関西学院大学 現代民俗学 島村恭則研究室

関西学院大学大学院 現代民俗学 島村恭則研究室

桑山敬己氏報告「『ネイティヴの人類学と民俗学』とその後―日本の学問の行方―」(関西学院大学社会学部研究会例会)

関西学院大学社会学部研究会 2018年度第3回例会

桑山敬己氏「『ネイティヴの人類学と民俗学』とその後―日本の学問の行方―」

コメンテーター:島村恭則

2018年10月31日、関西学院大学社会学部

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島村 恭則「桑山報告へのコメント

  桑山氏も『ネイティヴの人類学と民俗学』の中で触れているように、日本では、「二つのミンゾク学」という表現で、文化人類学(かつての「民族学」)と民俗学の近接関係が語られてきました。わたしは、この二つのうちの一方、民俗学を専攻する者であり、その立場から以下、桑山氏の報告にコメントしたいと思います。

 学生はもちろんのこと、他分野の研究者からも、文化人類学と民俗学は、どうちがうのか、という質問を受けることがあります。これについて、少なくとも日本では、まともな説明を行なっている文献はありません。当の文化人類学者や民俗学者も、うまく説明ができず、「文化人類学は異文化研究」、「民俗学は自文化研究」というような説明でごまかしていることが多いです。

 ここで、わたしが両者のあり方について説明してみると、つぎのようになります。人類学(文化人類学、社会人類学、民族学)は、桑山氏が述べているように、イギリス、フランス、あるいはアメリカ合衆国といった覇権主義的国家において発達した学問です。一方、民俗学は、18・19世紀のフランスを中心とする啓蒙主義や、ヨーロッパ支配をめざしたナポレオンの覇権主義に対抗するかたちで、ドイツのヘルダー、グリム兄弟において土台がつくられ、その後、世界各地に拡散し、それぞれの地域において独自に発展をみたディシプリンです。

 具体的には、早くから民俗学が強力に発達して今日に至っている国、地域として、フィンランドエストニア、ラトヴィア、リトアニアノルウェースウェーデンアイルランドウエールズスコットランドブルターニュハンガリー、スラブ諸国、ギリシア、日本、中国、韓国、フィリピン、インド、アメリカ合衆国、ブラジル、アルゼンチンなどをあげることができます。

 そして、ここで注目すべきこととして、これらの国、地域の中には、世界システム上、周辺的な位置にある(あった)国や地域が少なからず(すべてとはいいませんが)含まれているという点を指摘可能です。むしろ、どちらかというと、そうした周辺的な国や地域においてこそ、民俗学がとくに発達して現在に至っているということすらできると思われます。

 ところで、この場合、民俗学は、イギリス、フランス、アメリカ合衆国以外の、それぞれの国、地域において独自に発達したため、英語圏、あるいはドイツ語圏の民俗学はともかくとして、それ以外の言語を母語とする各国、各地域の民俗学がそれぞれに蓄積してきた重厚な内容、あるいはそれぞれの民俗学の存在それ自体が、他の国、地域に知られることが少なかったという事実があります。

 そのため、つぎのようなことが起こります。イギリスの文化史学者のピーター・バークは、『文化のハイブリディティ』という本の中で、「異種混淆性」という概念について説明する際、以下のように述べています。

  「今日それほどに知られてはいないが、文化の変容を分析する際にはおなじくらいに啓発的だと評価できる概念は、スウェーデンの民俗学者カール・ヴィルヘルム・フォン・シードヴ(1878-1952)によって採用された、オイコタイプの概念だ。「異種混淆性」と同様に、「オイコタイプ」という言葉はもともと植物学者がつくったもので、自然選択により一定の環境に適応した植物の種の集団のことであった。フォン・シードヴは、民話の分析のためにこの用語を借用し、民話がその文化的環境に適応させられるとみたのである。文化の相互作用を研究する学者は、シードヴのパラダイムにしたがって、チェコのバロック建築のような現地独特の形式を、国際的な運動の地域における一変奏として、独自の法則をもった変奏として論じることができるだろう。(中略)グローバリゼーションの分析家は、ソフトウェア産業からの借用語である「ローカリゼーション」や、もともとは1980年代にビジネスの業界用語であった「グローカリゼーション」を使うようになった。民俗学者がこの論争を追ったとすれば、既視感におそわれるにちがいない。というのも、私たちが目にしているのはオイコタイプの再来とでも呼べるものだからだ。」(バーク2012:57-59)

  このような、既視感というのは、これは桑山氏とわたしとの会話の中で、桑山氏が指摘されていることですが、たとえば、近年の人類学周辺でのいわゆる「存在論的転回」の議論、つまり、人間のみならず、自然や物質にも人間同様のエージェントを認め、人間/自然のヨーロッパ的二元論を乗り越えようとする議論ですが、これなどは、日本においては「転回」以前に、折口信夫や岩田慶治といった民俗学者や人類学者がつとに指摘していることであり、つよく既視感を抱かされるものであります。

 しかしながら、このような土着の学問的成果は、英語圏では知られていない。そのために、ないことにされている[1]。でも、世界各地には、土着の学問が確実に存在しています。

