蔵にあった水車。農作業で使用されていたものと推定される。


A家衣装蔵に収納されている座布団。法事の際などに使用される。


B家衣装蔵の外観。住居と廊下で繋がっている。


【謝辞】
 本論文を執筆するにあたって多くの方の温かいご協力をいただきました。蔵という本来ならば他人に公開することのない私的な空間について、貴重なお話しをたくさん聞かせていただき、写真撮影にも快く応じてくださいました、A家、B家、C家、D家の皆さまには心より感謝申し上げます。皆さまのご協力なしでは本論文は執筆することのできなかったものです。本当にありがとうございました。