関西学院大学 現代民俗学 島村恭則研究室

関西学院大学大学院 現代民俗学 島村恭則研究室

世間話の伝承と家族―北海道熊石・小林家の事例から―

山木麻椰

 

【要旨】

 本研究は、小林家と関係する家族の中で話されている世間話について、北海道の南部にある八雲町熊石地域をフィールドに実地調査を行うことで、小林家と関係する家族における世間話の役割を明らかにしたものである。本研究で明らかになった点は、つぎのとおりである。

 

 

1. 小林家は石川県の能登から北海道の熊石に漁師として移住し、熊石ではニシン漁で成功を収めた。その結果、第一人者として門昌庵という寺を熊石に建てることに貢献し、「丸に武田菱」の紋章を授かった。さらに、貢献した小林家の第一人者が亡くなると京都からお坊さんが熊石に来て葬儀があげられた。門昌庵とのつながりは現在に至るまで続き、先祖を大切にしている。また、門昌庵は干場家もつながりがあり、土砂崩れで埋もれた門昌庵の観音様を干場家が見つけた。小林家と関係する家族の間では、不可解な現象が多々起こるが、その一つとして、この観音様を干場家の先祖が引き連れ、引き起こしていることがある。

 

 

2. 小林家とその家族では、頻繁に世間話が行われ、現在の語り手として干場美子と山木直美がいる。干場美子は話を聞くことが好きで、話すことも好きなため、昔、小林家で聞いた話を自身の子ども、孫の世代に語り継いでいる。山木直美は霊感を持ち、身を持って不可解な現象を経験するため、必然的に世間話の中心となり、語り手の役割を担っている。

 

 

3. 斎藤のおばあちゃんは、この家族において、不可解な現象の解釈の手助けを担っている霊能者のような存在で、不可解なことを解決する役割も果たしていた。斎藤のおばあちゃんによって、干場美子が毎日観音様を通して先祖に手を合わせているために、山木直美にその観音様の後光がさしているということがわかり、山木直美が霊感を持つ理由を明らかにされた。

 

 

4. 世間話からは、この家族の中では多くの不可解な出来事が存在していることがわかり、不可解な現象の解釈は先祖や観音様、この家族に関係する故人に結び付けられることが多い。

 

 

5. この家族の世間話は歴史をつなぐ役割を果たしており、不可解なことが起こるが故に、より記憶に残りやすく、語り継がれやすい。また、小林家では、代々語り手が世間話を通して、歴史を語り継いでいる。

 

 

6. この家族の世間話は教訓を伝える役割も果たしている。主な教訓として、「先祖を大切にすること」と「気づいて感謝をすること」が挙げられる。世間話を通してこの2つの教訓を教え、日常生活で活かしている。

 

 

7. この家族の世間話は日常生活を支える役割も果たしている。不可解なことが起こる度に家族内で話し合いが行われ、平穏な日常を送るための情報共有が行われている。それがこの家族の危険を回避する判断につながり、次の日常の支えとなっている。

 

 

8. これからも、この家族では世間話が行われることによって、その中で先祖や関わった故人が生き続け、この家族のつながりをより強くしていく存在となっていくだろう。そして、世間話の役割を果たしながら、先祖を大切にし、人を大切にし、家族のつながりを大切にして、後世に続いていくのだろう。

 

 

【目次】

 

序章

 

第1章 小林家の歴史

 (1)小林家と熊石

 (2)小林家と門昌庵

 

第2章 語り手

 (1)干場美子

 (2)山木直美

 

第3章 斎藤のおばあちゃん

 

第4章 

 第1節 干場美子の世間話

 (1)樺太への出稼ぎの話

 (2)夫婦が同じ日に亡くなった話

 (3)お寺でのりうつられる話

 (4)金色になった観音様の写真の話

 

 第2節 山木直美の世間話

 (1)屋根から落ちた時の話

 (2)息子の事故の話

 (3)友人の事故の話

 (4)亡くなる人が挨拶に来る話

 (5)夢で危険を知らせてくる話

 (6)死期を知らせる線香の香りの話

 

第5章 小林家における世間話の役割

 (1)歴史を語り継ぐ役割

 (2)教訓を伝える役割

 (3)日常生活を支える役割

 

結語

 

文献一覧

 

 

