関西学院大学 現代民俗学 島村恭則研究室

関西学院大学大学院 現代民俗学 島村恭則研究室

城下町の空間と伝説―兵庫県明石市の事例ー


社会学部 森田麻中

 

【要旨】

 本研究は、城下町である兵庫県明石市をフィールドに実地調査を行うことで、城下町の特性を空間と伝説という二つの観点から明らかにしたものである。本研究で明らかになった点は次の通りである。
1.明石の城下町には、現在も多くの伝説が残っている。その伝説というものはそもそも、どこにでも発生するものではなく、場所と密接な関係がある。空間論的にいえば、妖怪出現の限定された場所には、それなりの必然性がある。たとえば、この世とあの世が交錯していて、その境界に位置する空間には、かならずや妖怪変化の働きかけがあると想像されている。そういう場所を認識できる感性の持主が、どの時代にも少しずつ存在していて、それに伴う不思議な民間伝承を堆積してきたことを考えるならば、民俗学が従来集めてきた農山漁村だけでなく、町場や都心部にも不思議な空間は発見できることになる このことから、空間と伝説の関係は重要な役割を果たしているといえる。伝説はどこにでも発生し、語り継がれるものではなく、伝説の発生しやすい空間というものが存在している。
2.本論文では城下町としての明石の都市空間は、明石城を中心として、堀、その周りを武家屋敷、町屋、寺社、城下町の外といったように分けられる。この論文では、分けたものを同心円に配置、①城、②堀、③武士の世界、④町人の世界、⑤寺社、⑥城下町の外の世界、と6つに空間を分類した。
3.まず、城の桜掘には古たぬきが化けた一目入道がでたという伝説が伝わる。武士の世界には織田家長屋門の話が、町人の世界には樽屋町『茶碗谷の娘』という里謡が伝わる。
4.そして寺社の世界には柿本神社内に筆柿、盲杖桜伝説、八房梅の伝説、亀の碑、芭蕉の句碑、亀の水の伝説が残る。本松寺に、その隣の妙見寺には「ぼたん狐」の伝説、白雲の桜という桜町にはキツネ親子の伝説が残るなど、動物に関係した話が残る。そして、文学の地として『源氏物語』ゆかりの地であると言われる善楽寺、無量光寺、蔦の細道、朝顔光明寺に『平家物語』をなぞらえた忠度塚、腕塚神社、両馬川旧跡などが残っている。
5.外の世界の伝説であるが、山の神の伝説が残り、炭焼きや狩猟などの山仕事、焼畑などの農作業を行う時は必ず山の神を祀り、安全や方策をねがったという。
6.これらの伝承の分類を見ると、明石の町では明石の城よりも寺社の世界に伝説が多く残っている。それは先に述べた空間と伝説の二つが関係している。明石の町で、城よりも寺社の世界に伝説が多いのは、かつて寺社が城の防御として使われていた側面を持っており、明石の人々は寺社を町の境界だと感じていたのではないだろうか。先に伝説が生まれる空間には何かしらの境界や「辻」という、私たちが無意識のうちに民間伝承を堆積している場所がある、伝説は場所と関わっているということが重要なのだということを述べた。空間と場所の関係は密接で、それが明石の場合は、明石の寺社は防御態勢と関係があり、兵士の屯所として使われていた。 しかし、単純に防御としての町の内側と外側、外からの侵攻の防御という意識だけではなく、無意識のうちに異界とこの世の境界というように、霊的な役割をも持っていたのだろう。つまり、寺社の世界より内側が明石の城下町で、それより外は外の世界だと認識していたため、境目となる寺社の世界に伝説が多く残っているのである。

 

【目次】

序章 問題と方法 ---------- 7

 はじめに ---------- 7

 第1節 城下町としての明石の歴史 ---------- 7

 第2節 問題の所在 ---------- 7

 

