関西学院大学 現代民俗学 島村恭則研究室

関西学院大学大学院 現代民俗学 島村恭則研究室

スターバックスで語る人生―西宮で生きた3人のライフヒストリー―

田部井美歩

 

 

【要旨】

本研究は、ある喫茶店に通う3人のライフヒストリ―を通して、西宮という街の暮らしの一面を明らかにしたものである。本研究で明らかになった点は、つぎのとおりである。

 

1.阪急電車に勤めていたTさんは、電車の運転の仕方を現在でも手に感触が残っているほど覚えていた。勤めていた当時の緊迫感ある雰囲気や人との関わりを感情豊かに話していた。幼少期から音楽や写真といった趣味が多様で、現在でも彩ある生活をされていることがうかがえる。

 

2.大手食品会社である日本ハムに勤めたNさんは、当時には珍しい海外を飛び回る仕事をしていた。アメリカ、中国で経験したことを一つ一つ思い出しながら話していた。脳出血で倒れてから現在の復帰に至るまで、妻への感謝を忘れない様子がうかがえる。

 

3.半世紀もの間縫製会社に勤め、現在も裁縫を趣味にしているKさんは、好奇心旺盛な性格を生かして店長や商品開発など多様な経験をしていた。西宮の街で過ごした高度経済成長期を事細かに覚えており、流行に敏感だった様子がうかがえた。

 

4.同じ時代を同じ土地で生きた3人でも異なる人生を歩んでいる一方で、西宮の街にゆかりのある職業や趣味を選択しているように、共通するものがあった。

 

5.西宮という街が3人の人生に関わることで、各々のライフヒストリ―を形成する一部の要素になっている。実際に「声」として生きた経験を聞くことで、独自性ある、西宮が個々人にもたらす影響が明らかになった。

 

 

【目次】

序章

 第1節 問題の所在

 第2節 ライフヒストリ―とは何か

 第3節 スターバックスコーヒー ららぽーと甲子園店の概要

 

第1章 阪急電車の45年

 第1節 末っ子として生まれる

 第2節 車掌を務めた10代

 第3節 運転手の苦悩

 第4節 阪神淡路大震災

 第5節 多様な趣味

 

第2章 日本ハムの工場長

 第1節 水産学部での経験

 第2節 海外を飛び回る仕事

 第3節 脳出血の体験

 第4節 毎日の習慣

 

第3章 裁縫に生きた半世紀

 第1節 鳥取で過ごした幼少期

 第2節 縫製との出会い

 第3節 西宮での高度経済成長期

 第4節 テナントの店長経験

 第5節 阪神淡路大震災

 第6節 現在の生活

 

結語

参考文献

謝辞

 

 

【本文写真から】

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インタビューする際に利用した座席

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Tさんが勤めていた阪急芦屋川駅

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阪急電車を退職後に配布される乗車券

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Nさんが勤めていた甲子園南にある日本ハムグループの工場群

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Kさんがテナントに勤めていた時に通っていたつかしん

 

【謝辞】

 本稿は、インタビューを受けてくださった3人の方々の協力がなければ完成には至らなかった。お忙しい中、スターバックスの常連である3人の方々には約3か月間もの間、何度もインタビューのお時間をいただいた。Tさん、Nさん、Kさんに、心よりお礼申し上げます。

看護師たちのヴァナキュラー ーSNS上の語りからー

西澤 茉季

【要旨】

研究では、SNS上に存在する看護師たちの語りを集め、仕事をめぐる公式的な制度やシステムの中で、看護師たちがヴァナキュラーを生み出している様子を明らかにした。本研究で明らかになった点は、次のとおりである。

 

1.看護師たちは、病院という職場の中で生まれる噂やジンクスを互いに共有し語ることで、同じ職業に就く者同士の連帯感が作り上げ、日々の仕事をより豊かなものにしようと努めている。

 

2.現役の看護師がエピソードを作品化したものに対しては、特に多くの共感が寄せられており、「自分のところでは…のようなジンクスがある」というように各々が体験したことについてのコメントや仕事におけるアドバイスを共有している様子が観察できた。

 

3.職場では「お局ナース」によって虐げられている新人看護師たちが、SNS上では面白かったこと、悲しかったことなどを生き生きと語り、互いに繋がる様子が見られた。また、先輩看護師たちから新人看護師たちに看護のコツや勉強法が伝承されている例もいくつかあった。

 

