関西学院大学 現代民俗学 島村恭則研究室

関西学院大学大学院 現代民俗学 島村恭則研究室

科学研究費補助金(基盤研究B)による研究プロジェクト「対覇権主義的学問ネットワークとしての『世界民俗学』構築へ向けた基盤的研究」(2020-2024)がはじまりました。

関西学院大学世界民俗学研究センターでは、科学研究費補助金(基盤研究B)による研究プロジェクト「対覇権主義的学問ネットワークとしての『世界民俗学』構築へ向けた基盤的研究」(2020-2024)を開始しました。

研究成果は、随時、世界民俗学研究センターのホームページ等で報告の予定です。

研究プロジェクトの概要は、以下のとおりです。

【概要】
本研究は、アメリカ・イギリス・フランスが頂点として君臨する「知の覇権主義的構造」とは異質の、世界中のすべての地域の民俗学が対等な関係で連携、協働することを理想とした「対覇権主義的(counter-hegemonic)な学問ネットワークとしての『世界民俗学』」を構築することを目的とする。
 そのための方法として、「知の覇権主義」とは異なる次元で個性的な民俗学が展開されている中国、韓国、台湾、インド、エストニア、ラトヴィア、リトアニア、アイルランド、ブラジルを対象に、それぞれの民俗学の特性とそれをふまえた世界連携の可能性について、実態調査と共同討議を実施する。

【研究組織】
島村恭則(研究代表者):関西学院大学教授
桑山敬己:関西学院大学教授
山 泰幸:関西学院大学教授
岩本通弥:東京大学教授
周  星:神奈川大学教授

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島村恭則『民俗学を生きるーヴァナキュラー研究への道ー』が3月20日に刊行されました。

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http://www.koyoshobo.co.jp/book/b498170.html

目次
第1章 民俗学とは何か
1 わたしの民俗学
2 民俗学とは何か
3 民俗学の可能性

第2章 フィールドワークの愉悦と焦燥
―宮古島狩俣での経験―
1 沖縄との出会い
2 宮古島へ
3 フィールワークの愉悦
4 焦 燥
5 打 開
6 卒論完成

第3章 民間巫者の神話的世界と村落祭祀体系の改変―宮古島狩俣の事例―
はじめに
1 民間巫者の神話的世界
2 村落祭祀体系の改変
結 び

第4章 沖縄における民俗宗教と新宗教
―龍泉の事例から―
はじめに
1 民俗宗教の展開と新宗教の創出
2 「悟り」と「修行」
3 災因論と儀礼
4 位牌継承と財産相続
結 び

第5章 日本の現代民話再考
―韓国・中国との比較から―
1 問題の所在
2 韓国の現代民話
3 中国の現代民話
4 日本の現代民話再考

第6章 境界都市の民俗学
―下関の朝鮮系住民たち―
1 民俗学と朝鮮系住民
2 集住地区の暮らし
3 ポッタリチャンサの世界
結び―文化的多様性の民俗学へ―

第7章 モーニングの都市民俗学
1 問題の所在
2 事 例
3 若干の検討

第8章 引揚者
―誰が戦後をつくったのか?―
1 「アメ横」は、アメヤの横丁?!
2 引揚者の民俗学へ
3 引揚者がつくった戦後日本
4 新たな鉱脈の発見へ

第9章 ヴァナキュラーとは何か
はじめに
1 フォークロアからヴァナキュラーへ
2 理論的展望
3 社会・文化哲学とヴァナキュラーの民俗学

 

日本民俗学会卒業論文発表会

2019年度 日本民俗学会卒業論文発表会で、島村ゼミの辻涼香さんと山内鳳将君が発表予定でしたが、新型コロナウィルス感染症発生の現状を鑑み、同会は中止となりました。
参考まで、予定されていたプログラムを掲載します。
なお、発表要旨は、後日、学会ホームページと学会誌に掲載予定です。

