関西学院大学 現代民俗学 島村恭則研究室

関西学院大学大学院 現代民俗学 島村恭則研究室

大和売薬の世界―奈良県における配置薬行商の歴史と民俗―

大和売薬の世界―奈良県における配置薬行商の歴史と民俗―

二上 愛

【要旨】
 本研究は奈良県の売薬業について、奈良県の御所市と高取町をフィールドに実地調査を行うことで、売薬業に対する社会の変化や歴史、そして配置員の生活を明らかにしたものである。
本研究で明らかになった点は、以下のとおりである。

1.古代日本の中心であった大和では、医学も早くから取り入れられ、医薬品を製造することによって全国に薬を売る「薬売り」が誕生した。中でも薬草が豊富にとれた現・御所市や高取町が中心であった。

2.測量団として北海道に渡った木田直次郎が現地で売薬業を行ったのをきっかけに、明治時代から戦前にかけて多くの奈良県出身者が北海道で売薬業を始めた。

3.配置員は数千軒の得意先を持つことが多く、一年の大半を行商先で過ごす。またそれぞれの行商圏で決まった商人宿に宿泊する場合が多い。

4.現在は跡を継ぐ者が少なくなったため、配置員の財産である得意帳は組合が抽選や入札を代わりに行う制度も出来ている。

5.得意先の高齢化に伴い、奈良県の配置業界は医薬品以外にも医療用具などの販売を行う新たなビジネスを模索しているところである。

【目次】

序章 ―――――――――――――――――――――――――――――― 1 
 はじめに......................... 1

第1章 奈良県とくすり ――――――――――――――――――――― 4
第1節 奈良県とくすり................... 4 
第2節 薬の元祖・役行者の伝承...............11

第2章 大和売薬の世界 ――――――――――――――――――――― 13
第1節 大和売薬の歴史...................13
第2節 配置員.......................22
第3節 得意帳.......................23
(1)得意帳 23
(2)得意帳の具体例 24

第3章 配置員のライフヒストリー ―――――――――――――――― 27
第1節 脇本 勲さん....................27
第2節 山本正則さん....................30
第3節 小柴一宏さん....................31
第4節 小林成郷さん....................32

まとめ ――――――――――――――――――――――――――――― 34

写真一覧 ―――――――――――――――――――――――――――― 36

文献一覧 ―――――――――――――――――――――――――――― 58

あとがき ―――――――――――――――――――――――――――― 59

【本文写真から】


写真1 「くすりの町」と書かれた看板がみえる。(高取町にて)


写真2 明治期に書かれた得意帳の中身


写真3 戦後まで、多くの配置薬行商人が背負っていた「こおり」とその中のようす


















【謝辞】
 今回の調査にあたり、たくさんの得意帳を提供してくださり、アドバイスやご助言をしてくださった三光丸クスリ資料館の浅見潤館長、配置員の方との架け橋になってくださった奈良県家庭薬配置商業協同組合の浅井氏、文献の協力をしてくださった奈良県製薬協同組合の木平大三郎氏、珍しい道具やお話をしてくださった丸太中嶋製薬株式会社の中嶋太兵衛氏にはこの場を借りて深く感謝を申し上げます。またご多忙であるにも関わらず、インタビューを引き受けてくださった脇本勲氏、小柴一宏氏、山本正則氏、木村成郷氏にも感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。

豊中の特飲街―占領期伊丹ベース―

豊中特飲街―占領期伊丹ベース―
坂口晴香


【要旨】
 本研究は、戦後、米軍基地として利用されていたイタミ・エアベース(現在の大阪国際空港)が存在する豊中市の中でも、特に米軍を顧客とした売春が蔓延した蛍池と、米軍の将校が住んでいた刀根山について、フィールドワークと資料をもとに当時の様子を調査したものである。
 
 本研究で明らかになった点は以下の通りである。

 1.戦後の売春は政府からの通達で公認されたものであったが、市政年鑑によると、蛍池では認可を受けている売春業者のほうが無認可のものよりも少なかった。
 2.蛍池は政策として作られた売春街としての赤線地区ではなかった。
 3.子供の住む一般家庭でさえ売春婦に間貸しをしていたが、その家の子供は売春婦から菓子を得やすくなるため、周囲からは嫌われるのではなく、羨ましがられた。
 4.置屋(間貸しをしている家庭)の人間は差別を受けなかったが、米兵と売春婦の混血児は差別を受けた。
 5.朝鮮戦争の休戦を受け、顧客である米兵が去った蛍池では、繁華街の火災が相次いだ。儲からなくなったバーなどに火災保険をかけてから火をつけたためだという。


【目次】

序章 基地と特飲街―――――――――――――――――――――――――――――――1
第1章 豊中市特飲街―――――――――――――――――――――――――――――5

   第1節 テキサス大通り.....................5
   第2節 刀根山ハウス.......................8

第2章 特飲街をめぐる人々―――――――――――――――――――――――――――11

   第1節 米軍兵.........................11
   第2節 パンパンと置屋.....................12
   第3節 子供たち........................17
   第4節 その他、豊中を取り巻く人々...............22
第3章 米軍撤退後の豊中市―――――――――――――――――――――――――――25
   第1節 イタミ・エアベース返還へ ...............25
   第2節 ゴーストタウンと化したテキサス通り ..........27
   第3節 パンパンの行方.....................27

まとめ――――――――――――――――――――――――――――――――――――29 

写真・図・地図――――――――――――――――――――――――――――――――30      

文献一覧―――――――――――――――――――――――――――――――――――42  

あとがき―――――――――――――――――――――――――――――――――――44 


【本文写真から】

写真1 当時、国道176線にあった伊丹基地のゲート
伊丹市立博物館 (2009) 『解説資料第57号 大阪国際空港開港70周年記念―空港と歩
んだ70年―』 伊丹市立博物館。


写真2 かつてゲートがあった場所。現在は歩道橋がかかっている。



写真3 当時の空港線には「テキサス大通り」と呼ばれる繁華街があった。
伊丹市立博物館 (2009) 『解説資料第57号 大阪国際空港開港70周年記念―空港と歩
んだ70年―』 伊丹市立博物館。



写真4 大阪大学刀根山寮。かつては刀根山ハウスの一部だった。


【謝辞】

この論文を執筆するにあたって、多くの方にご協力をいただいた。聞き取り調査でお世話になった南壽孝さん、福島節子さん、阿部光代さん、櫻本佐和子さん、岸上祐子さん、古川克己さん、ホームページより写真の借用を認めてくださった荒西完治さん、当時の写真を提供してくださったJames Millerさん、調査の過程でご教示を賜ったすべての方に心よりお礼を申し上げたい。ありがとうございました。