【本文写真から】

 

f:id:shimamukwansei:20220108144721p:plain

写真1 門昌庵

f:id:shimamukwansei:20220108145256j:plain

写真2 丸に武田菱

f:id:shimamukwansei:20220108145924j:plain

写真3 第一人者の葬儀の様子

f:id:shimamukwansei:20220108150147j:plain

写真4 家族が大切に拝んでいる観音様

 

 

 

【謝辞】

 本論文の執筆にあたり、ご協力いただいた干場美子様、山木直美様に心より御礼申し上げます。お二人のご協力なしには、本論文を完成させることはできませんでした。

 干場美子様、山木直美様、並びに、ご家族のご多幸とご繁栄を心よりお祈りいたします。本当にありがとうございました。

 

伝承の語り換え-『真清探當證』と尾張一宮をめぐって- 

西尾佳奈子

 

 

 

【要旨】本研究は、『真清探當證』の伝承について、尾張一宮を中心としたフィールドに現地調査を行うことで、その影響を明らかにしたものである。本研究で明らかになった点は、つぎのとおりである。

 

1.記紀では、兄・億計王(のちの仁賢天皇)と弟・弘計王(のちの顕宗天皇)は、父が殺害されたのち、播磨国へ向かいその地で過ごしたとされる。仕えていた家の新築の祝いの宴にて、二皇子は身分を明かす。『古事記』では、清寧天皇崩御後に、『日本書紀』では清寧天皇が生きている時に二皇子は発見された。『播磨国風土記』にも二皇子の伝承がみられる。億計・弘計王二皇子に関する伝承は兵庫県を中心に語られている。

2.記紀では、継体天皇は近江国の彦主人王と越前国の振媛との子供である。『古事記』では近江国から、『日本書紀』では越前国から迎えられ、即位したとされる。『日本書紀』には、近江国で誕生したのち父が亡くなったため、母の故郷の越前国で育ったといわれている。継体天皇に関する伝承は福井県を中心に語られている。

3.『真清探當證』とは、億計・弘計王二皇子と継体天皇に関する記紀とは異なった内容が語られている古文書である。『真清探當證』で語られている歴史的事実の真偽は分からず、謎が多い。

4.『真清探當證』は、昭和の初め頃に愛知県一宮市の土川健次郎氏によって根尾村(岐阜県本巣市根尾)に伝わった。昭和11年には、正徳暁照氏によって書き写された製本が完成した。平成11年には田中豊氏よって復刻版が出版された。

5.古文書『真清探當證』の発見は、記紀とは異なった内容が語られているにも関わらず、伝承を語り換える影響力があると思われる。

6.『真清探當證』が語る伝承は、現在その地に伝わる伝承と類同するものもあれば、相違するものもある。類同するものは、籠守勝手神社(愛知県一宮市木曽川)の御駕籠祭、八ッ白社「卯つ木塚」(愛知県一宮市泉)、根尾谷淡墨ザクラ(岐阜県本巣市根尾)、浅間社(愛知県一宮市牛野通)である。一方、相違するものでは、大石社(愛知県一宮市桜)、大神社(同市天王)、油田遺跡(同市多加木)、黒姫神社(同市緑)である。

 

【目次】

序章

 第1節 問題の所在                 

 第2節 古事記・日本書記における伝承

    (1)億計王・弘計王

    (2)継体天皇

第1章 『真清探當證』とは何か

 第1節 『真清探當證』

 第2節 尾張一宮

 第3節 世の中に出るまで

第2章 『真清探當證』との類同

 第1節 御駕籠祭

 第2節 八ッ白社「卯つ木塚」

 第3節 根尾谷淡墨ザクラ

 第4節 浅間社

第3章 『真清探當證』との相違

 第1節 大石社

 第2節 大神社

 第3節 油田遺跡

 第4節 黒姫神社

結語

文献一覧

謝辞

 

【本文写真から】

f:id:shimamukwansei:20220108110557j:plain

写真1 真清田神社(11月24日)

f:id:shimamukwansei:20220108110810j:plain

写真2 籠守勝手神社(11月24日)

f:id:shimamukwansei:20220108110940j:plain

写真3 根尾谷淡墨ザクラ(本巣市ホームページから引用,https://wwwcity.motosu.lg.jp/0000000302.html

f:id:shimamukwansei:20220108111144j:plain

写真4 真清田大神伝承地(11月25日)

f:id:shimamukwansei:20220108111227j:plain

写真5 黒姫神社(11月25日)

