関西学院大学 現代民俗学 島村恭則研究室

関西学院大学大学院 現代民俗学 島村恭則研究室

インギョーンマ―ユークイを卒業する女たち―

インギョーンマ―ユークイを卒業する女たち― 
                  社会学部 0396 松尾朱莉

目次

序章
第1節 問題の所在
第2節 佐良浜の女性と年齢階梯制

第1章 ユークイ インギョーの式典
第1節 インギョーンマの1日
第2節 『冊子−ユークイ インギョウ 祝 クライアガイ 昭和31年生−』から
(1) 冊子の構成
(2) 大主神社での決まり

第2章 山口悦子さん−沖縄本島在住のインギョーンマ−
第1節 ユークイとの関わり
第2節 各年齢階梯での行事

結び



序章
第1節 問題の所在
 本調査は、伊良部島良浜で実地調査を行うことによって、佐良浜における年齢階層「ユークインマ」としての期間を卒業する「インギョーンマ」の実態と、彼女達のユークイとの関わりについて明らかにしたものである。
 佐良浜で最も代表的な伝統祭祀はユークイであり、この祭祀の中心となるのは佐良浜に住む47〜57歳のユークインマと呼ばれる女性である。そしてその中でも、ユークインマとしての期間を卒業する57歳の女性をインギョーンマという。
 宮古島の多くの伝統的な祭祀は、年々活気を失っているが、このユークイは逆に、年々盛り上がりを見せている。ユークイの祭祀事態も盛り上がるのであるが、特に、47歳の女性達の「入学」と57歳の女性達の「卒業」の祝いが、たいへん盛大に行われている。今回私は、インギョーンマ達の卒業の式典に自らも参加し聞き取りを行うことで、調査を進めていった。

第2節 佐良浜の女性と年齢階梯制
 年齢階梯制とは、社会成員をいくつかの年齢階層に区分し、その上位の階層が下位の階層を指揮・統率するという関係において社会的統合をはかる制度である(大本 1980)。この制度は、かつて沖縄全域に普遍的に存在していたが、現在、色濃く残っている地域は極めて少ない。しかし佐良浜においては、この制度が確かに受け継がれている。現在、佐良浜のどれだけの女性がこの制度の上で生活を送っているかは定かでは無いが、各年齢階梯においての役割が決められている。
 まず幼年期の女性は、初潮前の少女の霊的資質が豊漁を招くとする信仰に基づき、遠洋漁船の船霊への毛髪提供を行う(徳丸 2003)。主婦期の女性は、マウ(個人・主婦神)や火の神、祖先の祭祀を行う(徳丸 2003)。また、夫の漁船のニガインマとしての役割(夫婦関係を軸としており、妻が夫の漁船の安寧・豊漁を願う)を果たす(徳丸 2003)。47〜57歳の女性はユークインマと呼ばれ、社会的に承認された特殊な年齢階梯段階とされる(徳丸 2003)。そして老年期の女性は、共同体の女性達の後見人的立場となる(徳丸 2003)。

       
       写真1 ユークイの様子1

       
       写真2 ユークイの様子2

第1章 ユークイ インギョーの式典
第1節 インギョーンマの1日
 12:00頃に前里添多目的施設に到着した後、食事会が始まる。食事は全て前日と当日にかけて、57歳の男性達が用意する。出される料理は毎年変わるらしく、特に決まりはないという。この年の料理は、ソーキと大根の煮物、カツオの刺身、焼きそば、白ご飯、おにぎり、太巻き寿司、ドラゴンフルーツ、泡盛、ビールであった。
         
         写真3 会場前の看板
         
         写真4 男達が料理を準備する様子
             
           写真5 式で出される料理
          

 会場の構造としては、一番前にステージがあり、縦3×横3のテーブルが並べられていた。前方の6つのテーブルにインギョーンマ達が座り、後方の3つのテーブルには準備・片づけを行う57歳の男性達が座っていた。会場の外には、既にユークインマとしての期間を終えた女性達や近隣の住民が大勢、この式典を見に来ていた。
        
        写真6 会場全体の様子

 13:00になると、式典が始まる。5つのインギョーンマのグループが出し物である踊りを披露する。踊られる歌は、「きよしのズンドコ節」や「宮古まもる君の歌」、あとは佐良浜の伝統的な歌であった。その年のインギョーンマの中で企画されるため、毎年出し物の内容は異なる。これらの出し物の間に、インギョーンマの中から何人かの女性が挨拶をする。この時に、挨拶した者の皆が「還暦のお祝いも皆で元気に迎えましょう」ということを最後に言っていた。
 14:30になると、佐良浜小学校・佐良浜中学校の校歌斉唱が始まった。その後、会場内でインギョーンマ達が大きな輪を作り、「なかよし音頭」という歌を踊る。この踊りに男性は参加してはならず、必ずインギョーンマのみで踊るという決まりがある。そしてまた、身内に不幸があった者も輪に入って踊ることは出来ない。実際に1人の女性が、輪の外でぽつんと座っているのが見受けられた。
        
        写真7 インギョーンマによる出し物
        
        写真8 インギョーンマによる出し物2

 14:45になると、「クイチャーアヤグ」の踊りが始まる。この歌は毎年受け継がれ、必ず式の最後に皆で踊ることになっている。この踊りは男性も参加することができるため、会場にいた男性の多くは輪の中に入り踊っていた。中には夫婦で踊っている人も多く見受けられた。
        
