関西学院大学 現代民俗学 島村恭則研究室

関西学院大学大学院 現代民俗学 島村恭則研究室

伊良部島佐良浜地区の『ユークイ』の継承とそれを取り巻く社会

 『伊良部島良浜地区の『ユークイ』の継承とそれを取り巻く社会』
                   社会学社会学科 竹中東吾


【目次】
序章
第1節 問題の所在
第2節 ユークイとは何か
第1章 ツカサンマの継承
第1節 ツカサンマ
 (1)ツカサンマ
 (2)ユークインマ
第2節 継承方法
第2章 ユークイの変化
第1節 生活環境の変化
第2節 伝承のズレ
第3章 住民とユークイとの関わり
第1節 砂浜のユー
第2節 クイチャー
第3節 日程告知
結び


序章

第1節 問題の所在
 沖縄県は他にはない独自の宗教観を持っている。特に沖縄県宮古島伊良部島には昔からの宗教観が色濃く残っている地域である。伊良部島良浜地区のユークイという民俗行事は、他の地域の祭事の盛り上がりが衰退しているなか、いまだ活気を見せている。伊良部島の人々は神の存在を信じ、生活に深く関わり合い生活を行っているのだ。民俗行事には常に神と地域住民が密接に関わっている。
 そこで民俗行事であり、島を豊かにするために毎年行われている『ユークイ』という行事について研究することにした。また島の宗教観に地域住民がどのように関わっているのか、またその受け継がれかたについても併せて調査している。調査は2012年11月7日から9日の間に行われている

第2節 ユークイとは何か
この祭りは、雍正日記によれば「首里天かなしの御為または、島中人民のための五穀豊饒、豊作、そして航海安全を祈るための祭事」であると記されているが、現在では、専ら島中人民のための祭事に変化している。
(伊良部村史より抜粋)
 上記のようにユークイとは島に住む人のため、神女のツカサンマと呼ばれる人たちが島の豊饒を祈願する行事である。ユークイの『ユ』とは世、豊年、豊饒、豊作、富を意味し、『クイ』とはクウで乞うという意味がある。
 伊良部島では古来より、ユーをもたらすのは常世神(トコヨノカミ)であり、ニライカナイの大主(ウホシュウ)であると信じられている。常世とは古代日本の信仰で信じられた海の彼方にある異世界であり理想郷である。ニライナカイとは沖縄県、鹿児島で信じられている海の彼方にある他界概念であり、それは本土の常世と酷似している。その宮古では龍宮と呼ばれ、海の彼方の常世、または龍宮には常春の穀物や果実が常に熟する楽土(ユートピア)があると信じられている。
 ユークイの時に歌われている、ユークイのアヤグ(オヨシと呼ばれている)には「〜島通ばん、ユーンテル」という歌詞がある。これには他の島からも私たちの島にユーをもたらして下さいという意味がある。島の人は他の島より多く伊良部島に一番多くユーを運んでくれるように願いをしているのだ。


第1章 ツカサンマの継承

第1節 ツカサンマ
(1) ツカサンマとは
ツカサンマとは伊良部島での神の行事を司る人たちである。伊良部島の宗教は神願いを御嶽中心に行うものであり、その司祭者が司でありツカサンマである。
ツカサンマは佐良浜の47歳〜57歳の女性のなかから、池間添に住む本村と呼ばれる部落と、前里添に住む中村と呼ばれる部落それぞれの中から3人ずつ選出され計6人で構成される。ツカサンマの周期は3年間であり、その3年間が終わると次のツカサンマが選出されることになる。
ツカサンマの中でもそれぞれ役割があり、名称も違う。以下、その紹介を行う。
・ウフンマ
儀礼全体を仕切る立場にある。最高神職。
・カカランマ(ニガインマ)
 神懸りをする。神の言葉を受ける立場。
・ナカンマ
 神ニガイの小間使い。ウフンマの補助役でもある。
以上の役割を本村、中村からそれぞれ1人ずつ出し、ウフンマ2人、カカランマ2人、ナカンマ2人の計6人がツカサンマとなる。