第909回談話会(2020年3月8日)<中止>
民俗学関係卒業論文発表会

日時:2020年3月8日(日) 13:30~17:30<中止>
会場: 神奈川大学横浜キャンパス 3号館205教室・206教室
  (東急東横線「白楽」駅下車、徒歩15分)

プログラム(各発表20分・質疑応答5分):

〔A会場=205教室〕
13:30~13:55 「儀礼に表象されるもの ―京都府相楽郡の居籠祭を事例として―」西尾栄之助(京都先端科学大学)
14:00~14:25 「『物忌』のゆくえ ―伊豆諸島における来訪神伝承の消長―」辻涼香(関西学院大学)
14:30~14:55 「神輿を担ぐ女たち」齋藤菜月(新潟大学)
15:05~15:30 「真言とジェンダー ─新潟県佐渡市赤泊に暮らす女性の生活史からみる民俗宗教─」大川莉果(立教大学)
15:35~16:00 「災害と娯楽 ―八甲田山雪中行軍遭難事件の大衆娯楽化について―」渡邊みずか(武蔵大学)
16:05~16:30 「村落祭祀からみる外来神信仰 ―沖縄県南城市佐敷字津波古における土帝君信仰を事例として―」大城沙織(筑波大学)
16:35~17:00 「群馬県における屋敷神祭祀とその変遷」笠原春菜(國學院大学)
17:05~17:30 「茶農家における家業の継承 ―埼玉県入間市を事例に―」木村ひなの(成城大学)

〔B会場=206教室〕
13:30~13:55 「秋田県北部における遺骨葬の成立」菅原悟(新潟大学)
14:00~14:25 「能登半島における骨蔵器」崔丁昕竹(金沢大学)
14:30~14:55 「『学び』の場としての仏教寺院 ―寺子屋活動の展開を事例に―」門脇郁(東北大学)
15:05~15:30 「白山修験と川上御前 ―越前市五箇における『神仏分離』と歴史の解釈―」山内鳳将(関西学院大学)
15:35~16:00 「地域社会における歌の役割 ―なぜ『島原の子守唄』は毎晩8時に流れているのか」松尾有起(追手門学院大学)
16:05~16:30 「道鏡巨根伝説にみる性信仰」児玉寿美(武蔵大学)
16:35~17:00 「師檀関係に見る武州御嶽山信仰 ―御師の兼業化に注目して―」小林直輝(筑波大学)
17:05~17:30 「水族館における飼育生物の供養について ―新江ノ島水族館を事例として―」福田麻友子(成城大学)

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世界民俗学研究センターが中国民俗学会のウェブサイトで紹介されました。

関西学院大学世界民俗学研究センターの活動が、中国民俗学会のウエブサイトで紹介されました。以下に、内容を抜粋します。詳細は、こちらをご覧ください。 https://www.chinesefolklore.org.cn/web/index.php?NewsID=19114

 

关西学院大学世界民俗学研究中心 

 作者:李轩羽 周丹 | 中国民俗学网

 

      世界民俗学研究中心成立于2019年4月,是日本关西学院大学“特定科研项目研究中心”经费支持下的研究机构,其设立的主旨是致力于在全球化背景下以跨学科等独具创意的方式开创民俗学研究的新领域。中心的创立者和中心主任为关西学院大学社会学系教授、著名民俗学家岛村恭则。他为本中心设定了如下目标:

 

      ①从国际视野出发,收集并整理世界民俗学的相关信息

      ②为世界民俗学构建理论体系

      ③在国际范围中传播世界民俗学的相关信息

      ④培养高层次的世界民俗学学者

      ⑤将世界民俗学相关的研究成果回馈给社会

 

      世界民俗学研究中心的核心人员由关西学院大学中以民俗学人类学为重点研究方向的岛村恭则教授、桑山敬己教授、山泰幸教授、铃木慎一郎教授组成,此外还聘任了来自日本乃至世界各地的著名学者(例如东京大学的岩本通弥教授、爱知大学的周星教授、南方科技大学的王晓葵教授等)为客座研究员,不定期开办讲座,同时组织各位学者编写教材、深入发掘隐藏在人们周围的民俗学课题(由岛村恭则教授、桑山敬己教授、铃木慎一郎教授合著的系列第一册《文化人类学与现代民俗学》已于今年4月出版)。