【謝辞】

本論文の執筆にあたり、多くの方々にご協力いただき、心より御礼申し上げます。突然の訪問でしたが、お話をお聞かせくださいました、真清田神社様のご協力がなければ、本論文の完成には至りませんでした。親切にご対応頂き、本当にありがとうございました。

七夕祭りの創出 ー大阪府交野市域の事例-

安田涼夏

 

 

【要旨】本論文では星田妙見宮、機物神社、交野市主催の七夕祭りに焦点を当て、七夕伝承がこの交野という地域においてどのように受け入れられ展開しているかについて記述した。本研究で明らかになったことは次の通りである。

 

⒈ 古くは交野ヶ原と呼ばれた地には渡来人が移り住み養蚕や機織り、道教に由来する北辰信仰が持ち込まれた。

⒉ 渡来系の血を引く母を持つ桓武天皇が交野の地を何度も訪れたことで交野は広く知られるようになり、遊猟や七夕の和歌が多く詠まれた歴史を持つ。

⒊ 七夕伝承は中国が発祥とされ大陸を経て日本へと伝播したが、その過程において他のいくつかの物語との融合を見せてきた。

⒋ 降星伝説のある星田妙見宮は時代の影響を受け一時は衰退したが宮司や地域住民の努力と協力により妙見宮はもとより祭りを復活させることに成功した。

⒌ 機物神社は「秦者」の人たちを祀る社ということで「ハタモノの社」と呼ばれたが、後に七夕伝承と結び付けられ「秦」を機織りの「機」に換えて現在の機物神社となった。

⒍ 神社に保管されていた古文書を見ると七夕祭りとあったため、当時例祭であった秋祭りから七夕祭りを例祭に変更された。

⒎ 近年では数万人が楽しむ機物神社の七夕祭りは氏子や総代に方々の働きによって成り立っている。      

⒏ 交野市主催の「天の川七夕まつり」は交野が七夕とゆかりのある場所であることを市の移住政策等に活かすため観光振興として発信を始めたことが祭りの契機となった。

⒐ 祭りのイベント化に対して歴史ある七夕の本質が損なわれるのではないかと当時は住民との間に溝があったが、現在は約2万人弱の人々が訪れるほどの大きな規模の祭りとなった。

⒑ 交野をPRしていく上で星田妙見宮や機物神社の七夕祭りを広報する場合もあるが、市は政教分離の考え方から神社等との相互支援は特段行わないという立場にある。

 

 

【目次】

序章 問題と方法 

第1節 問題の所在 

第2節 交野と七夕伝承

   (1) 交野ヶ原

   (2) 七夕伝承と羽衣伝承

 

第1章 星田妙見宮と七夕伝承 

第1節 星田妙見宮

   (1) 妙見信仰

   (2) 降星伝説

   (3) 星田妙見宮の変遷

第2節 星田妙見宮の復活

 

第2章 機物神社と七夕伝承 

第1節 機物神社

第2節 七夕祭り

 

第3章 天の川七夕まつり

第1節 交野市の創出

第2節 祭りの現在

 

結語 

文献一覧 

謝辞 

 

 

 

【本文写真から】

f:id:shimamukwansei:20220108105836j:plain

写真1 星田妙見宮 七夕祭 (公式ホームページより引用)
https://www.hoshida-myoken.com/ 

 

f:id:shimamukwansei:20220108110042j:plain

写真2 星田妙見宮 奉祝祭 (YouTubeより引用)
https://www.youtube.com/watch?v=P81Thw_yAxI 

 

f:id:shimamukwansei:20220108110126j:plain

写真3 七夕祭り (機物神社提供)

 

f:id:shimamukwansei:20220108110159j:plain

写真4 機物神社 焚き上げ (交野巡礼より引用)

 

f:id:shimamukwansei:20220108110231j:plain

写真5 天の川七夕まつり (交野巡礼より引用)

 

【謝辞】

本論文の執筆にあたり星田妙見宮の佐々木宮司、機物神社の中村宮司にはお忙しい中お時間を頂戴しお話しを聞かせていただき、また貴重な資料を数多く提供していただきました。お二人のご協力がなければ本論文の完成には至りませんでした。筆者に至らぬ点が多々ありご迷惑をおかけしたことと存じますが、御親切に対応いただきまして本当にありがとうございました。新型コロナウイルスの影響により七夕祭りに参加できなかったことは心残りですが、インタビューを通して多くを学ぶことができたことに感謝しております。本当にありがとうございました。

