関西学院大学 現代民俗学 島村恭則研究室

関西学院大学大学院 現代民俗学 島村恭則研究室

魚屋の民俗誌―阿波池田をフィールドとして―

魚屋の民俗誌―阿波池田をフィールドとして―

西岡瑞穂


【要旨】

本研究は、徳島県三好市池田町をフィールドに実地調査を行うことで、山(阿波池田)に暮らす人びとがどのようにして生魚を入手していたか、その流通の軌跡や方法について解明したものである。本研究で明らかになった点は、以下のとおりである。


1.山間地域である阿波池田において、かつて隆盛を誇った刻みたばこに次ぐ産業開発の一環として取り入れたものが“魚”であった。

2.阿波池田から最短で海へたどり着く香川県観音寺市、および愛媛県川之江町は、魚行商において非常に深い地域関係性が構築されていた。魚行商のルートは、のちに香川県観音寺市から移住する白井、古谷姓(明治末期頃)、宇賀姓(大正初期頃)の3家によって開拓された。

3.讃岐および伊予から阿波池田へ入るために、行商人たちは険しい山や峠を越え、またさまざまな工夫を凝らして魚を運搬していた。阿波池田中心市街地だけでなく、周辺地域の山奥に住む人びとにも行き渡るよう行商は行われ、魚を口にできるのも3〜5日に1度と高頻度であった。

4.魚行商が盛んになった頃、時を同じくして阿波池田には卸問屋「魚音」が誕生した。これは戦前〜戦中に生魚を取り扱った、のちの池田水産魚市場の前身ともなる卸問屋である。

5.株式会社池田水産魚市場は、戦後間もない統制時代に誕生した阿波池田駅前のバラック市場から発達した形で発足したものであった。戦前、卸問屋「魚音」で商売をしていた若者たちや県議会議員、有志の人びとらが寄り集まってつくられた。山間地域に存在する魚市場としては、京都と並び日本で2例目という非常に珍しいものであった。

6.阿波池田で現在でも営業を続ける鮮魚店は数軒に減少し、ほかは仕出し専門店へ転業したり、または廃業に追い込まれたりしている。鮮魚店では、昨今の魚食の減少や大型スーパーの進出、跡継ぎ不在などの問題により、魚屋が衰退していくことに対する寂しさや不安の語りが共通して聞かれる。


【目次】

序章―――――――――――――――――――――――――――――3
 第1節 問題の所在‥‥‥‥‥‥‥‥3
 第2節 阿波池田の概況‥‥‥‥‥‥‥‥4
  (1)阿波池田という町‥‥‥‥‥‥‥‥4
  (2)たばこ産業‥‥‥‥‥‥‥‥7
  (3)水・陸交通の発展‥‥‥‥‥‥‥‥10
  (4)「明治のたばこ町」から「大正の宿場町」へ‥‥‥‥‥‥‥15
第1章 魚を運んだ行商人――――――――――――――――――――17
 第1節 阿波池田と観音寺‥‥‥‥‥‥‥‥17
 第2節 行商‥‥‥‥‥‥‥‥19
  (1)行商ルート‥‥‥‥‥‥‥‥19
  (2)方法‥‥‥‥‥‥‥‥23
  (3)車運送と渡し舟‥‥‥‥‥‥‥‥23
第2章 阿波池田と魚市場――――――――――――――――――――31
 第1節 卸問屋「魚音」‥‥‥‥‥‥‥‥31
 第2節 魚市場の誕生‥‥‥‥‥‥‥‥33
  (1)戦前・戦後の水産業‥‥‥‥‥‥‥‥33
  (2)池田水産魚市場‥‥‥‥‥‥‥‥35
第3章 鮮魚店ライフヒストリー―――――――――――――――――47
 第1節 宮内鮮魚店‥‥‥‥‥‥‥‥47
 第2節 こふじ鮮魚店‥‥‥‥‥‥‥52
 第3節 宇賀鮮魚店‥‥‥‥‥‥‥‥54
結語―――――――――――――――――――――――――――59
参考文献・URL一覧――――――――――――――――――――――61
あとがき―――――――――――――――――――――――――63


【本文写真から】

阿波池田駅前商店街アーケード南口



魚行商に用いられた岡田式渡船(大具渡し)



地方卸売市場(株)池田水産魚市場



魚市場に並ぶ魚



【謝辞】
本論文の制作にあたり、多くの方々から調査にご協力いただきました。魚市場や香川県観音寺市へ案内していただき多大な援助を賜った宮内章雄氏をはじめ、長時間にわたる聞き取り調査に貴重な時間を割いて快く協力してくださった小藤ヒロ子氏、宇賀幸次氏、宇賀一廣氏、勝瑞準一氏および株式会社池田水産魚市場の従業員の方々、そして藤野幹彦氏に、心よりお礼申し上げます。