第1章 伝説とは何か ---------- 8

 第1節 伝説とは ---------- 8

 第2節 伝説の発生しやすい場所 ---------- 8

 第3節 「辻」という空間 ---------- 9

第2章 城下町の空間構造 ---------- 10

 第1節 城下町の空間の特性 ---------- 11

 第2節 明石の城下町の構造 ---------- 11

  (1)城について ---------- 13

  (2)明石城の堀について  ----------14

 第3節 城、城と堀の定義 ----------15

 第4節 明石、武士の世界の定義  ----------15

 第5節 明石、町人の世界の定義 ---------- 16

 第6節 明石、寺社の世界の定義 ---------- 18 

 第7節 明石の城下町の外の世界 ---------- 19

第3章 空間と伝説 ---------- 20

 第1節 明石の歴代藩主 ---------- 20

 第2節 城・堀 一目入道の伝説 ---------- 22

 第3節 武士の世界、織田家長屋門 ---------- 28

第4節 町人の世界、樽屋町『茶碗谷の娘』----------  31

第5節 寺社の世界、柿本神社 ---------- 35

(1)柿本神社、由緒 ---------- 35

(2)筆柿 ---------- 38

(3)盲杖桜伝説 ---------- 39

(4)八房梅の伝説 ---------- 41

(5)亀の碑 ---------- 43

(6)松尾芭蕉の句碑 ---------- 44

(7)亀の水 ---------- 47

第6節 キツネにまつわる伝説 ---------- 48

(1)本松寺 ---------- 48

(2)妙見宮「ぼたん狐」の伝説 ---------- 51

(3)白雲の桜 ---------- 53

 第7節 『源氏物語』ゆかりの地 ---------- 57

(1)善楽寺 ---------- 57

(2)『源氏物語』の舞台としての真偽 ---------- 61

(3)無量光寺、蔦の細道 ---------- 62

(4)朝顔光明寺 ---------- 66

 第8節 『平家物語』ゆかりの地 ---------- 68

 第9節 外の世界・山の神 ---------- 74

結語―総括と考察― ---------- 77

 第1節 総括 ---------- 78

 第2節 結果の考察 ---------- 78

 

参考文献 ---------- 79

 

【写真本文から】

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写真1 城と堀、明石城

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写真2 武士の世界、織田家長屋門

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写真3 町人の世界、茶碗屋の娘

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写真4 寺社の世界、柿本神社

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写真5 6つの区分に伝承を分類した図

 

百场校级学术讲座:岛村恭则谈“‘民俗’是什么——从Folklore到vernacular”

百场校级学术讲座:岛村恭则谈“‘民俗’是什么——从Folklore到vernacular”

作者:  信息来源:文科院  发布日期:2018-09-27   浏览次数

百场校级学术讲座:岛村恭则谈“‘民俗’是什么——从Folklore到vernacular”

 

2018年9月20日,日本关西学院大学教授、研究生院社会学研究科博士生导师、日本民俗学会理事岛村恭则老师应邀在法商北楼525成功进行了一场题为“民俗是什么——从Folklore到vernacular”的学术讲座。讲座由民俗学研究所徐赣丽教授主持,原民俗学研究所所长王晓葵教授评议,慕名而来的有本、硕、博各个阶段的学生,民俗学研究所中村贵老师和王立阳老师也出席了讲座。马克思主义学院的胡艳红老师担任翻译。

讲座伊始,岛村教授向大家对他所做的准备以及热烈的欢迎表示感谢,紧接着在邓迪斯对民俗定义的基础上进行重新定义,他认为民俗(Vernacular)是民俗学基于民俗学的视角(反启蒙主义、反霸权主义、反普遍主义、反主流、反中心的视角)来把握对象时所使用的概念。是作为共有某种社会脉络的群体中的一员在其生存世界——“生世界”中产生并活态存在的经验、知识和表现。基于此,岛村教授就“民俗是什么”这一主题展开讲座。讲座主要论述了三个问题,即什么是民俗学的视角?“日常”与“民俗”之间的关系是怎样的?为何要用“the vernacular”作为“民俗”的英语对应词?