 

      2019年9月2日,世界民俗学研究中心以“民俗学向何处去”为主题、在关西学院大学梅田校区举行了成立以来的首次研讨会。来自各个大学的、不同国籍的青年学者,围绕各自的课题以及民俗学研究的国际意识畅所欲言,进行了深入的学术讨论。

 

      关西学院大学世界民俗学研究中心的岛村恭则教授、桑山敬己教授、山泰幸教授等都和中国民俗学界有着密切的交流关系。他们曾经多次来华访问、讲学。他们的门下也有中国留学生攻读学位。岛村恭则主任期待今后和中国民俗学界进行更深入广泛的交流。

 

      关西学院大学现代民俗学·文化人类学书目

      《文化人类学与现代民俗学》桑山敬己、岛村恭则、铃木慎一郎(已出版)

      《现代民俗学的10个视角》荒井芳广

      《动漫圣地巡礼与现代宗教民俗学》戴尔·安德鲁斯

      《记忆与文化遗产的民俗学》王晓葵

      《废墟民俗学》金子直树

      《德国现代民俗学》金城朱美·霍普特曼

      《文化人类学与民俗学的“艺术”》小长谷英代

      《韩国民俗学入门》崔杉昌

      《中国现代民俗学——与文化人类学的关系》周星

      《文化研究》铃木慎一郎

      《祭与地方媒体的现代民俗学》武田俊辅

      《温泉民俗学》樽井由纪

      《布与时尚的人类学》中谷文美

      《中国民俗学研究——日本学者视角下的现代中国民俗学》中村贵

      《民俗学的田野发现》政冈伸洋

      《古墓民俗学》松田阳

      《文化遗产与民俗学》村上忠喜

      《人生仪式与家族的民俗学》八木透

      《民俗主义的民俗学》八木康幸

      《街区再造的民俗学》山泰幸

      《英国民俗学》山崎辽

      《饮食文化人类学》玛丽亚·约特瓦

 

  文章来源:中国民俗学网 【本文责编:孟令法】

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第2回世界民俗学研究会を開催します。

第2回世界民俗学研究会を開催します。

 

日時:2020年2月28日(金) 13:30~15:30

 

場所:関西学院大学西宮上ケ原キャンパス社会学部棟セミナールーム1(社会学部棟3階)

 

講師:デール・アンドリューズ( Dale Andrews )氏(東北学院大学教養学部教授・民俗学)

 

題目:人生儀礼をめぐるアメリカ民俗学と日本民俗学

 

講演言語:日本語

 

事前申込み不要、参加費無料。

 

問い合わせ:関西学院大学世界民俗学研究センター

tshimamura[a]kwansei.ac.jp

 

講師略歴: https://japanfolklore.wordpress.com/japan-folklore/

Dale K. Andrews is an Associate Professor in the Department of Language & Culture, Faculty of Liberal Arts at Tohoku Gakuin University. He was awarded a PhD in religious studies from Tohoku University in 2007. His primary field of research is Japanese religious folklore. His early research focused on Japanese shamanism (Master’s Degree). This expanded into a study of rural society, its beliefs and social frictions (PhD). Presently,  his research is focused on Japanese religious material culture, in particular the folk art produced by the fans of anime and digital games. Notably, he argues Japan has entered a renaissance period in which the “fans have taken the languishing craft of illustrating ema (wooden prayer tablets) and reinvigorated it with a vibrant, contemporary aesthetic” (Mechademia: Origins (9) 2014:221). Doobity do wop wop say what yeah!