4.「ステる」「デコる」などの隠語は、医師が頻繁に用いるものであり、看護師たちの間ではあまり使用されていないことが分かった。また、「お山越えますね」など看護師のみが使用する言い回しがいくつか存在しており、そこには共通性を見いだすことができた。

 

5.患者の一番身近な存在としてたくさんのコミュニケ―ションをとっている看護師たちは、患者から秘密を共有されることも多く、患者との信頼関係を築くこと以前に医師と患者の仲介役としてどうあるべきか葛藤する看護師たちの語りがいくつか見られた。

 

6.仕事上で身に着けた知識や経験が、日常の中に侵入している例も多くあり、看護師たちがそれらを「看護師あるある」と称して面白おかしく語り、共通性を見つけることによって自らの仕事に面白さを味わっている様子が観察できた。

 

7.夜勤などの勤務中に起こった不思議な出来事を語る看護師は多く、そこにはたくさんの共感の声が寄せられていた。私は、担当患者の急変や急患などに対して抱いてしまう負の感情を、怪談的な語りに変換することによって、自分なりに納得できる形に落とし込もうとしているのではないかと考察した。

 

8.「亡くなった患者をお見送りした後には、決してエレベーターを使ってはいけない」「舟は三艘」「引き潮と死」などの死にまつわる言い伝えは、ほとんど根拠と言えるものがないものの、看護師の間では広く知られていた。看護師は死と向き合う機会が多いため、非合理的な考え方によって恐怖や不安を自分の中に落とし込んでいる人が多いことから生み出されたのではないかと考察した。

 

9.妊娠にまつわる言い伝えは、妊婦を危険から遠ざけたり、生まれてきた子供に何か異常があった時に、それに対する理由付けとして生み出されたものがほとんどだ。看護師たちは、妊娠にまつわる言い伝えに対しては否定的な態度を示しつつ、迷信を信じて悩んでいる妊婦には寄り添う姿勢を徹底していた。

 

10.看護師たちによって共有されているジンクスや都市伝説、怪談などは、医学的根拠や法則があるものではなかった。しかしこれらの話は、病院内で理解不能な現象や出来事が起こった際に、自らが理解できる形に落とし込むための手段として使われていた。根本的な解決にはならないものの、「語ること」が看護師たちの働く上での活力になっていることは明らかである。

 

11.看護師たちは、医師と患者、そしてその家族の気持ちをおもんばかりながら日々の業務をこなしている。人と関わる中で感情をコントロールする看護師という職業は、感情労働的な側面を持っていると言える。公式的な立場である感情労働とは対極の位置にあるヴァナキュラー。そこには働く人々が生み出す感情や表現、本音が集約されていた。

 

12.SNSにおいて匿名で語ることで、自由な意思表示ができるため思い思いの情報発信が可能となる。特に看護師たちは、職場での悩みやエピソードをSNS上において本音で語ることによって、共感し合い、互いに繋がろうという意識を強く持っていることが分かった。

 

【目次】

序章 問題の所在

 

 

第1章 仕事と暮らし               

 

(1)言ってはいけない呪いの言葉

 

(2)血管に対するプライド

 

 (3)薬の名前

 

 (4)特有の言い回しと隠語

 

 (5)患者との関わり

 

 (6)看護師が受診するとき

 

(7)病院内での人間関係

 

 (8)プライベートに表れる職業病

 

 (9)病棟の夜勤あるある

 

第2章 言い伝え

 

 第1節 死にまつわる言い伝え

 

 第2節 妊娠にまつわる言い伝え

 

第3章 怪談

 

  (1)「発信者不明の心電図波形」

 

  (2)「黒い服の男」

 

  (3)「匂い」

 

  (4)「挨拶に来た患者」

 

  (5)「般若心経」

 

  (6)「内視鏡室の精」

 

結語

 

文献一覧

 

【本文写真から】

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夜勤中に言ってはいけない言葉

Twitter,「@zurukan2018,2019年8月30日」   

https://twitter.com/zurukan2018/status/1167423256485228545?s=20

,2022年1月9日にアクセス)

 

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薬の名前とそのイメージ

Twitter,「@zurukan2018,2020年7月6日」

https://twitter.com/zurukan2018/status/1280057516039135233?s=20, 2022年1月9日にアクセス)