在梳理了启蒙主义以及民俗学史的简单框架后,岛村教授分别以日本民俗学的发展特点和美国民俗学的研究进一步佐证了其定义民俗的反启蒙主义特征。但特别强调的是定义中的“反”,并不是中文语境中的反对与对立。然后,岛村教授就与中国民俗学界同样,今年在日本民俗学界也很盛行的“日常”的研究做了进一步的讲述。他认为“日常”不是研究对象,而是作为研究对象的“民俗”能被发现的田野。同样“非日常”研究的民俗学也成立。并对社会学为首的其他人文社会科学的“日常”研究或“日常文化研究”做了区别,认为民俗学具有“使启蒙主义的合理性、霸权、普遍、中心、主流等社会相位上产生的知识体系相对化,产生超越启蒙主义产生的知识体系的见解”的独特性特征。岛村教授采用the vernacular来对应他所定义的“民俗”概念,可改变英文中folklore一直以来带有的传统刻板印象。同时通过vernacular这一关键词,民俗学也会与其他研究领域之间的交叉与重合进一步扩大。他认为现代的学问,都应该在跨学科的研究中不断前进,同时也必须重视从18世纪以来的民俗学的独特目的与视角。随后,王晓葵教授进行了追问、质疑和思考的三方面评议。

互动环节,在场师生与岛村教授就目前民俗学研究的背景、民俗学者应该如何把握日常、研究民俗的路径等问题进行了深入探讨,徐赣丽教授借用埃德加·莫兰所提出的“复杂性思维”与岛村教授就能否让民俗的定义走出“非此即彼”的状态进行了进一步交流,最后,大家再次以热烈的掌声向岛村恭则老师表达了敬意与感谢,讲座圆满结束。

 

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桑山敬己ゼミ・山泰幸ゼミ・島村恭則ゼミ 大学院合同ゼミナール

 桑山敬己ゼミ・山泰幸ゼミ・島村恭則ゼミ 大学院合同ゼミナール

2018年12月21日

文献講読

孫 嘉寧(博士課程後期課程)

・高 丙中「日常生活の未来民俗学についてのアウトライン」

・田村和彦「高論文に対するコメント」

『日常と文化』42017

 

呉 松旆(博士課程後期課程)

・呂 微「民俗学のデカルト的省察―高丙中『民俗文化と民族生活』をめぐる論考―」

・西村真志葉「解題 呂微「民俗学のデカルト的省察 ―高丙中『民俗文化と民族生活―』をめぐる論考」

『日常と文化』42017

 

鄭 喜先(博士課程後期課程)

・南 根祐 「韓国のセマウル運動と生活変化」

『日常と文化』52018

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八木透ゼミ・島村恭則ゼミ 大学院合同ゼミナール

八木透ゼミ・島村恭則ゼミ 大学院合同ゼミナール

2018年12月6日、関西学院大学

岡本真生(関西学院大学大学院博士後期課程)

「ヴァナキュラー宗教の民俗誌ー集団A会の事例から」

中西仁教授(立命館大学産業社会学部)

「神輿場はなぜ荒れたのかー柳田國男『祭礼と世間』から考えるー」

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カンカカリヤ 浜川綾子氏によるウガン

カンカカリヤ 浜川綾子氏によるウガン(御願)

2018年11月26日、宮古神社境内のイビ(威部)にて。

浜川綾子さんは、宮古島の著名なカンカカリヤ(シャーマン)の一人で、故谷川健一氏が中心となって1994年に結成された「宮古島の神と森を考える会」には設立当初から深く関わってこられた。

写真は、11月26日に行なわれた、同会の設立25周年を神に感謝する儀礼。

呪詞の朗唱ののち、神歌が歌われている。

参列を認めていただいた浜川氏に感謝申し上げます。

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講演「現代と伝承ー『無形文化遺産』の視点からー」

講演「現代と伝承ー『無形文化遺産』の視点からー」

2018年11月25日、宮古島の神と森を考える会、

宮古島市(伊良部島伊良部)

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【講演要旨】 

  本講演では、伊良部島の祭祀の今後のあり方について、伝承論、無形文化遺産論の観点から検討する。

1.祭りや神話、伝説など、これまでいわゆる民俗、民間伝承、伝承などと呼ばれてきたものは、近年、世界的に、「無形文化遺産」(Intangible Cultural Heritage)の名で再概念化されるようになってきている。