 

デール・アンドリューズは日本を研究するアメリカ人民俗学者。1968年にシカゴ市に生まれました。18歳から24まで米空軍で勤務しました。そのうちの4年間は沖縄にいました。沖縄でユタ(シャマン)に出会うことをきっかけに、日本の民間信仰に関心を持つようになりました。1996年に南イリノイ大学(専攻=文化人類学)を卒業した後、東北大学文学部の宗教学研究室に研究生として入りました。2000年に東北大学大学院文学研究科修士課程修了。修士論文は「シャマニズムにおけるコスモロジー研究」と題した津軽地方のカミサマの一人のライフヒストリと仕事、とりわけ世界観を考察したものです。2000年から2004年まで、東北地方のある農村で住み込み調査を行いました。本家・分家の関係を背景にして、現代の信仰の有様を調べました。2007年に東北大学大学院文学研究科から、博士 の学位(宗教学)を取りました。 2007から金沢大学文学部に勤めました。2011年に東北学院大学に着きました。現在、同大学の教養言語文化学科の准教授です。近年は、アニメ聖地巡礼の絵馬奉納習俗を中心に研究しております。  https://japanfolklore.wordpress.com/japan-folklore/ より

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『文化人類学と現代民俗学』の韓国語版が刊行されました。

桑山敬己・島村恭則・鈴木慎一郎(関西学院大学現代民俗学・文化人類学リブレット1、風響社、2019年)の韓国語版が、韓国の出版社、民俗苑から刊行されました。韓国語版の書名は原書と同一で、ハングル表記は『문화인류학과 현대민속학』です。

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世界民俗学研究会を開催しました。

第1回世界民俗学研究センター研究会を開催しました (2020年1月25日、 関西学院大学大阪梅田キャンパスにて) 。

テーマは「都市民俗学の新たな課題」で、講師は徐赣丽 華東師範大学教授(同民俗学研究所所長)、講演タイトルは「消費・中産 : 都市民俗学の新課題」でした。

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第1回世界民俗学研究会

第1回世界民俗学研究会を開催します。

 

日時:2020年1月25日(土) 14:00~18:00

場所:関西学院大学大阪梅田キャンパス 10階1003教室

(大阪駅・大阪梅田駅徒歩10分、アプローズタワー)

https://www.kwansei.ac.jp/kg_hub/access/index.html

 

講師: 徐赣丽 教授(華東師範大学民俗学研究所所長)

題目:「都市民俗学の新たな課題」

 

中国民俗学における都市民俗学の近年の動向について、徐教授が研究を進めている「都市の消費空間における民俗の生成」「中国中産階級の生活様式」を中心にお話しいただきます。

 

徐赣丽 教授

北京師範大学大学院博士課程修了。民俗学博士。広西師範大学教授を経て、華東師範大学民俗学研究所教授・同所長。主著(中国語)に、『民俗ツーリズムと民族文化の変遷』(民族出版社、2006年)、『現代中国の文化遺産:民俗学的研究』(2014年、中国社会科学出版社)、関連論文(中国語)に、「中産階級のライフスタイル:都市民俗学の新たな主題」(『民俗研究』2017年4期)、「現代都市消費空間における民俗:上海田子坊の事例」(『民俗研究』2019年1期)などがある。

 

 

中国語による講演。日本語翻訳つき

参加申し込み不要。参加費無料。

 

問い合わせ:関西学院大学世界民俗学研究センター

tshimamura[a]kwansei.ac.jp

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「TSF」の構造―ウェブ上の投稿小説における構造的共通性―

伊藤 環

 

【要旨】

 

 本研究は、インターネット上に投稿された個人製作の「TSF」と呼ばれる男性から女性への変身などを題材とした小説について、インターネット上の個人サイトおよび投稿サイトをフィールドとして分析を行うことで、これらの小説に共通する構造を明らかにしたものである。本研究において明らかになった点は以下の通りである。

 

 

 

 本研究の題材とした「TSF」作品は、登場人物が異性へと「移り変わる」ことを題材としたものである。これに基づいて3人の制作者の作品に対して「シーケンス分析」の手法を用いることによって、それぞれの共通する構造を明らかにした。

 まず、分析に必要である話素を設定し、「苦悩・葛藤①(A)」「欲求(B)」「出会い遭遇①(C)」「苦悩・葛藤②(A2)」「出会い・遭遇②(C2)」「変身(D)」とした。