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患者との秘密の共有①

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患者との秘密の共有②

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患者との秘密の共有③

Twitter,「@zurukan2018,2021年1月25日」

https://twitter.com/zurukan2018/status/1353549582504845312?s=20, 2022年1月9日にアクセス)

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看護師の職業病 24時間制の徹底①

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看護師の職業病 24時間制の徹底②

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看護師の職業病 24時間制の徹底③

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看護師の職業病 24時間制の徹底④

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看護師の職業病 24時間制の徹底⑤

看護roo!,「ナースがうっかりやってしまうこと マンガ病院珍百景」

https://www.kango-roo.com/comic/4931/, 2022年1月9日にアクセス)

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「舟は三艘」の言い伝え①

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「舟は三艘」の言い伝え②

Ameba,「舟は三艘『週刊 ナースゆつきの怪奇な日常』」

https://ameblo.jp/momoirocanzume3/entry-12514556075.html , 2022年1月9日にアクセス)

浜松まつりの民俗誌−曳馬町三浦・加藤家の事例から−

高橋すみれ

 

【要旨】

 本研究は、静岡県浜松市で毎年5月に行われる浜松まつりについて、参加町の一つである曳馬町三浦と、三浦に所属する1家族に焦点を当てて調査を行い、現場目線での浜松まつりを明らかにしたものである。本研究で明らかになった点は以下の通りである。

 

1.曳馬町三浦は静岡県浜松市中区にある三浦公民館を会所とし、1987年より浜松まつりに「三浦組」として参加している。御殿屋台の所有は無く、凧揚げのみの参加である。

2.通常は初子の名前を入れて初凧を空へ揚げるが、同様に子ども会の凧に小学校6年生になった子どもの名前を入れて揚げる、など曳馬町三浦独自と思われる習慣が見られる。

3.浜松まつりの正装は鯉口シャツ、腹掛、股引、地下足袋、町内法被、である。そのような服装に、揃いの手拭いでアレンジを加えるなど、参加者それぞれの工夫とこだわりが見られる。

4.浜松まつりはただ楽しいだけのまつりではない。準備、運営のために膨大な労力や資金が必要となる。資金集め、凧の準備、練りの準備、臨機応変な対応など、特に凧揚会役員の大人達は常に先のことを考えて行動している。

5.三浦町の加藤家にお話を伺った。浜松まつりが楽しい思い出でいっぱいの子供たちと、大変な記憶も多い大人達。加藤家母は大変な経験をしながらも、今ではまつりが大好きになったという。浜松まつりに参加している、同じ町の地域住民は大変なことを共に乗り換えた仲間でもある。

6.浜松まつりは家族の仲を深め、 地域の絆を深める大切なイベントである。そういった面から、まつりは参加者たちにとって1年に1度、無くてはならない年中行事になっている。大切な家族との思い出であり、情熱を持って一つのことを成し遂げる経験でもある。

7.浜松まつりは、準備から携わる大人達、全力で楽しむ子ども達、それぞれ、全員が主役のまつりである。

 

【目次】

序章 問題の所在

第1章 浜松まつり

 第1節 歴史

 第2節 現状

第2章 曳馬町三浦のまつり

 第1節 曳馬町三浦

 第2節 凧揚会

  (1)役員タスキ

  (2)費用

  (3)収入

  (4)初子人数

 第3節 子供会

 第4節 時間の流れ

  (1)ラッパ練習

  (2)会所開き

  (3)初凧納め

  (4)前夜祭

  (5)初凧・祝い凧の御祈祷

  (6)凧揚げ

  (7)町内練り

  (8)片付け

  (9)反省会

  (10)凧揚げの練習

 第5節 服装

  (1)まつりの服装

  (2)服装アレンジ

  (3)持ち物

  (4)手拭い

第3章 加藤家のまつり

 第1節 加藤家

  (1)まつりの好きなところ

  (2)大変なこと

  (3)まつりへの印象の変化

  (4)大変だったエピソード

  (5)参加してみて驚いたこと

  (6)浜松まつりはどんな存在か

 第2節 長男の初子祝い

 第3節 父の組長経験

結語

文献一覧

 

【本文写真から】

※写真は調査対象の加藤家より提供いただいたものである。

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写真1 凧に貼る扇に自分の名前を書く小学6年生

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写真2 加藤家長男の初凧と加藤家の皆様

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写真3 曳馬町三浦の会所開きにて、舞台上に座る初家の加藤家