(2) ユークインマ
次にユークイの行事に主に関わる女性たちであるユークインマについて紹介していく。ユークイに関わる人はユークインマにあたる。佐良浜の女性は、必ず島の習慣として島の宗教に関わることになる。ユークインマのなかでもナナスンマ、アニンマ、インギョーンマ、ユームチャといった様々な役割がある。以下、その紹介をしていく。
・ツカサンマ
 ツカサンマの人たちも広くユークインマに定義される。
・ナナスンマ
 47歳〜55歳の数え年が奇数の女性の中から希望して就く。ナナスンマはツカサンマと共に御嶽で夜籠りをする。
・アニンマ
 ツカサンマを卒業した人たちであり、新しいツカサンマに神事の作法を教える役割にあたる。
・インギョーンマ
 57歳の人をインギョーンマという。隠居、引業をする人という意味である。インギョーンマは10年間健康で無事に終えることが出来た事を祝い、神にインギョンブンを供え、願いを行う。同い年の同窓会の要素もあるので、ナナスンマの役割を一度もすることがなくても島外からユークイに合わせて帰ってくるなど、ほとんど全員が集まる。
・ユームチャ
 ツカサンマ、アニンマにそれぞれ一人ずつ補佐役の女性がつく。

第2節 ツカサンマの継承方法
 ツカサンマの任期は3年間であり、任期を終えると次のツカサンマが選出され継承される。選出方法は神籤によって決まる。ツカサンマの資格があるのはユークインマに属した年齢であること、佐良浜で生まれていること、既婚で夫婦ともに健康であること、これに適したものは資格があるとされる。選出は資格のある女性の旦那の名前を1人ずつ紙に書き、籤とする。籤をお盆にのせ盆を揺すって落ちたものを次のツカサンマとする。この時、選出を行うのはこれまでツカサンマであり、ツカサンマは適した人が次の司として選出されるようにと祈り、盆を振う。
 選出される女性は前日に夢で宣告されるなど不思議な体験をする女性もいる。神籤の結果は断ることも出来るが、子供のころから地元の高齢の女性(現地ではおばあと呼ばれている。レポート内でも以後、おばあと表記する)から「断ると子孫に禍が起きる」というように聞いていたので断れないし、嫌と言えないそうだ。新しいツカサンマの選出は受け継がれる年の旧暦正月の15日前ごろに決まる。その年の旧正月の願から次のツカサンマたちが神事を受け継ぐので短期間で歌や役割などを覚えなければならない。
 元カカランマの人たちはアニンマ(アニヌンマ)と呼ばれる。また役割ごとに呼ばれるときはアニノウフンマ、アニノカカラ、アニノナカンマというように呼ばれる。アニンマは新しいツカサンマに神の行事のすべてを教える役割がある。願の際は、ツカサンマにつきっきりで指導する。初めはほとんどの人がなかなか全てを覚えることは出来ないが、2年目ぐらいからはほとんど出来るようになる。
 アニンマは新しいツカサンマのためにノートを作り渡している。ノートには願の手順や役割、アニノカカラの場合は神歌(アヤグ、オヨシ)の歌詞が書かれている。このノートはアニンマによって書かれ、交代の時に毎年代々新しく作り渡している。ノートをもらったツカサンマはノートの情報とアニンマの指導により祭事を行う。ノートに役割の全てを書ききれているわけではないので、各自で祭事を行いながら気付いたことなどを書き足しながら自分用にノートを作っていく。そしてアニンマになるとき、その自分用のノートを見ながら新しいノートに必要なことを書いて、新しいツカサンマに渡している。

