関西学院大学 現代民俗学 島村恭則研究室

関西学院大学大学院 現代民俗学 島村恭則研究室

生業と夫婦の民俗誌 四万十市・西土佐口屋内の事例から

社会学部 和田康太郎

目次

序論
1. 研究の目的
2. 調査地について
一章 現代における女性労働の場
1. 「しゃえんじり」について
2. 開業に至るまで
二章 男女協働の場
1. 生業の変遷
2. 林業の現場
3. 漁業の現場
4. 舟母の現場
三章 男性労働の場
1. 生業ごとの男女の分担
2. 猟の現場
結論
1. 「女性は強い」のか
2. 都市生活者が学ぶべきこと


序論

1.研究の目的 
一般的に語られる高知県の県民性のひとつに、女性が強い、というものがある。高知の女性は一言で表すならば男勝りであり、よく働く気の強い人が多いとされている。土佐弁ではこうした女性像を「はちきん」という言葉で表すのはよく知られたことである。
 私は本調査で四万十市の西土佐口屋内地区を訪れたが、確かに行動力、活力にあふれる女性が多い印象を受けた。また地元の方々と交流する中で、この地域の生業の変遷が見えてきた。そこで本研究では生業の場で実際に「女性が強い」、すなわち女性が権威をもつ立場であるのか、という問いの答えを明らかにしようと考えた。しかし、本調査を進めていくことよって明らかになったのはこの問いの答えだけではなかった。この地域の暮らしぶりを見てゆくと、それが現代日本における都市生活者への示唆に富んだものであるということも判明したのである。
 そこで以下では、西土佐口屋内地区における人々の生業という題材から、時の流れとともに変化する男女(夫婦)の労働モデルに着目し、実際の労働の場で男女はどのような立場をとるか、またその暮らしが如何に示唆的であるかという2点について、その答えを示す。また、労働の場についての詳細な記述は、特に記載のない限り実地での聞き取り調査に基づくものである。

2.調査地について
 今回調査した高知県四万十市・西土佐口屋内地区は四万十川河口から直線距離で約20kmの位置にある。平成17年の中村市との合併により四万十市が誕生するまでは、幡多郡西土佐村に属していた。平成30年2月現在、世帯数は65世帯、人口にして114人が暮らす地区である。四万十川の支流である黒尊川との合流地点に位置しており、漁業(アユ、ウナギ等)が盛んである。四万十川流域では伝統的な漁業の方法として火振り漁がおこなわれているが、口屋内においてもこれが行われる。また稲作や畑作なども盛んにおこなわれている。

図1 口屋内中心部を縦貫する四万十川

図2 川の西側の集落では、田畑が多くみられる


一章 現代における女性労働の場

図3 「しゃえんじり」の料理

図4 「しゃえんじり」裏手にあるしゃえんじり

1.「しゃえんじり」について
 口屋内という場所は、以前は交通・物流の要衝として栄え、商店や飲食店、また映画館などが軒を連ねていたそうだ。そんな歓楽街が存在した場所に、1軒の料理屋が建っている。その名も「しゃえんじり」である。この名前は幡多の方言で家庭菜園を意味する(しゃえん=菜園・じり=土地)。しゃえんじりは西土佐の家庭では一般的なもので、「しゃえんじり」では名前の通りしゃえんじりで獲れる野菜や、四万十川の川の幸を使用した家庭料理を提供している。
 以前は飲食店が軒を連ねていた、と述べたが、「しゃえんじり」自体の歴史はそう古いものではない。開業したのが平成17年の3月であるから、13年ほどの歴史である。ではなぜ13年前、開業に至ったのだろうか。

2.開業に至るまで
 「しゃえんじり」の代表である岩本久子さんの話によれば、当時はこの地域の基幹産業である林業が衰退した時期で、働く場所を失い、収入が低下した世帯も多かったという。岩本さんは「木材の輸入自由化」が原因であると語っていたが、林野庁の統計を見れば、確かに平成17年前後は木材自給率が20%を割り込む年もあるなどかなり低下している。口屋内の人々は生業として林業を営む人が多いため、相当な打撃があったことは確かだろう。そこで収入の低下した世帯の「女性」が主体となり、新たな働き場として、また地域おこしのため、田舎料理の店を出す計画を立てたという。この計画も女性が中心となって進められ、同時期に閉鎖された保育所の空家を利用して開店した。この際建物の改装工事を行ったが、その建築資材は「男性」が解体された家屋などから調達してくるなどしたという。
 この事例について考えれば、一見「女性が主役」であり、「男性が支える」という図式に思える。やはり、女性は強いのだろうか。より核心に迫るべく、私は「しゃえんじり」に至る足跡をたどることとした。