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写真4 初子祝いの接待にて、加藤家と酒樽を囲む人々

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写真5 初凧から切り取られた、家紋と初子の名前部分。加藤家に飾られている。

写真5 初凧から切り取られた、家紋と初子の名前部分。加藤家に飾られている。

 

【謝辞】

 本論文の執筆にあたり、加藤家の皆様にはお忙しい中多大なご協力をいただいた。写真のご提供やお話を聞かせていただいた加藤家の皆様、特に加藤元一氏、加藤博絵氏のご協力がなければ本論文は完成することはできなかった。

 心よりお礼申し上げます。本当にありがとうございました。

「伝統」はいかに伝承されるか ―大阪府泉南郡熊取町「横山音頭」の事例から―

森田萌

 

【要旨】

本論文は、大阪府泉南郡熊取町をフィールドに、この地域に伝わる盆踊り歌である横山音頭について調査を行うことで、「伝統」がどのように伝承されるかを明らかにしたものである。本研究で明らかになった点は、次のとおりである。

 

1.横山音頭は、横山地区と呼ばれる、和泉市・岸和田市・貝塚市の山間部、熊取町、泉佐野市の南部一帯に伝わる盆踊り歌である。幕末もしくは明治初期にはすでに存在していたとされる。浄瑠璃や歌舞伎の床本を取り入れた盆踊り歌で、3つの節で構成されていることが特徴である。江戸時代以前の武家社会、公家社会を描いた時代物の外題が多く使用されており、用いられる楽器は太鼓のみである。横山音頭はもともと座敷で聞くものであったが、後に盆踊りで使用されるようになった。

 

2.かつては堺市美木多上から熊取町のあたりまで広範囲に分布していた横山音頭であるが、泉州音頭など、近代以降に発展した音頭が台頭してきたことにより、横山音頭を行う地域は減少した。現在では、熊取町全域および貝塚市山間部の一部で行われるのみである。

 

3.熊取町において、盆踊りの際には横山音頭のみが行われる。しかし、昔から横山音頭のみを行っていたわけではなく、さんや系の音頭や佐野くどきなど、別の盆踊り歌を行っていた時期もある。また、泉州音頭の音頭取りを呼ぼうとしていた時期もある。

 

4.熊取町の盆踊りは青年団の主催で行われる。開催場所は、和田・高田・七山・大宮・五門・久保・小垣内・小谷・紺屋・朝代・大久保・野田地区の全12箇所であり、最終日の22時頃からは仮装が行われる。かつては多くの人びとが盆踊りに参加しており、盆踊りは結婚相手をさがす男女の出会いの場でもあった。しかし、現在は少子化の影響もあり、参加人数の減少がみられる。

 

5.熊取町において盆踊りの開催期間は3日間であったが、現在は2日間に短縮されている。また、開催時間も短縮されている。かつて盆踊りの最終日は朝方まで踊り続けていたが、現在は夜の12時頃には終了している。

 

6.古くから伝えられている横山音頭であるが、昔と比べて速度が上昇している。横山音頭は下半身をよく使う踊りであるため、遅すぎる速度だと足に負担がかかり、長時間踊ることができない。そのため、踊りやすいように自然と速くなっていた。しかし、河内音頭ほどアップテンポになると年配の人が踊れないので、速くしすぎるわけにもいかない。現在の横山音頭は幅広い年齢の人が踊ることができる速度なのである。速度を上昇させたのは、おそらく熊取町の音頭取りである河合一良氏とのことである。

 

7.河合氏は、河内音頭の外題を横山音頭に取り入れている。河合氏は京山幸枝若という浪曲師の河内音頭を好んで聞いており、この河内音頭の歌詞を横山音頭の節でやってみようと思ったことがきっかけである。河合氏は河内音頭の導入について、「河内音頭を横山音頭につくりかえた」と語っていた。また、「昔からある横山音頭みたいに、自分がつくったやつが、これから先に横山音頭やる人たちに広まってくれたら嬉しい」とも発言しており、実際、河内音頭を導入した横山音頭は河合氏以外にも歌われている。

 

8.河合氏が横山音頭にもたらした変化は、横山音頭を破壊しているように見えるかもしれない。しかし、「横山音頭をみなさんに知ってほしい」という言葉からわかるように、河合氏は横山音頭という「伝統」を多くの人びとに伝承しようとしているのである。

 