 国際的に知られるアメリカの民俗学者のアラン・ダンデスは、International Folkloristicsという本を編集しました。この本は、世界の民俗学史上の重要な研究者についての解説とその代表論文を英訳したもので、そこには、ドイツ人民俗学者(4名)、イギリス人民俗学者(2名)、フランス人民俗学者(1名)、アメリカ人民俗学者(1名)とともに、フィンランド(1名)、アイルランド(2名)、イタリア(2名)、ロシア(2名)、ハンガリー(2名)、デンマーク(1名)、スウェーデン(1名)、オーストリア(1名)の民俗学者がとりあげられています。そして、本文中のある箇所で、ダンデスは、上記以外の学者にも言及し、「英語になっていないためにアクセスが容易ではないが、世界には、ポーランドのOskar Kolberg、エストニアのPastor Jakob Hurt、日本のKunio Yanagita、デンマークのE.Tang Kristensenなどの優れた民俗学者がいて、理論的な業績も含めて多くの仕事をしている」という趣旨のことを述べています。

 ちなみに、この本の中で、ロシアの民俗学者の一人として取り上げられているウラジーミル・プロップは、民話の構造分析を行なった学者として有名な民俗学者で、彼の『民話の形態学』は、民俗学にかぎらず、ナラトロジー、物語論においては必ず引用される本ですが、1928年にロシア語で刊行されたこの本は、刊行後、30年間、ロシア以外ではまったく知られていませんでした。ところが、1958年、この年は、レヴィ=ストロースの『構造人類学』がフランス語で刊行された年ですが、この年に、プロップの『民話の形態学』がたまたま英語に翻訳されたところ、レヴィ=ストロースの神話の構造分析と同じ発想、方法論である、しかもレヴィ=ストロースに先立つことおよそ20年前にすでにこれを公にしていたということで、一躍注目されるようになりました。しかしながら、プロップの業績は、もしも英語に翻訳されていなかったら、日の目を見ない状態が続いていたかもしれません。

 さて、以上に見てきたように、英語、フランス語、あるいはドイツ語による学問以外の、土着の言語、つまりヴァナキュラーによる学問は、知の世界システムの中では、周縁化されるか排除されて今日に至っているわけですが、ただ、近年、状況に変化が生じつつあるともいうことができるようです。それはどのようなことかというと、一つは、ポストコロニアルな発想の浸透で、覇権主義、植民地主義のピラミッドの頂上付近以外のところで産出されてきた「語り」への着目が、倫理的にも必要だと考えられるようになってきていること、また、もう一つは、グローバリゼーションの副産物として、グローバルな情報環境へのアクセスが容易になったことから、グローバル化とは縁遠いと思われていた土着の学問の世界にも、自発的、内発的なグローバル化の動きが発生してきているという点です。

 たとえば、日本民俗学会は、これまでまさに土着的な学者の集まりだったのですが、この10年で急速に国際化し、毎年のように国際シンポジウムを行なうようになり、また、アメリカ民俗学会、中国民俗学会とともに、国際民俗学会連合-これはユネスコの哲学人文学会議の下部組織という位置づけになります―、のファウンディング・メンバーになるに至っています(ちなみに、その国際民俗学会連合の副会長は、桑山氏です)。このようなグローバル化対応は、ともすれば、外圧によるものと思われがちですが、そうではなく、「同じような土着的な学問同士で、学びあいたい。吸収すると同時に、こちらからも発信したい。言語はとりあえず英語と中国語でなんとかやっていく」というような内発的な動機によるものです(ここでアメリカと中国、英語と中国語が出てくるところが痛いのですが、あくまでも現実的な手段としての言語として割り切っています)。

 あるいは、エストニアでは、すでに20年前の1996年から、アメリカ、アイスランド、スロベニア、イスラエル、インドから一流の民俗学者をエディトリアルボードに迎え、英語版ではあるものの、国際的な民俗学の学術誌を刊行するようになっています。

 以上に述べたような民俗学の学史や現状は、しかし、文化人類学の側では、ほとんど知られていません。それは民俗学者の側も、それぞれの国の中のことは知っていても、世界中で民俗学がどのような状況になっているかは知らなかったため、民俗学者自身が民俗学について文化人類学者たちに、あるいはほかのさまざまな人文社会科学の研究者たちに対して、説明をしてこなかったからです。それが、時代の状況の中で、やっと世界各地の民俗学の状況が把握できるようになり、覇権主義のもとで制度化された学問とは異なる代替的な知の蓄積の存在が見えてきたところです。

 桑山氏は、著書『ネイティブの人類学と民俗学』の中で、「二つのミンゾク学」の積極的で生産的な相互補完関係の重要性を強調されていますが、以上の状況をふまえると、まさにいまそうしたことが実質的に可能になる時代に入りつつあるのではないかと、わたしは考えます。そして、その場合、民俗学と文化人類学が並列している大学は、実は国内ではほとんどないため(多くは、文化人類学だけが存在。関西圏では、関学だけに民俗学と文化人類学の組み合わせがある)、おそらく、この関西学院大学において、その重要な一歩が踏み出されるのではないかと考えています。

 

【文献】

バーク, ピーター 2012 『文化のハイブリディティ』河野真太郎訳、法政大学出版局。

Dundes, Alan ed., 1999, International Folkloristics: Classic Contributions by the Founders of Folklore, Lanham, Boulder, New York, Toronto, and Oxford: Rowman and Littlefield Publishers.

 

[1] そして、さらに悲惨なのは、そうした土着の学問的成果を生み出した国・地域の内部においても、少なくとも日本の場合そういえると思いますが、土着の先行研究の咀嚼をせずに、外来のパラダイムの直輸入をするということがしばしば行なわれています。