2.「無形文化遺産」は、ユネスコ(国連教育科学文化機関)が制定した「無形文化遺産の保護に関する条約」(無形文化遺産条約)において、次のように定義されている。「無形文化遺産とは、慣習、描写、表現、知識及び技術並びにそれらに関連する器具、物品、加工品及び文化的空間であって、社会、集団及び場合によっては個人が自己の文化遺産の一部として認めるものをいう。この無形文化遺産は、世代から世代へと伝承され、社会及び集団が自己の環境、自然との相互作用及び歴史に対応して絶えず再創造し、かつ、当該社会及び集団に同一性及び継続性の認識を与えることにより、文化の多様性及び人類の創造性に対する尊重を助長するものである」。

3.この定義の中で注目されるのは、「無形文化遺産」は、「伝承(transmit)」されるものであると同時に、「絶えず再創造される(constantly recreated)」ものだという理解が示されている点である。

4.この「絶えざる再創造」という考え方は、本日のシンポジウムのテーマである「伊良部島の祭祀の復活をめざして」を考える際、大きなヒントになる。「無形文化遺産」(あるいは、民俗)とは、過去の状態を忠実に守り伝えるという意味での「伝承」のみをさした概念ではない。現地の人びとによる「再創造」自体も、「無形文化遺産」の中に含めて捉えられるものとなっている。

5.この観点からすると、伊良部島の祭祀も、伝承すべきだと考えられる部分は伝承し、同時に、「再創造」させるべきところは、多少、大胆に思われても、「再創造」させることによって、その生命力を維持、活性化することができるだろう。ツカサについてのきまり(選任基準、選出方法、組織構成、禁忌、任期など)、祭祀の回数や内容などは、まさに「伝承と再創造」の観点から、議論すべきテーマである。

 

 

 

 

八木透ゼミ・島村恭則ゼミ 大学院合同ゼミナール

2018年11月9日、佛教大学紫野キャンパス

大上将太(佛教大学大学院)

「鮭とひとをめぐる民俗研究―岩手県宮古の事例を中心に―」

 王贇(関西学院大学大学院)

「現代中国における「伝統」の「復興」―河南省濮陽市婉君茶芸館の事例から―」

 

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桑山敬己氏報告「『ネイティヴの人類学と民俗学』とその後―日本の学問の行方―」(関西学院大学社会学部研究会例会)

関西学院大学社会学部研究会 2018年度第3回例会

桑山敬己氏「『ネイティヴの人類学と民俗学』とその後―日本の学問の行方―」

コメンテーター:島村恭則

2018年10月31日、関西学院大学社会学部

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島村 恭則「桑山報告へのコメント

  桑山氏も『ネイティヴの人類学と民俗学』の中で触れているように、日本では、「二つのミンゾク学」という表現で、文化人類学(かつての「民族学」)と民俗学の近接関係が語られてきました。わたしは、この二つのうちの一方、民俗学を専攻する者であり、その立場から以下、桑山氏の報告にコメントしたいと思います。

 学生はもちろんのこと、他分野の研究者からも、文化人類学と民俗学は、どうちがうのか、という質問を受けることがあります。これについて、少なくとも日本では、まともな説明を行なっている文献はありません。当の文化人類学者や民俗学者も、うまく説明ができず、「文化人類学は異文化研究」、「民俗学は自文化研究」というような説明でごまかしていることが多いです。

 ここで、わたしが両者のあり方について説明してみると、つぎのようになります。人類学(文化人類学、社会人類学、民族学)は、桑山氏が述べているように、イギリス、フランス、あるいはアメリカ合衆国といった覇権主義的国家において発達した学問です。一方、民俗学は、18・19世紀のフランスを中心とする啓蒙主義や、ヨーロッパ支配をめざしたナポレオンの覇権主義に対抗するかたちで、ドイツのヘルダー、グリム兄弟において土台がつくられ、その後、世界各地に拡散し、それぞれの地域において独自に発展をみたディシプリンです。