二章 男女協働の場

1.生業の変遷
岩本さんによれば「しゃえんじり」が計画されたきっかけは林業の衰退であった。つまりそれまでは林業が盛んだったわけである。そこで口屋内の人々から過去の生業について聞き取りを行い、その内容をつなぎ合わせていくことにした。
口屋内では昭和3,40年代は炭焼きを中心としながら、黒尊川流域での林業(炭の材料、また資材として)・また四万十川での舟母(せんば・舟運業務)が盛んにおこなわれていた。エネルギー革命によって木炭の需要が低下すると炭焼きと同時に舟母も衰退し、以降は林業が中心となり、現代では前述の通り林業の衰退によって他の生業を中心に据えるようになったようである。

2.林業の現場
では、林業が栄えていたころの労働の場において、男女の役割はどのようなものだったのだろうか。林業の現場に関して、数年前まで林業を営んでいたという和田悦雄さん、鈴美さんご夫婦に話を伺った。悦雄さんは昭和40年代から林業に従事しており、70歳のとき足を悪くして引退してからは米づくりを中心としているという。また鈴美さんは現在「しゃえんじり」で働いている方である。
林業というのは数十年という長いサイクルで営まれるものであり、当然和田さんらが営んでいた林業も例外ではない。木を植え、育て、伐採するという工程の中には、さまざまな作業が含まれるが、ご夫婦はこの作業について、順を追って教えてくださった。
まず苗を植える前に、地拵えを行う。植える苗の数は山の斜面を真上から平面として見て、1町歩(約1万平方メートル)につき3000本というように決まっており、それに合わせて整地してゆくのだが、この作業は女性が行うという。
地拵えが終わるとここに苗木を植えるのだが、その苗木を購入してきて、苗木を背負って持ってこなければならない。この苗木の買い付けも植え付け作業も、男女で行うものだという。苗を植えると4~7年くらいの間は周りの草刈りを行う。10年が経過し、木がある程度成長するころには雑木を切り、その後は枝打ちをしたり、間伐をしたりなどしながら手入れをしていく。こうした仕事も、すべて男女で行うものだという。苗を植えることには炭焼きも行っていたそうだが、これも男女の仕事である。
育った木を伐採する際、チェーンソーを用いて木を切るのは男性の仕事である。木を切った後は川岸へ集めるのだが、川の向こう岸へ木材を渡す際、まとめた丸太をロープウェイのようにして「飛ばす」という作業をしていた。この作業では、男性は丸太の上に乗ることもあったようだ。では女性はこの時何をしていたかというと、誘導や、木を束ねるなどの地上での業務を担当したという。この「木を飛ばす」仕事について特筆すべきは、男女の分担があると同時に、夫婦のペアで行うものだったということだ。夫婦で行う理由について悦雄さんは「この仕事は危険であるから、信頼のある相手としかできない」と語った。夫婦で行う仕事には、そうしなければならない理由があるのだ。

図5 伐った木をワイヤーに吊るして渡す様子(『四万十川がたり』より)


3.漁業の現場

図6 口屋内沈下橋と漁舟(口屋内地区活性化協議会蔵)

和田さんご夫婦は、口屋内では唯一「夫婦で漁業を行う家」でもある。地域の方々の話によれば、現在でこそ他の家庭の人と共同で行ったり、漁業権を譲渡してしまったりする家がほとんどになっているが、以前はどの家庭も夫婦で漁業を営んでいたという。そして夫婦で行う漁業では、舟(=家庭)ごとに男女の役割分担の形が決まっているそうだ。
 例として和田さんの舟の分担を示すと、網を上げるまでは悦雄さんが艪を漕ぎ、網を上げるときは鈴美さんが艪に回る。一般的な家庭では終始女性が艪を漕ぎ、男性が網を扱うという分担が多いため、こうした分担は珍しいという。この立ち回りに関して、鈴美さん曰く「網を上げるのは、重いから力がいる。女の人は艪を漕げない人もいるけど、私は艪も漕げるし網も入れられるからこうしている」のだという。話を聞くと、鈴美さんは悦雄さんと結婚するまで、口屋内から少し下流に移動した位置にある久保川という地域に住んでいたそうである。この地域では児童の登下校のための渡船が各家庭の持ち回りで運行されていたため、艪を漕ぐのが上手いそうである。こうした例からもわかるように、漁業の現場における分業は、各家庭の適正に合わせて決められるものなのである。