 上記に基づいて分析を行った結果、今回対象とした物語の基本的な話型として「A-B- C-A2-C2-D」が分かった。また、そのバリアントとして主に「C-D」型および「A-C-D」型が存在することが判明した。

 分析によって、インターネット上で不特定の人々が「TSF」と呼ばれるジャンルにおいて制作した作品においてある程度共通する構造が存在し得ることが証明された。

 

 

 

【目次】

 

序章 「TSF」

 第1節 「異性への変身」への関心

 第2節 「TSF」とは何か

 第3節 「TSF」の下位概念と「TSF」に類似する概念

 

第1章 研究の目的と手法及び対象

 第1節 研究の目的

 第2節 研究の手法及び対象

 (1) 研究に用いる手法

 (2) 研究の対象

 

第2章 調査と考察

 第1節 「風祭玲氏の作品」の構造

 (1) 分析とその結果

 (2) 第1節単体での考察

 第2節 「愛に死す(アイニス)氏の作品」の構造

 (1) 分析とその結果

 (2) 第2節単体での考察

 第3節 「山田天授氏の作品」の構造

 (1) 分析とその結果

 (2) 第3節単体での考察

 第4節 3つの作品群に共通する構造

 

第3章 筆者の黒歴史

 第1節 筆者の作品

 第2節 分析と結果

 第3節 考察

 (1) 物語の構造

 (2) 私がこの文章のどこに魅力を感じながら制作したか

 

結語

 第1節 総括

 第2節 今後の展望と課題

 第3節 謝辞

 

付録


参考文献

参考URL

 

 

 

【図表】

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話素抽出例

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物語の構造の例

 

白山修験と川上御前―越前市五箇における「神仏分離」と歴史の解釈―


山内鳳将

 

【要旨】

本研究は、大瀧神社・岡太神社における神仏分離後の信仰と神事について、越前市五箇地区をフィールドに実地調査を行うことで、現地におけるその歴史の解釈を明らかにしたものである。本論文で明らかになったのは以下の点である。

 

1. 明治以前には長らく大瀧児権現としての時代が続いた。岡太神社は「延喜式神名帳」に今立郡十四座の一座として記載されている「岡太神社」にその起源を求める。当時の所在について明確な根拠はないものの、今立であり、なおかつ川上という伝承等の状況証拠を組み合わせると現在の大瀧神社・岡太神社のあたりにその所在を求める事にも整合性がある。岡本神社が鎮座する権現山が泰澄によって開山され、この地に白山信仰が覆いかぶさるように浸透していき、大瀧児権現の勢力が拡大していく一方、岡太神社の勢いは相対的に縮小していったと言える。岡太神社の氏子の範囲は主に五箇だったのに対し、大瀧児権現が信仰を集めたのはより広範囲であったからである。延元二年に足利軍による社殿回禄の後、岡太神社は大瀧児権現の奥の院相殿となる。次に天正三年の織田信長による一山焼失を受け、その再建後岡太神社は大瀧児権現の境内摂社となる。天保14年に下宮本拝殿が建立され、境内は現在の形になった。

 

2. 明治の神仏分離令により、大瀧児権現は「大瀧神社」へと改称をせまられた。岡太神社はそれまで境内社という扱いであり、神社の格という意味では大瀧神社が上であると言えるが、紙漉きの郷・五箇地区において紙祖神を祀る岡太神社は信仰を集めていたため「大瀧神社・岡太神社」と併記されるようになったとされている。

 

3. 昭和期には岡太神社が前面に押し出されるようになった。明治以降、神仏分離によって寺領を失い、神社を維持するための資金が十分で無くなっていた。一方で、大正十二年には大蔵省印刷局抄紙部に川上御前の分霊が奉祀されたことで、川上御前、すなわち岡太神社が紙の鎮守神であることは全国的な認識となっていた。その知名度を生かし、「氏子」を拡大していったのが明治から昭和期に当たる。また、観光資源としても地域の和紙産業と密接な岡太神社は重要であり、対外的な意味合いで岡太神社はその存在感を強めていった。