9.横山音頭における速度の上昇と河内音頭の導入という事例から、「伝統」を伝承するとは、かつての姿をそのまま後世に伝えていくということではなく、古くから伝えられてきたものを状況に応じて適応させることで多くの人びとに受け入れられるものとし、伝えていくことであると考えられる。

 

 

【目次】

序章

第1節 問題の所在

第2節 横山地区と横山音頭

 (1) 横山地区

 (2) 横山音頭

 

第1章 熊取町の横山音頭

 第1節 熊取町と盆踊り

 (1)熊取町

 (2)盆踊り

 第2節 外題と太鼓

 第3節 節

 第4節 仮装

 

第2章 伝統を伝承する

 第1節 河合一良氏のライフヒストリー

 第2節 速度の上昇

 第3節 河内音頭の導入

 

結語

 

補論 大阪府下の盆踊り

 

文献一覧

 

謝辞

 

 

【本文写真から】

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写真1 熊取町の盆踊りの様子 

※泉州民俗芸能記録作成実行委員会編,2007,『泉州地域の盆踊り 平成十八年度文化庁ふるさと文化再興事業「地域伝統文化伝承事業」報告書』泉州民俗芸能記録作成実行委員会,カラー口絵より

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写真2 床本表紙(『阿波の鳴門八ツ目 順礼子別れ唄の段』)

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写真3 踊り子の様子 
※泉州民俗芸能記録作成実行委員会編,2007,『泉州地域の盆踊り 平成十八年度文化庁ふるさと文化再興事業「地域伝統文化伝承事業」報告書』泉州民俗芸能記録作成実行委員会,p.129より

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写真4 清水の小政





【謝辞】

本論文の執筆にあたり、多くの方々のご協力をいただきました。

 お忙しい中、熊取町のことや横山音頭についてのお話を聞かせてくださり、さらに貴重な資料や写真を提供してくださいました、河合一良氏。

 横山音頭のそれぞれの節や囃子を、分かりやすいように色分けをして教えてくださいました、阪上知子氏。

 河合氏を紹介してくださり、成合地区に関する問い合わせに対応してくださいました、一般社団法人くまとりにぎわい観光協会の皆様。

 これらの方々のご協力なしには、本論文は完成には至りませんでした。今回の調査にご協力いただいた全ての方々に、心よりお礼申し上げます。本当にありがとうございました。

世間話の伝承と家族―北海道熊石・小林家の事例から―

山木麻椰

 

【要旨】

 本研究は、小林家と関係する家族の中で話されている世間話について、北海道の南部にある八雲町熊石地域をフィールドに実地調査を行うことで、小林家と関係する家族における世間話の役割を明らかにしたものである。本研究で明らかになった点は、つぎのとおりである。

 

 

1. 小林家は石川県の能登から北海道の熊石に漁師として移住し、熊石ではニシン漁で成功を収めた。その結果、第一人者として門昌庵という寺を熊石に建てることに貢献し、「丸に武田菱」の紋章を授かった。さらに、貢献した小林家の第一人者が亡くなると京都からお坊さんが熊石に来て葬儀があげられた。門昌庵とのつながりは現在に至るまで続き、先祖を大切にしている。また、門昌庵は干場家もつながりがあり、土砂崩れで埋もれた門昌庵の観音様を干場家が見つけた。小林家と関係する家族の間では、不可解な現象が多々起こるが、その一つとして、この観音様を干場家の先祖が引き連れ、引き起こしていることがある。

 

 

2. 小林家とその家族では、頻繁に世間話が行われ、現在の語り手として干場美子と山木直美がいる。干場美子は話を聞くことが好きで、話すことも好きなため、昔、小林家で聞いた話を自身の子ども、孫の世代に語り継いでいる。山木直美は霊感を持ち、身を持って不可解な現象を経験するため、必然的に世間話の中心となり、語り手の役割を担っている。

 

 

3. 斎藤のおばあちゃんは、この家族において、不可解な現象の解釈の手助けを担っている霊能者のような存在で、不可解なことを解決する役割も果たしていた。斎藤のおばあちゃんによって、干場美子が毎日観音様を通して先祖に手を合わせているために、山木直美にその観音様の後光がさしているということがわかり、山木直美が霊感を持つ理由を明らかにされた。

 

 

4. 世間話からは、この家族の中では多くの不可解な出来事が存在していることがわかり、不可解な現象の解釈は先祖や観音様、この家族に関係する故人に結び付けられることが多い。

 

 