 具体的には、早くから民俗学が強力に発達して今日に至っている国、地域として、フィンランドエストニア、ラトヴィア、リトアニアノルウェースウェーデンアイルランドウエールズスコットランドブルターニュハンガリー、スラブ諸国、ギリシア、日本、中国、韓国、フィリピン、インド、アメリカ合衆国、ブラジル、アルゼンチンなどをあげることができます。

 そして、ここで注目すべきこととして、これらの国、地域の中には、世界システム上、周辺的な位置にある(あった)国や地域が少なからず(すべてとはいいませんが)含まれているという点を指摘可能です。むしろ、どちらかというと、そうした周辺的な国や地域においてこそ、民俗学がとくに発達して現在に至っているということすらできると思われます。

 ところで、この場合、民俗学は、イギリス、フランス、アメリカ合衆国以外の、それぞれの国、地域において独自に発達したため、英語圏、あるいはドイツ語圏の民俗学はともかくとして、それ以外の言語を母語とする各国、各地域の民俗学がそれぞれに蓄積してきた重厚な内容、あるいはそれぞれの民俗学の存在それ自体が、他の国、地域に知られることが少なかったという事実があります。

 そのため、つぎのようなことが起こります。イギリスの文化史学者のピーター・バークは、『文化のハイブリディティ』という本の中で、「異種混淆性」という概念について説明する際、以下のように述べています。

  「今日それほどに知られてはいないが、文化の変容を分析する際にはおなじくらいに啓発的だと評価できる概念は、スウェーデンの民俗学者カール・ヴィルヘルム・フォン・シードヴ(1878-1952)によって採用された、オイコタイプの概念だ。「異種混淆性」と同様に、「オイコタイプ」という言葉はもともと植物学者がつくったもので、自然選択により一定の環境に適応した植物の種の集団のことであった。フォン・シードヴは、民話の分析のためにこの用語を借用し、民話がその文化的環境に適応させられるとみたのである。文化の相互作用を研究する学者は、シードヴのパラダイムにしたがって、チェコのバロック建築のような現地独特の形式を、国際的な運動の地域における一変奏として、独自の法則をもった変奏として論じることができるだろう。(中略)グローバリゼーションの分析家は、ソフトウェア産業からの借用語である「ローカリゼーション」や、もともとは1980年代にビジネスの業界用語であった「グローカリゼーション」を使うようになった。民俗学者がこの論争を追ったとすれば、既視感におそわれるにちがいない。というのも、私たちが目にしているのはオイコタイプの再来とでも呼べるものだからだ。」(バーク2012:57-59)

  このような、既視感というのは、これは桑山氏とわたしとの会話の中で、桑山氏が指摘されていることですが、たとえば、近年の人類学周辺でのいわゆる「存在論的転回」の議論、つまり、人間のみならず、自然や物質にも人間同様のエージェントを認め、人間/自然のヨーロッパ的二元論を乗り越えようとする議論ですが、これなどは、日本においては「転回」以前に、折口信夫や岩田慶治といった民俗学者や人類学者がつとに指摘していることであり、つよく既視感を抱かされるものであります。

 しかしながら、このような土着の学問的成果は、英語圏では知られていない。そのために、ないことにされている[1]。でも、世界各地には、土着の学問が確実に存在しています。

 国際的に知られるアメリカの民俗学者のアラン・ダンデスは、International Folkloristicsという本を編集しました。この本は、世界の民俗学史上の重要な研究者についての解説とその代表論文を英訳したもので、そこには、ドイツ人民俗学者(4名)、イギリス人民俗学者(2名)、フランス人民俗学者(1名)、アメリカ人民俗学者(1名)とともに、フィンランド(1名)、アイルランド(2名)、イタリア(2名)、ロシア(2名)、ハンガリー(2名)、デンマーク(1名)、スウェーデン(1名)、オーストリア(1名)の民俗学者がとりあげられています。そして、本文中のある箇所で、ダンデスは、上記以外の学者にも言及し、「英語になっていないためにアクセスが容易ではないが、世界には、ポーランドのOskar Kolberg、エストニアのPastor Jakob Hurt、日本のKunio Yanagita、デンマークのE.Tang Kristensenなどの優れた民俗学者がいて、理論的な業績も含めて多くの仕事をしている」という趣旨のことを述べています。

