二日目は帰りのバス時間まで文化の森で過ごしました。
文化の森とは徳島市の中心から南へ5キロほどいったとこにある公園で、
約40ヘクタールの敷地の中に文化施設や公園などが広がっています。
今回はその中にある
鳥居龍蔵記念博物館は今回巡検先として徳島が選ばれたもう一つの理由です。
今年の夏巡検旅行に行く台湾を中心にアジアをフィールドとして業績を残された徳島出身の人類学者です。
明治期に活躍した彼ですが、それまでスケッチが主流だった野外調査に自らカメラを取り入れたということで、膨大なガラス乾板が残されており、現代の研究において再評価されています。
1905年の遼東半島調査、1910年の朝鮮半島調査、1919年のシベリア調査から
戦争で乱れる世界の中で、常に軍隊が進出して行ったその先端で調査をした彼から
その知的好奇心の高さと、できる時にできることをというスタイルが伺えます。
記念博物館では学芸員の方がすごく丁寧に説明して下さいました。
彼は鳥居龍蔵のことのみならず、これから社会人となっていく私たちに向けてのアドバイスもして下さいました。
貴重なお時間ありがとうございました。
後半は自由に市立博物館を見て回りました。
常設展では徳島、そして四国の懐かしいというか、さすが徳島と感じた展示を一つ。
大塚製薬のホーロー看板
徳島と言えば鳴門市に起源をもつ大塚製薬が有名ですね。
バスの中から広大な大塚美術館の外観を横目に通過しましたが。
経済成長を支えたのは藍!
一時は全国で人口規模10位以内にランクインしていたほどだったそうです。
企画展では古代から近代までの人形展が催されていました。
西宮市ゆかりの人形浄瑠璃が海を隔てて阿波へ伝わり
阿波人形浄瑠璃としてその色を確立していきました。
その一角で見つけたオムイカと呼ばれるもの。
徳島の農村で見られたこちらですが
死者は死後7日間はうろうろしているという民間信仰から
死んで6日後に造り、死者の代わりであるわら人形に石を投げてお祓いするそうです。
死者に対するお供えは写真のような棚に供えられますが、平板の囲いを3つにすることで
生きている人間のそれと区別しているようです。
阿波踊り会館で見た古民家の縮図の中で見た物体の謎が解けました。
帰りは皆旅の疲れもピークということで
爆睡ですね。
徳島のことは言うまでもありませんが
何よりフィールドワークの方法を
身をもって学んだ2日間でした。
旅の手配をしてくれた五條さん、秦君、会計の金さん、そして徳島市民の西岡さん
ご苦労様でした。