関西学院大学 現代民俗学 島村恭則研究室

関西学院大学大学院 現代民俗学 島村恭則研究室

Ⅰ.5-10月9日

一日の流れ

9:00 ロビー集合、豊田村
11:00 阿美小米文化館へ立ち寄り、七星潭へ
12:30 花蓮の郷土料理店にて昼食
13:30 新城神社
14:00 台北に向けて出発
18:00 台北到着後自由行動



巡検5日目はバスで花蓮から台北に戻ります。その道中でいくつかの場所に立ち寄りました。



 まず豊田村に行きました。

 豊田村とは、日本統治時代に日本が開拓した村の一つです。当時日本では人口過密問題を解決するために台湾への移民計画が進められており、家業を継がなかった次男・三男の多くが新しい土地を求め、移り住んでいきました。その移民の心の支えとして建てられた神社が、今回私たちが訪れた豊田神社(現在は碧蓮寺)です。



戦後国民党により神社が取り壊されたため、今は鳥居や石灯籠が神社の面影を残しつつ、碧蓮寺というお寺になっています。様々な装飾が施されており、とても色あざやかなお寺です。中には、龍山寺と同じ形式で行うおみくじがありました。


寺の敷地には中正台と呼ばれるステージのようなものがあり、本殿にいる神様に踊りを見せるために本殿を向いて建てられています。





 途中で阿美小米文化館という土産店へ寄りました。

ここでは、この地域で採れるキビや粟などの雑穀を使ったお餅を名産品として売っています。


建物の中に入るとすぐに2階へと続く階段があり、順路に沿って上ると粟の餅の工場の様子が見学できるようになっていました。また、アミ族の文化を紹介する展示が並んでいました。

そのまま進むと1階の土産販売コーナーへとつながっており、アミ族の民族衣装をまとった店員さんが熱心に商品の説明をしていました。



実はここを経営するのはアミ族ではなく、漢民族です。
2階の展示パネルをよく読んでいくとそのことがわかります。


写真にあるように、余宗柏氏は宗泰食品という会社を経営しています。ここ阿美小米文化館は花蓮県内に多数展開する店舗兼工場のうちの一つのようです。展示スペースを設けているのは、この会社の方針なのか、もしくは台湾の流行りだとも考えられます(後に訪れる宜蘭餅の土産やも同じような作りをしていました)。

宗柏氏は宜蘭県の出身で、花蓮に赴いたのち小売業を始めました。最初は小さな荷台で営業し、野菜や果物など徐々に扱う商品を増やしていったようです。後に、お餅の製造技術を宜蘭の師匠より習得します。当時は手作業で少量ではありましたが、徐々に看板商品へと成長していき、現在に至るというわけです。

はたして、アミ族とこのお餅の関連は何なのでしょうか。


お餅の原材料である“小米”は前述したように、キビや粟などの雑穀です。雑穀と言えど、“穀物の王様”と言われるように、一度その地に根付けば、安定的な産物です。企業方針には、「安心・安全な食糧供給を可能とするその根底には、農作業にあたる人々(ここではアミ族など原住民)のたゆまぬ努力があり、その汗と涙の賜物に感謝しましょう」というようなことが記述されています。地元での雇用と原住民文化のPRの場の創出をもって、その感謝の意を示すということでしょうか。

商品・労働力として、アミ族アイデンティティがうまく利用されているような感覚を覚えました。





 次に花蓮屈指の景勝地である七星潭に行きました。



悪天候のせいか波が荒れていましたが、海の色は青くきれいでした。

屋台のようなものがいくつか出ており、おじさんがソーセージやアイスを売っていました。

屋台にはパチンコのようなものが付いていました。

七星潭は鰹魚や鰹節でかつて繁栄していた場所でもあります。周辺には鰹節工場や鰹節博物館のようなものもありました。





 花蓮の郷土料理の昼食を取った後、現在は教会となった新城神社という所を訪れました。

ここは元々タイヤル族アミ族の集落でした。日本統治時代、日本兵士の一人がタロコ地区で少女を暴行しました。それに憤慨したタロコ地区のタイヤル族がこの新城地区にあった日本軍の基地を襲撃し、13名の兵士が亡くなります。(新城事件)この事件は日本統治史上、原住民による最初の抗日暴動であり、後のタロコ事件に発展します。この事件で亡くなった日本兵を弔うために石碑が建てられ、その後神社が建てられました。そして戦後、神社の本殿が取り壊され、その後キリスト教を布教するためにやってきたスイス人宣教師が、その地にキリスト教カトリック)の教会を建てました。

鳥居や狛犬や石灯籠が神社の名残を感じさせます。

本殿のところにはマリア像が建てられています。

教会は天井が高い造りになっています。

なんと天主堂の中に手水舎に使われていた水盤がありました。


ステンドグラスの絵には、竹のステッキや、原住民のような人々も描かれていました。






 荒れた天気の中、バスは山を越えて台北を目指します。



途中、トイレ休憩を兼ねて、宜蘭餅のお店に寄りました。

宜蘭餅は牛の舌を模した薄いおせんべいのようなものです。





 無事に台湾に到着し、ガイドの林さんと運転手さんとお別れしたのち、各自自由行動となって台湾最後の夜を楽しみました。




担当:阿部、西本、高柳