5. この家族の世間話は歴史をつなぐ役割を果たしており、不可解なことが起こるが故に、より記憶に残りやすく、語り継がれやすい。また、小林家では、代々語り手が世間話を通して、歴史を語り継いでいる。

 

 

6. この家族の世間話は教訓を伝える役割も果たしている。主な教訓として、「先祖を大切にすること」と「気づいて感謝をすること」が挙げられる。世間話を通してこの2つの教訓を教え、日常生活で活かしている。

 

 

7. この家族の世間話は日常生活を支える役割も果たしている。不可解なことが起こる度に家族内で話し合いが行われ、平穏な日常を送るための情報共有が行われている。それがこの家族の危険を回避する判断につながり、次の日常の支えとなっている。

 

 

8. これからも、この家族では世間話が行われることによって、その中で先祖や関わった故人が生き続け、この家族のつながりをより強くしていく存在となっていくだろう。そして、世間話の役割を果たしながら、先祖を大切にし、人を大切にし、家族のつながりを大切にして、後世に続いていくのだろう。

 

 

【目次】

 

序章

 

第1章 小林家の歴史

 (1)小林家と熊石

 (2)小林家と門昌庵

 

第2章 語り手

 (1)干場美子

 (2)山木直美

 

第3章 斎藤のおばあちゃん

 

第4章 

 第1節 干場美子の世間話

 (1)樺太への出稼ぎの話

 (2)夫婦が同じ日に亡くなった話

 (3)お寺でのりうつられる話

 (4)金色になった観音様の写真の話

 

 第2節 山木直美の世間話

 (1)屋根から落ちた時の話

 (2)息子の事故の話

 (3)友人の事故の話

 (4)亡くなる人が挨拶に来る話

 (5)夢で危険を知らせてくる話

 (6)死期を知らせる線香の香りの話

 

第5章 小林家における世間話の役割

 (1)歴史を語り継ぐ役割

 (2)教訓を伝える役割

 (3)日常生活を支える役割

 

結語

 

文献一覧

 

 

【本文写真から】

 

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写真1 門昌庵

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写真2 丸に武田菱

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写真3 第一人者の葬儀の様子

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写真4 家族が大切に拝んでいる観音様

 

 

 

【謝辞】

 本論文の執筆にあたり、ご協力いただいた干場美子様、山木直美様に心より御礼申し上げます。お二人のご協力なしには、本論文を完成させることはできませんでした。

 干場美子様、山木直美様、並びに、ご家族のご多幸とご繁栄を心よりお祈りいたします。本当にありがとうございました。

 

伝承の語り換え-『真清探當證』と尾張一宮をめぐって- 

西尾佳奈子

 

 

 

【要旨】本研究は、『真清探當證』の伝承について、尾張一宮を中心としたフィールドに現地調査を行うことで、その影響を明らかにしたものである。本研究で明らかになった点は、つぎのとおりである。

 

1.記紀では、兄・億計王(のちの仁賢天皇)と弟・弘計王(のちの顕宗天皇)は、父が殺害されたのち、播磨国へ向かいその地で過ごしたとされる。仕えていた家の新築の祝いの宴にて、二皇子は身分を明かす。『古事記』では、清寧天皇崩御後に、『日本書紀』では清寧天皇が生きている時に二皇子は発見された。『播磨国風土記』にも二皇子の伝承がみられる。億計・弘計王二皇子に関する伝承は兵庫県を中心に語られている。

2.記紀では、継体天皇は近江国の彦主人王と越前国の振媛との子供である。『古事記』では近江国から、『日本書紀』では越前国から迎えられ、即位したとされる。『日本書紀』には、近江国で誕生したのち父が亡くなったため、母の故郷の越前国で育ったといわれている。継体天皇に関する伝承は福井県を中心に語られている。

3.『真清探當證』とは、億計・弘計王二皇子と継体天皇に関する記紀とは異なった内容が語られている古文書である。『真清探當證』で語られている歴史的事実の真偽は分からず、謎が多い。

4.『真清探當證』は、昭和の初め頃に愛知県一宮市の土川健次郎氏によって根尾村(岐阜県本巣市根尾)に伝わった。昭和11年には、正徳暁照氏によって書き写された製本が完成した。平成11年には田中豊氏よって復刻版が出版された。