第2章 ユークイの変化

第1節 生活環境の変化
 ユークイ行事は島の生活環境の変化で、参加の仕方や関わり方が変化している。まず、大きな変化は自動車の普及と見られる。過去、伊良部島で車が普及する以前、頭の上に荷物を載せて移動することが習慣であった。車の普及によりユークイでの御嶽間の移動の際、ツカサンマが荷物を頭の上に載せて運んでいたこと(ウフンマは荷物を頭の上に載せることを禁忌としているのでウフンマは手で荷物を運ぶ)が車に荷物を載せてユームチャに運んでもらうことになった。水道やガスが普及する前は生活用水や薪なども頭に載せて運んでいたことから頭の上に荷物を載せて移動することは生活の一部であった。インギョーンマの人たちはユークイのなかで頭の上にインギョンブンを載せて何時間も立ちっぱなしでいなければならない。しかし、自動車の普及やガス、水道の普及により荷物を頭の上に載せる機会は減り、今の若い人たちは頭に荷物を載せる生活を送っていない。そのため今のインギョーンマたちは日ごろから頭に荷物を載せていないのでこの間が非常に苦痛であるという。

第2節 継承のズレ
 ツカサンマはアニンマからツカサンマの仕事を教わるが、その継承は意識の外で少しずつずれているとみられる。アニンマは継承が確実に受け継がれていくために、自分のノートを正確にまとめる。そして実際にアニンマになってからツカサンマに教えるときにその場その場で間違いを指摘しなければならない。そのようにツカサンマとアニンマは密接に関わっていることもあり、ツカサンマはアニンマのことを兄弟のように慕っている。その結果、ツカサンマはアニンマから教わることを厳密に守り、任期を経たのち、次のツカサンマに継承していく。
 しかし、確実にアニンマがツカサンマに教えることが出来るわけではない。それには、ツカサンマの決まりが大きく関係している。ウフンマはインギョーすると大主神社に入ってはいけないという決まりがある。そしてツカサンマの任期を終えると同時にインギョーするという場合もある。この場合、他のアニンマが祭事間は注意するという形になる。また、過去にツカサンマの1人が病気のため祭事を行うことが出来ず、自分たちで祭事を行えずに交代した例がある。このとき、元ツカサンマは自分たちのアニンマから徹底的に教わり、自分たちのしたことがない祭事を新しいツカサンマに教えていた。このように、様々な要因が継承の障害になるが、アニンマは工夫と努力を惜しまず、確実に継承している。
 やはりそれでもユークイは少しずつズレが生じている。それは、誰かがミスをするというわけではなく、生活環境の変化や先ほど述べたような障害によって仕方のないことである。今回の参考資料として扱っている伊良部村史は昭和53年発行のものであるが、今回調査にあたり直接体験した平成24年のユークイとは少し違った点があった。また、祭事の途中でもアニンマ同士で祭事の仕方について議論する場面が生じていた。私たちが目撃した年は3年目で慣れたものたちでの祭事であったが、どうしても確実というわけではないようだ。他の理由としてあげられるのがナナスンマの人数の減少である。ナナスンマは希望参加であるため、どうしても近代になるにつれ人数が減ってしまう。過去には多く参加していたナナスンマも今回などは計4人であった。そのためナナスンマの仕事の割合が減ってしまい、祭事自体も形を変化せざるを得ない。
 ユークイ自体も行程が正確に決まっているというわけではない。だいたい時間までにこの作業を終わらせておくという教えはあるがユークインマの人数によって時間が変わってくるのでツカサンマの臨機応変な対応に任されている。
 
以上のことより、ユークイという行事はアニンマにより確実に継承されているものの、大きくは変わっていないまでも生活環境や様々な障害によって意識の外でズレが生じている。


第3章 住民とユークイの関わり

第1節 砂浜のユー
 ユークイのとき、龍宮からやってきたユーは砂浜にたどり着くと考えられている。過去、佐良浜地区には砂浜があり、その砂を祭事などに使っていた。また、佐良浜ではその砂を玄関に撒くことで家の中にユーが入ってくると考えられている。そのため、地域住民は家族にユークインマがいなくても、砂浜を玄関に撒くなどしてユークイという行事に関わっている。

〈図1:家の玄関に撒かれた砂〉
しかし、その砂浜は現在、漁業の関係で埋め立てられている。佐良浜地区では砂浜の砂を得ることが出来ないので、今では同じ伊良部島にある佐和田の浜から砂を運び込み、過去砂浜だった場所の付近に溜めて地域住民は使っている。