 

4. 岡太神社に祀られている紙祖神である川上御前は、村人に紙漉きを教えたという伝説とともに知られている。この伝説に関して、古くは「地主の神」「岡太神社の祭神・水波能売命」が姿を変え出現したものであるという記述が多く見られる。また、他にも紙漉き伝来の伝説は存在するという記述もあるのだが、現在現地で語られる伝説は川上御前の伝説のみである。なおかつ地主の神、水神が姿を変えたという部分はなく、「川上御前」の存在を語るものに一本化されている。また、岡太神社の祭神も「水波能売命・天水分神」ではなく、川上御前となっており、祭神が姿を変えるというプロセスが消滅し、その結果である川上御前のみが力を持ったと言える。

 

5. 昭和期に岡太神社、川上御前が前面に押し出され、全国的な知名度を獲得したが、昭和59年に「大滝神社本殿及び拝殿」が重要文化財に指定されたことを1つの契機として白山信仰、すなわち大瀧児権現への「小回帰」が起きた。神仏分離以前は白山修験の一大拠点として栄えたにもかかわらず、制度上の外的圧力によって姿を変えざるを得なかったという現地の人々にとってはある種不本意ともいえる歴史がある。当然岡太神社もこの地域の土地神であり、主に紙漉きに携わる人々の信仰を古くから集めた神社であるが、これまでの歴史を鑑みると明治以降の在り方というのはイレギュラーなものであると言える。この歪さを軌道修正する動きが重要文化財指定、並びに竣工奉祝大祭をきっかけに起った。具体的には、神仏分離を期に中止せざるを得なかった法華八講や湯立てといった、大瀧児権現時代の年中行事を大祭で再現、復興するという動きである。しかし、これは岡太神社が後退するというものではなく、紙能舞・紙神楽といった行事も追加されており、祭り自体を再現する際に想定した「原点」に回帰させる意味合いが強い。

 

6. 長い年月を経て現在の形に至った大瀧神社・岡太神社にまつわる事象であるが、その多くは古くからの形を保っていることをその特徴の1つとしている。確かにそのような側面はあるものの、事実として主に外的要因による様々な変化を経た形であり、少なくとも神仏分離を期に大きく形を変えたからこそ、「小回帰」は起こったとも捉えられる。紙漉き産業を含め、明確にその歴史をさかのぼり切れないからこそ、その伝統をより強固に理解するために「必要とされる過去」が表層に浮かび上がっていると言える。

 


【目次】

 

序章

    第一節 問題の所在
    第二節 大瀧神社と岡太神社

 

第一章 神仏分離以前

    第一節 大瀧児権現と白山信仰
     (1) 白山信仰
     (2) 権現山の開山
     (3) 小白山
     (4) 宗教都市としての五箇
    第二節 岡太神社と川上御前
     (1) 岡太神社
     (2) 紙漉き伝来
     (3) 水分の神と川上御前

 

第二章 神仏分離以後

     第一節 大瀧児権現から大瀧神社へ
     (1) 神仏分離令と廃仏毀釈
     (2) 神社化
     (3) 祭りの変化
  第二節 岡太神社の台頭
   (1) 岡太神社の分祀
   (2) 越前和紙の全国進出
   (3) 「氏子」の拡張

 

第三章 文化財指定と祭りの再編

   第一節 大瀧神社の文化財指定
   第二節 祭りの再編
   (1) 法華八講・湯立ての復活
   (2) 紙能舞・紙神楽の創出
   第三節 白山修験と川上御前

 

結語

文献一覧

謝辞

 


