関西学院大学 現代民俗学 島村恭則研究室

関西学院大学大学院 現代民俗学 島村恭則研究室

ユダヤ人を生きるーある神戸在住イスラエル人の生ー

大石桃子

 

【要旨】

 

本研究は、神戸在住イスラエル人であるモシャ・ジノ氏のライフヒストリーを通して、在日ユダヤ人のの在り方について考察したものである。本研究で明らかになった点は、つぎのとおりである。

 

1. ユダヤ人にとって、家族のルーツは自己のアイデンティティを形作る重要な歴史である。ジノ氏の場合、父方の家族はイタリア、母方の家族はイエメンにルーツがあることから、自分はイタリア、イエメン系ユダヤ人としてのアイデンティティを持っている。家族の歴史を知ることで、ユダヤ人」であることの自覚、そして出自によって自分がどういった民族性を持つユダヤ人であるのかを認識するのである。

 

2. イスラエルの大都市ハイファで生まれジノ氏は幼少期、学生時代、兵役時代までをイスラエル過ごした実業家である祖父をもち、祖父母、親戚を含めた大家族の家庭で生まれ育った小学校低学年時代から学校ユダヤ人の歴史と聖書のについての教育を受け始めるが、宗教的にユダヤ教を理解するのはずっと後のことである。中学から高校にかけての学生生活では、何よりも夜の街でのパーティーもっぱらの楽しみであったという。高校卒業後の3年間、イスラエルの海軍に入隊した兵役時代は、厳しく統制された生活であったが、楽かったという思い出が彼の中に強く残っている。

 

3. ジノ氏は兵役後、ドイツ1年間滞在したのち一度イスラエルへ戻り、日本へ渡っ。兵役後に国外を旅行することは、イスラエルの若者の一般的な行動形態であり、ジノ氏も多くのイスラエルの若者と同じく、海外へ足を運んだ彼らにとって、国内に留まるのは退屈であり、外へ飛び出したいとの思いがあジノ氏の場合、旅行に加えてお金を稼ぐというビジネスも、海外へ渡る一つの目的であった。日本へ来日するきっかけとなったのも友人に誘われて参加した宝石店でのビジネスであった

 

4. ジノ氏が日本定住した理由は日本人女性との結婚である。来日して3ヶ月目に、2人は出会い、交際3ヶ月で結婚に至った結婚後に、はユダヤ教に改宗した。語りからかるのは結婚といった人生の重大な転機となるような状況に直面した際、「人生は何があるかわからないから、運命に身を任せれば成るように成るとの運命的な考え方が彼の心の中に存在し、人生の選択を左右しているということである。

 

5. 22歳で来日し結婚したジノ氏は、神戸で2人の娘を育てながら、起業家としての人生を歩んでいる。23歳で初めて自ら商売を始め、日本のみならず海外でも数回にわたりビジネスを行なってきた。彼が立ち上げた貿易会社は現在も大きく成長中である。彼にとって、新しいチャレンジをしリスクと共に生きることは、実に楽しい人生であり、「リスクを生きる」という自己の生き方の中にユダヤ性を見出しているようである。

 

6. ジノ氏副代表を務める関西ユダヤ教団は、超正統派のLubavitch派に属するユダヤ教会である。超正統派でありながら実際は、戒律に対して寛容である点も見られる。会で過ごす人びとは、家族のように仲が良く、子供が多いことからか教会全体には賑やかで暖かい空気が流れている。祝祭では、延べ150名もの人びとが集まり、賑やかで盛大な宴会が行われていた。教会を訪れるユダヤ人たちは日本に配偶者を持ち、定住している人がほんどであり、イスラエル、アメリカ、ヨーロッパ出身のユダヤ人が多い。ジノ氏は安息日、祝祭、大切な行事の際には必ず教会で過ごし、ラビの補佐役としての役割を担っている。

 

7. ジノ氏がユダヤ教を宗教的に捉え、戒律に対して真摯に向き合うきっかけとなったのは、妻のユダヤ教改宗である。妻と共にイスラエル教えを受ける中で、宗教的な疑問を自己に問いかけ始め、神への信仰心を強くもつようになった。イスラエルから離れた日本での生活、非ユダヤ人との結婚を通して、彼は「ユダヤ人」としてのアイデンティティを強く意識するようになる。そして、妻のユダヤ教改宗を機に「ユダヤ教徒」としての生を認識し始めのである。
 
【目次】
 
はじめに 問題の所在
 
第1章 家族の歴史とジノ氏の生い立ち
 
第1節 家族の歴史
第2節 ジノ氏の生い立ち
 
第2章 イスラエルから日本へ
 
第1節 来日
第2節 結婚
 
第3章 日本で生きる
 
第1節 家族
第2節 仕事
第3節 教会
 
結語
総括
参考文献
 
【本論文写真より】

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写真1 関西ユダヤ教団の外観

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写真2 関西ユダヤ教団の表札

 

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写真3 ローシュ・ハシャナで振舞われた、8種類の食材をのせたプレート

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写真4 シムハット・トーラーの様子

【謝辞】

本論文を執筆するにあたり多くの方々にご協力いただきました。関西ユダヤ教団、副代表のモシャ・ジノ氏には、お忙しい中、たくさんの貴重なお話をしていただきました。そして、関西ユダヤ教団の皆様は、私の度々の訪問を快く迎え入れて下さりました。皆様のおかげで本論文を執筆することができました。誠にありがとうございました。