        写真9 クイチャーアヤグを踊る様子
 15:00になると閉会の挨拶が始まった。司会の方が挨拶をし会が終わると、会場にいたインギョーンマと男性達は談笑しながら片づけを始めた。片付けも、主に男性が行っていた。
その後、女性・男性の皆で同窓会をするために、多くの人はバスに乗り込みカラオケボックスへと移動を始めたが、中にはユークイに参加するため、ウタキに向かうインギョーンマも非常に多かった。

第2節 冊子『ユークイ インギョウ 祝 クライアガイ 昭和31年生』から
(1) 冊子の構成
  この式典では、各インギョーンマに『ユークイ インギョウ 祝 クライアガイ 昭和31年生』という題の冊子が配布されていた。ここでは、その内容について紹介したいと思う。
  この冊子は全体で17ページである。1〜2ページ目は佐良浜小学校・佐良浜中学校の校歌である。3〜4ページ目は、大主神社での決まりごとについて言及されている。5〜6ページ目は式典の参加者名簿である。7〜17ページ目は、ウタキや式典で歌われる歌の歌詞である。それらの歌とは、「ごてんぼー」、「クイチャーアヤグ」、「じゅりほうか」、「青い山脈」、「学生時代」、「四季の歌」、「岬めぐり」の7曲である。

(2) 大主神社での決まり
 冊子の中の、大主神社での決まりごとについて言及されている部分について紹介する。まず、大主神社へと入る前日の入浴の際は、必ず全身を塩で揉み洗いし身を清めることになっている。そして前日の食事の際は、肉類を控えねばならない。また、ユークイ当日であるが、大主神社では蚊やアリなどの小さな生き物の殺傷を控え、楽しい・嬉しい話を中心に話すことを心がけねばならない。そして神社へ入る鳥居の下で、「私は昭和31年○月○日、申年生まれの○○です。○○からやって参りました。今日の良き日のユークイに参加できます事を感謝いたします。」など自分なりの口上を、小声か胸の内で述べてから神社へ入る。帰る際にも、感謝の意をこめて一礼をする。
 神社で並ぶ際にも決まりがある。4列になるのであるが、この時は右の2列が池間添で左の2列が前里添である。島内で結婚している者は、嫁ぎ先のムラに並ぶことになっている。島外の人と結婚、もしくは独身の場合は、自身のムラに並ぶ。旧ナナスンマの人は、優先的に前の方に並ぶ。







            
            写真10 冊子『ユークイ インギョウ 祝 クライアガイ 昭和31年生』


第2章 山口悦子さん−沖縄本島在住のインギョーンマ−

第1節ユークイとの関わり
 山口悦子さんは、この式典に参加していたインギョーンマの方である。佐良浜出身で、現在は沖縄本島に住む57歳の女性だ。これまでずっと、ナナスンマとしてユークイに参加されていた。ナナスンマというのは、ユークインマの中から希望制でなることのできる役割である。山口さんの母親がずっとユークイに参加されていたそうで、その影響を受けて山口さんも参加したいと感じるようになったそうだ。インギョーのお祝いは、今日のように男性と女性が大勢参加して行われていたのでは無く、昔は女性のみで行われていた。しかし次第に男性も、準備や片付けの仕事をするようになり、会の後に男性も加わって同窓会をするようになった。インギョーンマが着ている着物は、生地の柄が決まると、それぞれが自分の着物を仕立ててこの日のために準備をする。この年の会には、同級生の女性86人中65人が出席していた。その65人の内訳は、佐良浜在住22人、沖縄本島在住23人、沖縄県外在住14人、宮古島本島在住5人、八重山諸島在住1人である。

第2節 各年齢段階での行事
 佐良浜ではこれまでに、何回か同窓会をしたそうだ。やはり小さい島ということで、同期生で結束が強い側面がある。なかでも、60歳で行われる還暦同窓会は最も盛大であるという。宮古島本島での同窓会と同じように、島内一周ツアーや母校への寄付も、佐良浜で行われている。また、70歳の古希のお祝いも、還暦と同じようにたいへん盛大であるそうだ。この古希のお祝いは、伊良部島内の7つの部落がそれぞれに分かれて、島全体でお祝いをするという。

結び
 この調査では、ユークインマとしての期間を卒業するインギョーンマ達の卒業の式典に参加し聞き取りを行うことによって、インギョーンマと佐良浜の女性たちの実態と、ユークイとの関わりについて明らかにしてきた。調査によって分かったことは次の4点である。1点目は、インギョーンマたちの卒業の式典はたいへん盛大であり、佐良浜の女性にとってユークインマという年齢段階がたいへん大きな存在であるということである。2点目は、以前は女性のみで行っていたこの式典も、準備や片づけのために男性も参加することによって、同期生全体での交流の場としての意義をなしているということである。3点目は、出し物の際には、昔から佐良浜に伝わる歌を盛大に何曲も歌い踊ることによって、島全体で佐良浜の伝統とユークイを継承していこうとしているということである。4点目は、佐良浜を離れた女性たちの多くは、この行事のために佐良浜へと集まることから、佐良浜という故郷とユークイを、大切に思う女性達の存在が見て取れたということである。

参考文献
1. 大本憲夫,1980,「沖縄における年齢階梯制:平良市松原の年齢階梯制とその解体」『民俗学研究』45:32-50
2. 徳丸亞木,2003,「南西諸島島嶼社会における女性霊性民俗学的研究」『南太平洋海域調査研究報告』38:17-22
3. 冊子『ユークイ インギョー 祝 クライアガイ 昭和31年生』