 ちなみに、この本の中で、ロシアの民俗学者の一人として取り上げられているウラジーミル・プロップは、民話の構造分析を行なった学者として有名な民俗学者で、彼の『民話の形態学』は、民俗学にかぎらず、ナラトロジー、物語論においては必ず引用される本ですが、1928年にロシア語で刊行されたこの本は、刊行後、30年間、ロシア以外ではまったく知られていませんでした。ところが、1958年、この年は、レヴィ=ストロースの『構造人類学』がフランス語で刊行された年ですが、この年に、プロップの『民話の形態学』がたまたま英語に翻訳されたところ、レヴィ=ストロースの神話の構造分析と同じ発想、方法論である、しかもレヴィ=ストロースに先立つことおよそ20年前にすでにこれを公にしていたということで、一躍注目されるようになりました。しかしながら、プロップの業績は、もしも英語に翻訳されていなかったら、日の目を見ない状態が続いていたかもしれません。

 さて、以上に見てきたように、英語、フランス語、あるいはドイツ語による学問以外の、土着の言語、つまりヴァナキュラーによる学問は、知の世界システムの中では、周縁化されるか排除されて今日に至っているわけですが、ただ、近年、状況に変化が生じつつあるともいうことができるようです。それはどのようなことかというと、一つは、ポストコロニアルな発想の浸透で、覇権主義、植民地主義のピラミッドの頂上付近以外のところで産出されてきた「語り」への着目が、倫理的にも必要だと考えられるようになってきていること、また、もう一つは、グローバリゼーションの副産物として、グローバルな情報環境へのアクセスが容易になったことから、グローバル化とは縁遠いと思われていた土着の学問の世界にも、自発的、内発的なグローバル化の動きが発生してきているという点です。

 たとえば、日本民俗学会は、これまでまさに土着的な学者の集まりだったのですが、この10年で急速に国際化し、毎年のように国際シンポジウムを行なうようになり、また、アメリカ民俗学会、中国民俗学会とともに、国際民俗学会連合-これはユネスコの哲学人文学会議の下部組織という位置づけになります―、のファウンディング・メンバーになるに至っています(ちなみに、その国際民俗学会連合の副会長は、桑山氏です)。このようなグローバル化対応は、ともすれば、外圧によるものと思われがちですが、そうではなく、「同じような土着的な学問同士で、学びあいたい。吸収すると同時に、こちらからも発信したい。言語はとりあえず英語と中国語でなんとかやっていく」というような内発的な動機によるものです(ここでアメリカと中国、英語と中国語が出てくるところが痛いのですが、あくまでも現実的な手段としての言語として割り切っています)。

 あるいは、エストニアでは、すでに20年前の1996年から、アメリカ、アイスランド、スロベニア、イスラエル、インドから一流の民俗学者をエディトリアルボードに迎え、英語版ではあるものの、国際的な民俗学の学術誌を刊行するようになっています。

 以上に述べたような民俗学の学史や現状は、しかし、文化人類学の側では、ほとんど知られていません。それは民俗学者の側も、それぞれの国の中のことは知っていても、世界中で民俗学がどのような状況になっているかは知らなかったため、民俗学者自身が民俗学について文化人類学者たちに、あるいはほかのさまざまな人文社会科学の研究者たちに対して、説明をしてこなかったからです。それが、時代の状況の中で、やっと世界各地の民俗学の状況が把握できるようになり、覇権主義のもとで制度化された学問とは異なる代替的な知の蓄積の存在が見えてきたところです。