【本文写真から】

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写真1 大瀧神社・岡太神社の鳥居

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写真2 下宮本拝殿

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写真3 十一面観音坐像

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写真4 大瀧神社奥の院本殿

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写真5 岡太神社奥の院本殿

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写真6 川上御前伝説の看板


【謝辞】

 本論文の執筆にあたり、大変多くの方々にご協力いただきました。
 お忙しい所、貴重なお話をお聞かせいただき、多くの資料を提供いただきました、大瀧神社・岡太神社宮司の上島晃智氏、岡太講会長の石川満夫氏、和紙の里三館館長の川崎博氏。また、町で聞き取りに応じて頂いたり、紙漉きを見せて頂いたりと、本当に多くの方々にご協力いただきました。
 皆様のご協力がなければ本論文は完成しませんでした。今回の調査にご協力いただいた全ての方々に心より感謝申し上げます。本当にありがとうございました。

ユダヤ人を生きるーある神戸在住イスラエル人の生ー

大石桃子

 

【要旨】

 

本研究は、神戸在住イスラエル人であるモシャ・ジノ氏のライフヒストリーを通して、在日ユダヤ人のの在り方について考察したものである。本研究で明らかになった点は、つぎのとおりである。

 

1. ユダヤ人にとって、家族のルーツは自己のアイデンティティを形作る重要な歴史である。ジノ氏の場合、父方の家族はイタリア、母方の家族はイエメンにルーツがあることから、自分はイタリア、イエメン系ユダヤ人としてのアイデンティティを持っている。家族の歴史を知ることで、ユダヤ人」であることの自覚、そして出自によって自分がどういった民族性を持つユダヤ人であるのかを認識するのである。

 

2. イスラエルの大都市ハイファで生まれジノ氏は幼少期、学生時代、兵役時代までをイスラエル過ごした実業家である祖父をもち、祖父母、親戚を含めた大家族の家庭で生まれ育った小学校低学年時代から学校ユダヤ人の歴史と聖書のについての教育を受け始めるが、宗教的にユダヤ教を理解するのはずっと後のことである。中学から高校にかけての学生生活では、何よりも夜の街でのパーティーもっぱらの楽しみであったという。高校卒業後の3年間、イスラエルの海軍に入隊した兵役時代は、厳しく統制された生活であったが、楽かったという思い出が彼の中に強く残っている。

 

3. ジノ氏は兵役後、ドイツ1年間滞在したのち一度イスラエルへ戻り、日本へ渡っ。兵役後に国外を旅行することは、イスラエルの若者の一般的な行動形態であり、ジノ氏も多くのイスラエルの若者と同じく、海外へ足を運んだ彼らにとって、国内に留まるのは退屈であり、外へ飛び出したいとの思いがあジノ氏の場合、旅行に加えてお金を稼ぐというビジネスも、海外へ渡る一つの目的であった。日本へ来日するきっかけとなったのも友人に誘われて参加した宝石店でのビジネスであった

 

4. ジノ氏が日本定住した理由は日本人女性との結婚である。来日して3ヶ月目に、2人は出会い、交際3ヶ月で結婚に至った結婚後に、はユダヤ教に改宗した。語りからかるのは結婚といった人生の重大な転機となるような状況に直面した際、「人生は何があるかわからないから、運命に身を任せれば成るように成るとの運命的な考え方が彼の心の中に存在し、人生の選択を左右しているということである。

 

5. 22歳で来日し結婚したジノ氏は、神戸で2人の娘を育てながら、起業家としての人生を歩んでいる。23歳で初めて自ら商売を始め、日本のみならず海外でも数回にわたりビジネスを行なってきた。彼が立ち上げた貿易会社は現在も大きく成長中である。彼にとって、新しいチャレンジをしリスクと共に生きることは、実に楽しい人生であり、「リスクを生きる」という自己の生き方の中にユダヤ性を見出しているようである。

 

6. ジノ氏副代表を務める関西ユダヤ教団は、超正統派のLubavitch派に属するユダヤ教会である。超正統派でありながら実際は、戒律に対して寛容である点も見られる。会で過ごす人びとは、家族のように仲が良く、子供が多いことからか教会全体には賑やかで暖かい空気が流れている。祝祭では、延べ150名もの人びとが集まり、賑やかで盛大な宴会が行われていた。教会を訪れるユダヤ人たちは日本に配偶者を持ち、定住している人がほんどであり、イスラエル、アメリカ、ヨーロッパ出身のユダヤ人が多い。ジノ氏は安息日、祝祭、大切な行事の際には必ず教会で過ごし、ラビの補佐役としての役割を担っている。