4.舟母の現場

図7 四万十川を往く舟母(『四万十川がたり』より)

ここまで林業、漁業の現場について見てきた。こうした生業は現在でも行われているものだが、現在では見られなくなった生業においても夫婦協働の象徴的な場が存在したようである。それが先述した「舟母」である。舟母は四万十川流域における物流の主軸であったが、約50年前の沈下橋の増加とともに物理的に通行が困難となり、衰退していった。実際に舟母を運航していた人はもう少なくなってきているが、当時を知る人として、ご両親が舟母に携わっていたという渡辺幸寿さんにお話を伺った。
 舟母は西土佐と中村の港町を結ぶものである。渡辺さんの家の舟では、積み荷は主に炭焼きによって生産された木炭で、これを積んで口屋内を出た舟は河口部の下田地区にある倉庫で荷役を行う。帰りも空荷では帰らず、食料を仕入れて舟に積み込み、中村で一泊してから西土佐へと帰っていたそうである。
 前述したように、舟母は夫婦での労働の場であり、舟は夫婦一組で運航されていた。しかし、渡辺さん曰く「娘は舟母にはやらん」とよく言われるほどに、女性にとって大変な仕事であったようである。舟母は帆掛け船であるから、風のない日の運航は困難である。そうした日には女性が岸から船を引っ張って運航していたという。ただでさえ重労働であるのに、冬場などの冷たい川岸での作業の過酷さは想像に難くない。
 ならば、何故夫婦で働くのだろうか。この理由として渡辺さんは「家計が同じであるという信頼」、そして「ほぼすべての家が様々な仕事を兼業している」こと、つまり「夫婦で仕事をしないと忙しい」という要素を挙げた。私が口屋内に行った際の印象的だった会話に、「川の漁を行っている人に話を聞きたい」と話したら「この辺の人は皆漁をしている」と言われた、というものがある。「しゃえんじり」に関する説明にも含めたように各家庭に畑があり、夫婦で畑仕事を行っている。今回林業については和田さんのお話を軸に考察したが、渡辺さんも営林署にお勤めであった方で、林業全盛期にはやはりほぼすべての家庭が林業に従事していたそうである。こうしたことを考えれば、夫婦で働かねば仕事が回らないというのは明らかであろう。そして渡辺さんは「夫婦で働くというのは炭焼き、舟母の頃から続いてきた考え方だ」と語っていた。代々夫婦で働くことによって、生活を維持してきたのである。


三章 男性労働の場

1.生業単位の男女分担
?章では生業の一つ一つの中で男女の分担が行われている事例を取り上げ、その理由について考察してきたが、すべての生業において男女協働が行われているわけではない。例として、養蚕を行うのは女性の仕事、牛を飼うのは男性の仕事、というものがある。この種の生業の例として、ここでは山での猟を取り上げる。川での漁は男女協働であるが、山の猟は男性労働の場であるそうだ。舟母についてお話してくださった渡辺さんは猟を行っており、引き続きお話を伺うことにした。

2.猟の現場
昭和40年代中盤から後半にかけて、口屋内の周辺の造林地ではイノシシ・シカによる被害が深刻化した。植林をしても苗を食べられる、成長した木も皮を齧られ、そこから腐ってしまうというものである。当時営林署にお勤めであった渡辺さんはこうした害獣の駆除を行うこととなった。こうした経緯であるからそもそもの目的は駆除なのだが、獲れたイノシシ・シカは食用となる。昨今「ジビエ料理」が注目されているが、こうした裏側の事情もあるのだ。
山の猟では跳ね上げ式の仕掛けを用いた罠猟が行われる。10人程度のグループで行動し、渡辺さんのグループには口屋内の人々の他にも玖木や中半などの周辺地区の人々もいたという。組織的な猟とはいえ、各個の縄張りに関してなどは「暗黙のルール」によって決まっていた部分は多かったそうである。しかし最近では市や県の政策により外部の猟師の流入が激しく、こうしたルールは淘汰されてしまっているようだ。また獲物の獲れるポイントなどの変化も生じており、近年では害獣そのものとは違った部分での苦労も絶えないようである。
こうした「男性労働の場」である山の猟だが、ここで獲れた獲物は口屋内でも消費されている。消費される場所の一つとして料理屋しゃえんじりがあるのだが、こちらが「女性労働の場」であるのは興味深い。

