関西学院大学 現代民俗学 島村恭則研究室

関西学院大学大学院 現代民俗学 島村恭則研究室

観光地「猊鼻渓」の発見と展開ー岩手県一関市東山町長坂の100年ー

社会学部 尾崎聡香
【要旨】

本研究は、岩手県一関市東山町長坂に位置する猊鼻渓をフィールドに、実地調査を行うことで、観光地としての「猊鼻渓」の発見と今日までの展開を明らかにしたものである。本研究で明らかになった点は、以下のとおりである。

1.明治時代になるまで、猊鼻渓の存在は村民によって隠され、その地を治める役人でさえ知らない、名前もない秘境の地だった。それは景勝地として知れ渡ることで必要になる接待のための莫大な出費を危惧したためであった。安永風土記「長坂のお書上げ」にも記載がない。

2.このまま猊鼻渓の絶景が誰にも知られず埋没してしまうのはもったいないと考えた長坂の有力者であり漢学者である佐藤洞潭・佐藤猊巌父子が、猊鼻渓に観光地としての価値を発見し、世の中に伝えるために私財をなげうって尽力した。佐藤父子の尽力なしには今の観光地「猊鼻渓」は存在しない。明治43年に猊巌が「猊鼻渓」と名付け、その後、特徴ある奇岩に十五勝を名付けた。

3.大船渡線の開通によってアクセスが整う。史蹟名勝天然記念物に指定されることで猊鼻渓に名勝という冠がつく。げいび追分という猊鼻渓ならではの名物が完成する。これらにより大正14年に今の観光地「猊鼻渓」の土台ができた。

4.全国の舟下り業と同様に、猊鼻渓舟下りもルーツは木流しであった。当時猊鼻渓周辺は赤松や杉の宝庫であった。これを伐りだし北上川まで運んだ方法やその職人を木流しという。当初は木流しと舟での猊鼻渓案内をどちらも行っていた。時代の流れと共に、運送業が水路から陸路に変わり、昭和30年ごろには完全に木流しは姿を消した。

5.のちに舟下りはかぢや旅館、鈴木旅館、佐々木屋など旅館が請け負っていた。昭和45年4月1日にこの3つの会社がひとつに合体し有限会社げいび観光センター法人が設立された。

6.かぢや旅館はもともと今泉街道沿いで鍛治屋を営んでいた。街道沿いにあることもあり、旅人を泊めるようになった。これが旅館業の始まりである。生業のひとつとして木流しを営んでいた。2度の大きな失敗があり財を失って苦労したことが今でも代々言い継がれている。かぢや旅館には木流しをしていた舟と操縦できる人がいたこと、また猊巌のご近所さんだったことから猊鼻渓に初めて舟を浮かべた。

7.県内第一号としての猊鼻渓の「日本百景」の認定は、村中の人々の努力の甲斐あって勝ち取ったものである。事務所を鈴木旅館に置き、青年団を中心に活動。長坂で作成し猊鼻渓に応募されたはがきは273455枚にも及ぶ。

8.大河ドラマによる平泉ブームにより猊鼻渓にも観光客が激増する。厳美渓との差別化のため猊鼻渓表記からげいびけい表記に変更される。現在は猊巌への尊敬の念をこめて漢字表記になっている。

9.現在、様々な「猊鼻渓名物」が創出されており、国内外から観光客が訪れる観光地としての「猊鼻渓」が展開されている。

10.上りも下りも船頭一人棹一本で木造船を操る舟下りは、全国で唯一猊鼻渓舟下りだけである。木造船は船頭の手作りである。

【目次】
序章 問題の所在とフィールドーーーーーーーーーーーーーーーー1
 第1節 問題の所在-----------------------------2
 第2節 猊鼻渓---------------------------------2

第1章 猊鼻渓以前ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー5
 第1節 木流し---------------------------------6
 第2節 宿場町---------------------------------8

第2章 「猊鼻渓」の発見ーーーーーーーーーーーーーーーーーー11
 第1節 佐藤洞潭・猊巌父子---------------------12
 第2節 大正14年の猊鼻渓---------------------17
  (1)大船渡線の開通-------------------------17
  (2)「史蹟名勝天然記念物」への指定---------18
  (3)民謡「げいび追分」---------------------20

第3章 観光地としての展開ーーーーーーーーーーーーーーーーー25
 第1節 かぢや旅館と舟下り---------------------26
 第2節 鈴木旅館と「日本百景」-----------------28
 第3節 木流しから舟下りへ---------------------30

第4章 戦後の観光ブームーーーーーーーーーーーーーーーーーー32
 第1節 大河ドラマ義経」---------------------33
 第2節 げいび観光センター---------------------36
 第3節 「猊鼻渓名物」の創出--------------------37
  (1)木流し鍋-------------------------------37
  (2)運玉-----------------------------------37
  (3)お小夜の一本桜-------------------------40
  (4)龍門ノ滝と潜龍潭-----------------------42
  (5)毘沙門天とお賽銭箱---------------------45
  (6)イベント-------------------------------46
  (7)臥龍道---------------------------------47
 第4節 舟下りの現在---------------------------48
  (1)舟と道具-------------------------------48
  (2)船頭-----------------------------------54

結語ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー58

文献一覧ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー61

謝辞ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー62

【本文写真から】

写真1 猊鼻渓と舟 舟からの絶景

写真2 佐藤猊巌像

写真3 木流し

写真4 昭和12年〜13年のかぢや旅館

写真5 願掛けの穴と運玉
【謝辞】
 本論文の執筆にあたり、たくさんの方々のご協力をいただきました。お忙しい中、猊鼻渓の歴史から現在にいたるまでのお話を丁寧に教えてくださり、たくさんの貴重な資料を提供してくださったげいび観光センター監査役鈴木眞様。突然おしかけたにもかかわらず温かく迎え入れてくださったげいび観光センターの船頭さん・スタッフのみなさん。関学の大先輩でもあり木流しのことやかぢや旅館の歴史について親切に教えてくださったかぢや旅館別館らまっころ山猫宿女将菅原行奈様。突然伺ったにもかかわらず木流しや猊鼻渓について貴重なお話をしてくださった菅原喜重郎様さつ子様。これらの方々のご協力なしには本論文は完成に至りませんでした。素敵な出会いに感謝し、お力添えいただいたすべての方々に心より御礼申し上げます。本当にありがとうございました。