 桑山氏は、著書『ネイティブの人類学と民俗学』の中で、「二つのミンゾク学」の積極的で生産的な相互補完関係の重要性を強調されていますが、以上の状況をふまえると、まさにいまそうしたことが実質的に可能になる時代に入りつつあるのではないかと、わたしは考えます。そして、その場合、民俗学と文化人類学が並列している大学は、実は国内ではほとんどないため(多くは、文化人類学だけが存在。関西圏では、関学だけに民俗学と文化人類学の組み合わせがある)、おそらく、この関西学院大学において、その重要な一歩が踏み出されるのではないかと考えています。

 

【文献】

バーク, ピーター 2012 『文化のハイブリディティ』河野真太郎訳、法政大学出版局。

Dundes, Alan ed., 1999, International Folkloristics: Classic Contributions by the Founders of Folklore, Lanham, Boulder, New York, Toronto, and Oxford: Rowman and Littlefield Publishers.

 

[1] そして、さらに悲惨なのは、そうした土着の学問的成果を生み出した国・地域の内部においても、少なくとも日本の場合そういえると思いますが、土着の先行研究の咀嚼をせずに、外来のパラダイムの直輸入をするということがしばしば行なわれています。

 

What is Vernacular Studies?

What is Vernacular Studies?

 SHIMAMURA, Takanori​

 Kwansei Gakuin University School of Sociology Journal, 129, 1-10, 2018.10. 

 

     This paper aims to provide a general outline of the development of vernacular studies in Japan as well as a vision for the future of vernacular studies based on that development.

     The most important thing for understanding vernacular studies is that this discipline’s full formation came about in Germany in opposition to the enlightenment centered in France in the 18th and 19th centuries and to the hegemonism of Napoleon, who tried to dominate all of Europe. Afterward, societies that shared their anti-hegemony context with Germany were encouraged directly or indirectly by Germany’s vernacular studies. They vigorously formed this discipline, but each in its own way. Specifically, vernacular studies has developed and arrived in the present day in regions such as Finland, Estonia, Latvia, Lithuania, Norway, Sweden, Ireland, Wales, Scotland, Brittany, Czech, Hungary, Greek, Japan, China, Korea, the Philippines, and India and in newer nations like the United States, Brazil, and Argentina.

     What vernacular studies has consistently investigated throughout its academic history is human life on a different level from social phases that have been considered to be hegemonic, omnipresent, central, and mainstream. It is knowledge that was brought about through the close study of these. Generally, modern science is a body of knowledge produced from broad social phases considered hegemonic, omnipresent, central, and mainstream, but vernacular studies becomes compellingly unique by confronting these characteristics and attempting to create knowledge that overcomes their broad social application. Therefore, while it is a type of modern science, vernacular studies is also an alternative discipline that contrasts with modern science in general.

  

 本稿は、日本における民俗学(Vernacular Studies)の展開とそれをふまえて構想される民俗学の将来像について、概観することを目的とする。

 民俗学を理解する上で最も重要なことは、この学問の本格的な形成が、18・19世紀のフランスを中心とする啓蒙主義や、ヨーロッパ支配をめざしたナポレオンの覇権主義に対抗するかたちで、ドイツにおいてなされた点である。そして、ドイツと同様に対覇権的な文脈を共有する社会が、ドイツの民俗学の刺激を直接・間接に受けながら、とくに強力にそれぞれ自前の民俗学を形成していったという点である。具体的には、フィンランドエストニア、ラトヴィア、リトアニアノルウェースウェーデンアイルランドウエールズスコットランドブルターニュチェコハンガリーギリシア、日本、中国、韓国、フィリピン、インド、新興国としてのアメリカ、ブラジル、アルゼンチンといった地域においてとくに民俗学が発達して現在に至っている。

 民俗学が、その学史を通じて今日まで一貫して追究してきたのは、覇権、普遍、中心、主流とされる社会的位相とは異なる次元の人間の生であり、そこに注目することで生み出される知見である。一般に、近代科学は、覇権、普遍、中心、主流とされる社会的位相の側から生み出される知識体系であるが、民俗学は、それらを相対化し、超克する知を生み出そうとしてきたところに強い独自性がある。したがって、民俗学は、近代科学の一つでありながらも、近代科学一般に対するオルタナティブディシプリンであるということになる。

 

 

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