5.古文書『真清探當證』の発見は、記紀とは異なった内容が語られているにも関わらず、伝承を語り換える影響力があると思われる。

6.『真清探當證』が語る伝承は、現在その地に伝わる伝承と類同するものもあれば、相違するものもある。類同するものは、籠守勝手神社(愛知県一宮市木曽川)の御駕籠祭、八ッ白社「卯つ木塚」(愛知県一宮市泉)、根尾谷淡墨ザクラ(岐阜県本巣市根尾)、浅間社(愛知県一宮市牛野通)である。一方、相違するものでは、大石社(愛知県一宮市桜)、大神社(同市天王)、油田遺跡(同市多加木)、黒姫神社(同市緑)である。

 

【目次】

序章

 第1節 問題の所在                 

 第2節 古事記・日本書記における伝承

    (1)億計王・弘計王

    (2)継体天皇

第1章 『真清探當證』とは何か

 第1節 『真清探當證』

 第2節 尾張一宮

 第3節 世の中に出るまで

第2章 『真清探當證』との類同

 第1節 御駕籠祭

 第2節 八ッ白社「卯つ木塚」

 第3節 根尾谷淡墨ザクラ

 第4節 浅間社

第3章 『真清探當證』との相違

 第1節 大石社

 第2節 大神社

 第3節 油田遺跡

 第4節 黒姫神社

結語

文献一覧

謝辞

 

【本文写真から】

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写真1 真清田神社(11月24日)

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写真2 籠守勝手神社(11月24日)

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写真3 根尾谷淡墨ザクラ(本巣市ホームページから引用,https://wwwcity.motosu.lg.jp/0000000302.html

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写真4 真清田大神伝承地(11月25日)

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写真5 黒姫神社(11月25日)

【謝辞】

本論文の執筆にあたり、多くの方々にご協力いただき、心より御礼申し上げます。突然の訪問でしたが、お話をお聞かせくださいました、真清田神社様のご協力がなければ、本論文の完成には至りませんでした。親切にご対応頂き、本当にありがとうございました。

七夕祭りの創出 ー大阪府交野市域の事例-

安田涼夏

 

 

【要旨】本論文では星田妙見宮、機物神社、交野市主催の七夕祭りに焦点を当て、七夕伝承がこの交野という地域においてどのように受け入れられ展開しているかについて記述した。本研究で明らかになったことは次の通りである。

 

⒈ 古くは交野ヶ原と呼ばれた地には渡来人が移り住み養蚕や機織り、道教に由来する北辰信仰が持ち込まれた。

⒉ 渡来系の血を引く母を持つ桓武天皇が交野の地を何度も訪れたことで交野は広く知られるようになり、遊猟や七夕の和歌が多く詠まれた歴史を持つ。

⒊ 七夕伝承は中国が発祥とされ大陸を経て日本へと伝播したが、その過程において他のいくつかの物語との融合を見せてきた。

⒋ 降星伝説のある星田妙見宮は時代の影響を受け一時は衰退したが宮司や地域住民の努力と協力により妙見宮はもとより祭りを復活させることに成功した。

⒌ 機物神社は「秦者」の人たちを祀る社ということで「ハタモノの社」と呼ばれたが、後に七夕伝承と結び付けられ「秦」を機織りの「機」に換えて現在の機物神社となった。

⒍ 神社に保管されていた古文書を見ると七夕祭りとあったため、当時例祭であった秋祭りから七夕祭りを例祭に変更された。

⒎ 近年では数万人が楽しむ機物神社の七夕祭りは氏子や総代に方々の働きによって成り立っている。      

⒏ 交野市主催の「天の川七夕まつり」は交野が七夕とゆかりのある場所であることを市の移住政策等に活かすため観光振興として発信を始めたことが祭りの契機となった。

⒐ 祭りのイベント化に対して歴史ある七夕の本質が損なわれるのではないかと当時は住民との間に溝があったが、現在は約2万人弱の人々が訪れるほどの大きな規模の祭りとなった。

⒑ 交野をPRしていく上で星田妙見宮や機物神社の七夕祭りを広報する場合もあるが、市は政教分離の考え方から神社等との相互支援は特段行わないという立場にある。

 

 

【目次】

序章 問題と方法 

第1節 問題の所在 

第2節 交野と七夕伝承

   (1) 交野ヶ原

   (2) 七夕伝承と羽衣伝承

 

第1章 星田妙見宮と七夕伝承 

第1節 星田妙見宮

   (1) 妙見信仰

   (2) 降星伝説

   (3) 星田妙見宮の変遷

第2節 星田妙見宮の復活

 