 

7. ジノ氏がユダヤ教を宗教的に捉え、戒律に対して真摯に向き合うきっかけとなったのは、妻のユダヤ教改宗である。妻と共にイスラエル教えを受ける中で、宗教的な疑問を自己に問いかけ始め、神への信仰心を強くもつようになった。イスラエルから離れた日本での生活、非ユダヤ人との結婚を通して、彼は「ユダヤ人」としてのアイデンティティを強く意識するようになる。そして、妻のユダヤ教改宗を機に「ユダヤ教徒」としての生を認識し始めのである。
 
【目次】
 
はじめに 問題の所在
 
第1章 家族の歴史とジノ氏の生い立ち
 
第1節 家族の歴史
第2節 ジノ氏の生い立ち
 
第2章 イスラエルから日本へ
 
第1節 来日
第2節 結婚
 
第3章 日本で生きる
 
第1節 家族
第2節 仕事
第3節 教会
 
結語
総括
参考文献
 
【本論文写真より】

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写真1 関西ユダヤ教団の外観

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写真2 関西ユダヤ教団の表札

 

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写真3 ローシュ・ハシャナで振舞われた、8種類の食材をのせたプレート

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写真4 シムハット・トーラーの様子

【謝辞】

本論文を執筆するにあたり多くの方々にご協力いただきました。関西ユダヤ教団、副代表のモシャ・ジノ氏には、お忙しい中、たくさんの貴重なお話をしていただきました。そして、関西ユダヤ教団の皆様は、私の度々の訪問を快く迎え入れて下さりました。皆様のおかげで本論文を執筆することができました。誠にありがとうございました。
 

 



 

講と人びと―加古川市八幡町宗佐の事例―

 織田怜奈

 

【要旨】本研究は、現代における講について兵庫県加古川市八幡町宗佐をフィールドに実地調査を行なうことで、その実態を明らかにしたものである。本研究で明らかになった点は、次のとおりである。

1.宗佐において現在でも活動している講は、稲荷講、伊勢講、山上講の三つである。

2.時代の変化に伴い、祭礼を行なう日が土日祝の休みの日になっていたり、祭礼が多少簡素化されていたりする。

3.地域の人びとの講への参加は、民俗宗教への信仰という意味もあるが、同時に娯楽や地域内での繋がりを保つという意味も持っている。

4.稲荷講と伊勢講に関しては、信仰という意識より地域の伝統や祠などを維持するための、地域の住民としての役割という意識で参加する人が多い。

5.山上講は大峰山で修行を行なう。

6.山伏であった織田兵次郎は、山上講で先達をしたり呪術で怪我の治療などを行なったりする一方で、村会議員など様々な役職を務め、人びとからの支持を得ていた。

 

【目次】

序章 問題と方法
 はじめに
 第1節 フィールドとしての宗佐
 第2節 問題の確認と本論文の構成

第1章 稲荷講
 第1節 大嶋稲荷講
 第2節 大崎稲荷講

第2章 伊勢講
 第1節 保所伊勢講
 第2節 大北伊勢講

第3章 山上講
 第1節 宗佐の山上講
 第2節 宗佐に生きた山伏

結語
 総括

文献一覧

 

【本文写真から】

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写真1 大嶋稲荷講の祭礼のようす

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写真2 保所伊勢講の祭礼のようす

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写真3 大峰山の焼き印がされた金剛杖

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写真4 織田兵次郎が書き記した呪術の本

 

【謝辞】
本論文の執筆にあたり、宗佐の住民の皆様には大変お世話になりました。永惠俊宏さん、竹中芳継さん、小田亀生さん、竹中勇夫さん、織田吉文さん、山内麻菜美さんには特にご協力いただきました。このたびはご尽力を賜り、心より感謝申し上げます。