図8 「しゃえんじり」で提供されるシカ肉のコロッケ


結論

1.「女性が強い」のか
 私は「女性が強いと言われ、実際そうした印象を受ける社会において、本当に女性は強いのだろうか」という疑問からこの研究に着手したが、暮らしの営みを具に見ていると、生活の中で、特に労働の場においては、立場の上下は無に等しいのではないか、と感じられた。
複数の生業を各家庭で同時に行い、そうした家が集まった社会であるからこそ、欠けてよいピースなど存在しないのである。しかしそれは丸々同じ仕事をするというわけではなく、男性のみの労働、女性のみの労働も存在するが、それはお互いの適性を考えてのことであり、お互いが支え合うことで成立するものだといえる。この視点から言えば、「しゃえんじり」誕生にまつわるエピソードとして紹介した「女性が企画し、男性が店舗の改装を手伝った」という話も、どちらが主役ということではなく、適材適所でお互いが支え合っているからこそであろうと考えられる。こうした社会からは「女性の労働」「男女の協働」「男性の労働」の3つが、一つの円の上に並んでいるような社会の姿を見て取れる。こうした社会であるからこそ男女が同じだけ働き、同じだけ収入を得る。そのためどちらが強いということはない、フラットな関係性が築かれるのだ。

2.都市生活者が学ぶべきこと
これまで取り上げてきたような男女協働の労働モデルは、口屋内という地域のものでもあり、日本の伝統的農村生活の姿でもある。我々がこのような生活モデルの表層を見て「女性が強い」と感じるのは、「男は仕事・女は家事」という都市生活の女性観を刷り込まれているからではないだろうか。即ち「女性が強い」の構造を分解すると、「高知の男性<高知の女性」ではなく、「世間一般の女性<高知の女性」というわけである。「女性が強い」と言うと「かかあ天下」というイメージに直結しがちであるが、実態はそうではないというのは今まで述べてきたとおりである。我々の思う「女性」より、実際の女性が強いというだけなのだ。
このギャップから都市生活者は多くを学ぶべきである。昨今の日本社会では「男女平等」「男女共同参画社会」などというスローガンが頻繁に掲げられるが、我々の目指すべき社会の姿は、農村に暮らす人々の社会なのではないだろうか。労働や家庭の場において女性の立場が弱いと思われてきた都市生活者のライフスタイルでは「仕掛けられた男女平等」が横行し、時に男女がお互いに苛烈なまなざしを向けあったり、逆に労りすぎたりするようなシーンが多々見かけられる。マッチョイズムや行き過ぎたフェミニズムは、こうした土壌から生まれるものだと私は考える。我々は一度原点に立ち返り、「自然な男女平等」について今一度真剣に検討すべきではないか。あらゆることから学び、内省のもとに成立するより良き社会の実現を、切に願うばかりである。


参考資料
西土佐村史編纂委員会編(2009)『西土佐村史:永久保存版』四万十市
蟹江節子(1999)『四万十川がたり』山と渓谷社
四万十市人口推移表 http://www.city.shimanto.lg.jp/life/toukei/shimanto/tukibetu.html (2018/2/5閲覧)
木材供給量及び木材自給率の推移(グラフ) http://www.rinya.maff.go.jp/j/press/kikaku/attach/pdf/170926-2.pdf (2018/2/7閲覧)
美しい郷 口屋内 http://kuchiyanai.blog.fc2.com/ (2017/11/30閲覧)


本レポートの作成にあたり、岩本さん、和田さんご夫婦、渡辺さんをはじめとした口屋内にお住いの方々や、地域おこし協力隊の高濱さんには、さまざまなことについて教えていただいた。ご協力いただいたすべての方に感謝しつつ、筆を置くこととする。