第2章 機物神社と七夕伝承 

第1節 機物神社

第2節 七夕祭り

 

第3章 天の川七夕まつり

第1節 交野市の創出

第2節 祭りの現在

 

結語 

文献一覧 

謝辞 

 

 

 

【本文写真から】

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写真1 星田妙見宮 七夕祭 (公式ホームページより引用)
https://www.hoshida-myoken.com/ 

 

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写真2 星田妙見宮 奉祝祭 (YouTubeより引用)
https://www.youtube.com/watch?v=P81Thw_yAxI 

 

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写真3 七夕祭り (機物神社提供)

 

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写真4 機物神社 焚き上げ (交野巡礼より引用)

 

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写真5 天の川七夕まつり (交野巡礼より引用)

 

【謝辞】

本論文の執筆にあたり星田妙見宮の佐々木宮司、機物神社の中村宮司にはお忙しい中お時間を頂戴しお話しを聞かせていただき、また貴重な資料を数多く提供していただきました。お二人のご協力がなければ本論文の完成には至りませんでした。筆者に至らぬ点が多々ありご迷惑をおかけしたことと存じますが、御親切に対応いただきまして本当にありがとうございました。新型コロナウイルスの影響により七夕祭りに参加できなかったことは心残りですが、インタビューを通して多くを学ぶことができたことに感謝しております。本当にありがとうございました。

 

伊和神社三つ山大祭・一つ山祭の民俗学的研究

境のぞみ

 

【要旨】本研究は、伊和神社(兵庫県宍粟市)の三つ山大祭・一つ山祭について、播磨国総社射楯兵主神社(姫路市)の三ツ山大祭・一ツ山大祭との関係も含めて考察したものである。本研究で明らかになった点は、つぎのとおりである。

1.伊和神社と播磨国総社では、三つ山と一つ山の祭礼の間隔が逆になってはいるものの同じ名称の大祭であること。

2.射楯兵主神社に伊和神社が合祀されて播磨国総社になったこと。

3.播磨国葬社の大祭の場合にも時間をかけて三つの山を作り、それが重要な役割を持っていること。

4.大祭の表記の仕方が異なっており、伊和神社の文献では「三ツ山」ではなく「三つ山」と書かれているのに対し、播磨国総社の文献では「三ツ山」と表記されていること。

5.一つの山三つの山を祀るという祭りの形式は共通していること。

6.伊和神社と播磨国総社で行われる内容を比較すると、自然の山に対して人工の山を祀るというところに大きな違いがあること。

7.祭礼そのものは、時代とともに両社それぞれ独自の方向へと変化しているが、播磨国総社の三ツ山大祭で最初に行われる、三基の造り山の上での祭礼である山上祭も伊和三山の盤座の前に置かれた祠の前で行われる祈りと通じるものがあること。

8.総社の祭神と伊和神社の祭神は同じであると考えられていること。

 

【目次】

序章                  

 

 第1節 問題の所在

 第2節 伊和神社

 

第1章 伊和神社の三つ山大祭

 

 第1節 伊和三山

 第2節 三つ山大祭

 

第2章 伊和神社の一つ山祭

 

 第1節 宮山

 第2節 一つ山祭

 

第3章 播磨国総社の三ツ山大祭・一ツ山大祭との比較

 

 第1節 播磨国総社

 第2節 三ツ山大祭

 第3節 一ツ山大祭

 

結語

 

 

文献一覧

 

【本文写真から】

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写真1 伊和神社の外観(宍粟市 12月11日)

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写真2 花咲山(宍粟市 12月11日)

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写真3 白倉山(宍粟市 12月11日)

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写真4 高畑山(宍粟市 12月11日)

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写真5 宮山(宍粟市 12月11日)



 

【謝辞】

本論文を書き上げるにあたり、兵庫県宍粟市一宮町での現地調査にご協力いただいた、道の駅播磨いちのみやの皆様方に心より厚く御礼申し上げます。

【新連載】迷宮都市・那覇を歩く

平凡社のウェブ雑誌 WEB太陽 で新しい連載が始まりました。

島村恭則「迷宮都市・那覇をあるく」

都市民俗学から見た沖縄・那覇ガイドです。

連載終了後に、単行本として刊行が予定されています。

第1回「迷宮都市への招待」は、こちからご覧いただけます。

webtaiyo.com

 

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