〈図2:佐和田の浜〉

〈図3:佐和田の浜から運ばれてきた砂〉
 地域住民はユークイの朝までに砂を取りに来る。多くは仕事帰りにスーパーの袋などを持ってきて、この砂を採り持ち帰る。この時砂は多く採ることが良いとされているので、袋いっぱいに砂を入れて持ち帰っている。また、満潮のときに砂を採ることで多くユーがやってくると考えられている。

〈図4:砂を袋に詰める島住民〉

第2節 クイチャー
 伊良部島の祭事でとても特徴的といえることがクイチャーの存在である。クイチャーとは宮古島伊良部島に伝わっている踊りである。クイチャーは地域によって違いがあり、ここでのクイチャーは佐良浜クイチャーといわれる。
 クイチャーは御嶽次第ではユークインマ以外の人でも参加することが出来る。なかには御嶽自体が住宅に囲まれた場所にあり、必然的に住民の目に付くところでクイチャーを踊ることとなることもある。その際、近所の人もクイチャーを見ようと家の外に出てきて、なかにはユークインマに混ざりクイチャーを踊る人も少なくない。また、島外の人にも寛容で、その場にいた島外の人をクイチャーに誘うこともある。

〈図5:クイチャーに参加するユークインマ以外の人〉
また、クイチャーに参加せずともユークイとクイチャーを見に来る人が多い。これは家族族がユークインマとして参加しているからということで見に来る人も多いが、ただ見に来る人も多数いる。

〈図6:手前 ツカサンマによる願い・奥 ユークイを見に来た人たち〉

第2節 日程の告知
・過去の日程の告知
 昔、ラジオのなかった時代、年をとったムラトゥーズチと呼ばれていたおじいが「明日は〜の願いがある」と宣言して日程の告知を行っていた。宣言は佐良浜地域の中の3ヶ所ほどで行われていた。その場所に共通していたのは3つ又の道であったという。ムラトゥーズチは周りに人がいなかったとしても大声で願いの日程告知を行っていた。日程自体はツカサンマによって決定している。ムラトゥーズチはそれを聞いて報告していた。しかし、今ではその姿を見ることは出来なくなってしまった。

・現在の日程の告知
(1) Aコープによる告知
今、願の日取りを知らせる場所はスーパーAコープさらはま店の店先である。このAコープでは店先に張り紙を張ることで、住民に願いの日程を知らせている。Aコープには前里のカカラとアニンマが働いている。そのため、日程の情報がはいることが他よりも早い。
良浜の多くの人たちはAコープを利用する機会が多いので報告をすることに適していると考えられている。また、Aコープで働いている人は若い人が多いことで、これからツカサンマに選ばれる確率が高いため、今のツカサンマがインギョーしても日程等を変わらず行えるだろうとも考えられている。以上のことより、Aコープで日程告知を行っている理由は様々な利便性を考慮した結果である。さらにいえば、この日程告知を見るためにAコープに訪れるひとがいるということにより、図らずともAコープの利用者の確保といった結果となっている。

〈図7:Aコープに張り出された紙〉

(2) おばあによる日程の告知
家が遠いなどの理由でAコープを利用しない人たちは、近所のおばあたちに日程を聞いている。おばあの中には日取りの取り方を知っている人が多いそうだ。また、もとツカサンマの人が多く島で暮らしているのでその人たちが知らせることもある。


結び
 今回伊良部島に行って直接調査を行うことで他の地域と大きく違うと感じたことは島の住民が神の存在を感じているということで共通しているということだった。島の人たちはユークイのような祭事が行われることに特別なことは感じておらず、その様子が普通のこととして行っていた。また、祭事に直接関係していなくても、祭事に島全員が関わっているという点がわかった。それは砂を玄関に撒くという例からも伺える。しかし、その祭事も時代とともに少しずつ変わり、日程報告の様子も過去に比べると変化をしていき、近代のスーパーという手段をとっている。しかし、過去と現在で様式は変わったとしても島の人たちが神の存在を信じているということは変わっていない。
 これから伊良部島良浜ユークイがどのように変化していくかわからないが、島の人たちの信仰の気持ちは過去と同じでこれからも変わることはないだろう。

参考文献
川満昭吉,1978,『伊良部村史』伊良部村役場