関西学院大学 現代民俗学 島村恭則研究室

関西学院大学大学院 現代民俗学 島村恭則研究室

文献解題

島村ゼミ3回生によるフォークロア研究文献解題


【解説担当者より】
 今回論文を選ぶにあたって、解説担当者が目次から目星をつけた論文に共通点がいくつかあった。それは「伝統」「歴史」「文化」である。以前より、歴史的な建造物、神事や伝統工芸などに興味があったため今回この3本の論文を選んだ。この3本の論文を読んでこれらの言葉の曖昧さを実感し、その言葉の裏にあるものの理解を深めることが重要だと改めて学んだ。今後のフォークロア研究においても、今回学んだことを生かしていきたいと思う。(山田早織)


■青木隆浩「飲酒規範と近代―「伝統」の流用と未成年者の飲酒禁止を中心として―」『日本民俗学』219号 1999年

(1) 著者について
 青木隆浩 大学共同利用機関法人人間文化研究機構国立歴史民俗博物館研究部助教授。法政大学文学部地理学科1993年卒業。東京大学大学院総合文化研究科広域科学専攻博士後期課程2000年修了。日本民俗学会、社会経済史学会、経営史学会、日本地理学会、東京地学協会、人文地理学会、歴史地理学会、環境科学学会、酒史学会所属。主要研究課題は、酒、商家、社会規範。

(2) 対象
 柳田国男の『明治大正史世相篇』「酒の飲みようの変遷」などにおける議論と、近代における、未成年者の飲酒禁止と1880年代前後から始まった禁酒運動

(3) フィールド
 東北地方、関東地方

(4)問題設定
 近代には酒の飲み方が乱れ、社会問題となっていた。そこで、柳田の『明治大正史世相篇』「酒の飲みようの変遷」における飲酒論を相対化するとともに、近代化に伴う酒の飲み方とその変化について歴史的背景を踏まえて論じる。

(5) 方法
 文献調査

(6) ストーリー
 今日の日本では、飲酒に関する規範が社会全般に浸透しており、その規範内であれば日常特に大きな規制を感じることなく、自由に酒を飲むことができる。しかし、この規範が自明のものになったのは歴史的にまだ浅く、第二次世界大戦後である。近代、特に明治期には酒の飲み方が乱れ、大きな社会問題となっていた。既存の研究では、酒の飲み方が時代によって変わるという考えがなされていなかった。しかし、柳田は飲酒の歴史的変化に注目した。そこで、柳田は近代特有の飲酒問題である、宴会と独酌による大量飲酒の問題を取り上げ、その解決のため女性の管理による節度ある酒の飲み方を提示した。また、1880年代前後から盛んに行われた禁酒運動や未成年の飲酒禁止法を取り上げ、飲酒を法律で規制することについて批判した。

(7) 結論
 柳田は近代における、大量飲酒を「伝統」とする誤った考えや、法律による禁酒について、民衆に対して正しい歴史的知識をつけ、現状生活に問題意識を持ち、自己判断に基づく節度ある生活態度を営むことの必要性を喚起した。また、飲酒を法律によって規制することは庶民の自主性を奪うものであり、新たな犯罪者を生じさせる。よってこの飲酒問題は国家や禁酒運動家によってではなく、民衆自らの手で解決するべきである。

(8) 読み替え
 本論は柳田の著書を分析することで、飲酒の歴史的変化、民衆の家庭における女性立場
の変化について誤った知識のまま受け入れていることを明らかにした。それは「伝統」と
いう言葉に惑わされているからだ。「伝統」は私たちと過去を結びつけることができる
が、その「伝統」についての知識がなければ与えられたものをただ受け入れるだけである。また、飲酒問題を民衆の手に預けることも、今までの「伝統」を学び、「経験」することによって解決できる。


■青木啓将 「日本刀剣界の〈美術〉性をめぐるせめぎ合い―岐阜県の「関の刀匠」の日常的実践―」『日本民俗学』260号、2009年
(1) 著者について
 青木啓将 早稲田大学人間科学学術院助手。中京大学社会学部2001年卒業。中京大学大学院社会学研究科修士課程2004年修了。名古屋大学大学院文学研究科人文学専攻博士後期課程2008年満期退学。専門は文化人類学民俗学