 

伊和神社三つ山大祭・一つ山祭の民俗学的研究

境のぞみ

 

【要旨】本研究は、伊和神社(兵庫県宍粟市)の三つ山大祭・一つ山祭について、播磨国総社射楯兵主神社(姫路市)の三ツ山大祭・一ツ山大祭との関係も含めて考察したものである。本研究で明らかになった点は、つぎのとおりである。

1.伊和神社と播磨国総社では、三つ山と一つ山の祭礼の間隔が逆になってはいるものの同じ名称の大祭であること。

2.射楯兵主神社に伊和神社が合祀されて播磨国総社になったこと。

3.播磨国葬社の大祭の場合にも時間をかけて三つの山を作り、それが重要な役割を持っていること。

4.大祭の表記の仕方が異なっており、伊和神社の文献では「三ツ山」ではなく「三つ山」と書かれているのに対し、播磨国総社の文献では「三ツ山」と表記されていること。

5.一つの山三つの山を祀るという祭りの形式は共通していること。

6.伊和神社と播磨国総社で行われる内容を比較すると、自然の山に対して人工の山を祀るというところに大きな違いがあること。

7.祭礼そのものは、時代とともに両社それぞれ独自の方向へと変化しているが、播磨国総社の三ツ山大祭で最初に行われる、三基の造り山の上での祭礼である山上祭も伊和三山の盤座の前に置かれた祠の前で行われる祈りと通じるものがあること。

8.総社の祭神と伊和神社の祭神は同じであると考えられていること。

 

【目次】

序章                  

 

 第1節 問題の所在

 第2節 伊和神社

 

第1章 伊和神社の三つ山大祭

 

 第1節 伊和三山

 第2節 三つ山大祭

 

第2章 伊和神社の一つ山祭

 

 第1節 宮山

 第2節 一つ山祭

 

第3章 播磨国総社の三ツ山大祭・一ツ山大祭との比較

 

 第1節 播磨国総社

 第2節 三ツ山大祭

 第3節 一ツ山大祭

 

結語

 

 

文献一覧

 

【本文写真から】

f:id:shimamukwansei:20220108062111j:plain

写真1 伊和神社の外観(宍粟市 12月11日)

f:id:shimamukwansei:20220108062246j:plain

写真2 花咲山(宍粟市 12月11日)

f:id:shimamukwansei:20220108062343j:plain

写真3 白倉山(宍粟市 12月11日)

f:id:shimamukwansei:20220108062448j:plain

写真4 高畑山(宍粟市 12月11日)

f:id:shimamukwansei:20220108062533j:plain

写真5 宮山(宍粟市 12月11日)



 

【謝辞】

本論文を書き上げるにあたり、兵庫県宍粟市一宮町での現地調査にご協力いただいた、道の駅播磨いちのみやの皆様方に心より厚く御礼申し上げます。

【新連載】迷宮都市・那覇を歩く

平凡社のウェブ雑誌 WEB太陽 で新しい連載が始まりました。

島村恭則「迷宮都市・那覇をあるく」

都市民俗学から見た沖縄・那覇ガイドです。

連載終了後に、単行本として刊行が予定されています。

第1回「迷宮都市への招待」は、こちからご覧いただけます。

webtaiyo.com

 

f:id:shimamukwansei:20210802230818p:plain

 

 

 

大学院進学案内(島村研究室)の動画を公開しました。

関学大学院の島村研究室について紹介している動画(社会学研究科(大学院)進学説明会用)を公開しました。

ここで見ることができます。

www.youtube.com

島村研究室への進学希望者は、

tshimamura[アットマーク]kwansei.ac.jp

へ直接メールで連絡してください。si

 

 

 

ミンゾク(民俗)とは

2021年度共通テスト国語で出題された「ミンゾク」とは?

人びと(民)の「俗なるもの」のことです。

<俗>とは、①支配的権力になじまないもの、②近代的な合理性では必ずしも割り切れないもの、③公式的な制度からは距離があるもの、などをさしています。

詳しくは、島村恭則『みんなの民俗学:ヴァナキュラーってなんだ?』平凡社新書、に書いてあります。

f:id:shimamukwansei:20210116233035j:plain