(2) 対象
 日本刀、刀匠、批評家

(3) フィールド
 岐阜県関市、加茂郡富加町

(4) 問題設定
 日本刀を巡る内と外、「伝統」と「美」のせめぎ合いについて

(5) 方法
 文献調査、聞き取り調査、参与観察

(6) ストーリー
 日本刀は、武器であるとともに「美」を見いだされている。その「美」は批評家たちの各々の評価基準を「絶対」のものとし、展覧会などで刀匠たちの製作した刀をランク付けした。日々の生活が懸かっている刀匠たちは批評家たちの「絶対評価基準」に従いつつも、限られた製作本数のなかで自分の価値観を反映した日本刀を製作するためにせめぎ合っていた。

(7) 結論
 日本刀剣界において、日本刀は伝統を重んじる「美術品」であることが規範として維持されていること、そしてその「伝統」に対する認識と日本刀の評価基準を批評家と刀匠が互いにせめぎ合う動態を明らかにした。批評家たちは各々の評価基準を「絶対的評価基準」とした。その生成において批評家同士でせめぎ合っていた。刀匠たちは「絶対評価基準」に対するせめぎ合いは一歩譲りながら、自分の価値観を日本刀製作に反映させるためにせめぎ合っていた。この姿勢が日本刀剣界の大勢が支持する「伝統」と「美」に対応することであり、日本刀古来の「伝統」を保持し、日本刀の「美」を継承する「刀匠」の生き方なのである。

(8) 読み替え
 廃刀令によって無用の長物となってしまった日本刀は「美術品」となることで存続することができた。美術品とするためには「伝統」が必要不可欠であった。批評家や刀匠たちはこの「伝統」を守るために互いにせめぎ合った。「伝統」という観点において批評家や刀匠、「美術界」と「日本刀剣界」が結び付けられている。また、「伝統」を守るという「経験」も共有している。


■門田岳久「巡礼ツーリズムにおける「経験」の解釈―サービスと宗教性の交叉的生成に基づく間身体的共同性―」『日本民俗学』261号、2010年。

(1)著者について
 門田岳久 立教大学観光学部交流文化学科助教文化人類学民俗学。宗教ツーリズム、自己物語、聖地、ローカルガバナンスなどを研究。

(2)対象
 新潟県S市に所在する旅行会社が主催する「四国八八カ所巡拝」の参加メンバーと添乗員

(3)フィールド
 四国

(4)問題設定
 ツーリストの行為や思考の領域に焦点を当て、旅行会社によるサービスと宗教性の交叉的生成が巡礼者たちにどのような「経験」をさせているのかを明らかにする。

(5)方法
 参与観察、聞き取り調査、文献調査

(6)ストーリー
 著者は団体の巡礼バスツアーに補助という形で参加し、参与観察をした。そこで、参加者たちと巡礼していく中で、参加者たちの外見、内面、行動の変化を目の当たりにする。巡礼者たちは添乗員によって服装や言葉遣いを矯正され、巡礼という宗教的実践に満ちた空間で「それなりの宗教的経験」をすることで内的経験、精神的充足を得る。また、読経をみんなですることで、共同経験をする。この共同経験によって複数の身体が単数化していく感覚を生み出す。この感覚を生み出すことによって、自分でもうまく昇華できていない「重い語り」ができないある種の空虚感を埋めてくれるのである。

(7)結論
 巡礼ツーリズムの経験とは、間身体的共同経験に凝縮されている。巡礼ツーリズム参加者は徒歩巡礼のように「痛み」を伴う身体的実践を欠き、宗教的経験に関するツーリスト間の対話や語りも生み出されない。その一見空虚な雰囲気を埋め合わせるかのように深い印象をツーリストたちに与えるのが、全員でなされる読経である。しかし、この共同経験は予知調和的なものであり、巡礼ツーリズムにおける「商品」なのである。この商品を手に入れた人が日常生活に戻った後、自己を取り巻く他者や地域社会へあたえる影響も、今後重視されていく。

(8)読み替え
 巡礼ツーリズムとは単なる宗教的習俗でも産業的商品でもない。両方が不可分に融合したものである。そこで、巡礼参加者たちが互いに「経験」を共にし、共同経験を得ることで、暫定的な集団のある種の空虚感を埋めてくれると感じる。しかし、その共同経験は巡礼ツーリズムにおける「商品」なのである。巡礼ツーリズムは宗教性と商業性の交叉地点に宗教的経験を生み出すのである。